ピンチなアイドル
傷が痛い。
悪意が胸に突き刺さる。
嫌悪が、憎悪が、侮蔑が、避けようがない数で一斉に襲い掛かっている。
ただ一人で全てを弾くのは無理だ。様々な人間の励まし、近しい者からの応援を受けていなければとても笑顔を浮かべることなど出来はしない。
最上・百合。
今や押しも押されぬトップアイドルとして輝く彼女は、卒業した身でアイドル稼業に専念している。傍には護衛とマネージャーが付き、回って来る仕事は一般のものから国家関係者からの個人的なものまで多種多様。
人脈は広く繋がり、同時に彼女を欲しいと思う人間も更に増えた。事務所の規模も彼女のお蔭で大きく、人員も現在は増加傾向にある。
彼女の事を馬鹿にする者も居なくなった。特に新人アイドルであれば第一に彼女の元に挨拶に参ることになっている。
芸能界での社会常識。その中で彼女は女王も同然で、けれどそうなっているのは何も自分だけの力だけとは言い切れなかった。
背後にあるもう一人の兄妹。最近になって表舞台で見るようになったフォートレス社長の傍に居る男の名前に、SNSは敏感に察していた。
見た目は極々普通な中肉中背の黒髪男。清潔感はあるものの、顔は極端に優れている訳ではない。
けれど、その男は渡辺社長の最も近い位置に居る。役職も社長インタビュー等から割れ、ヴェルサス窓口係の名は絶大な影響力を周囲に与えていた。
厄介になったのは彼女の事務所に多く舞い込んだあの二人の関係性を、百合の承諾無しに発表したことだ。
兄妹で相当な著名人となっていることで周囲からの悪意も増々強くなり、見たくもない人間の闇を見る回数も増加した。
最初は事務所に彼女は抗議して、一度は脱退も視野に入り掛けていた。
彼とは絶縁状態で、関係の修復を狙っている彼女としてはこのままでは余計に嫌われる結果に終わってしまう。
もう殆ど芽が無いとしても、それでも更なる迷惑を与えたくはないのだ。事務所に多少のダメージを与えると解った上でも他人の空似であったと処理してほしかった。
だが、事務所側からすれば更なる注目を集める要素となる。
日本が危険な状況であることは誰の目から見ても明らか。
稼げる内に稼いでおかねば逃げることも出来ず、故に本人を無視してでも注目や仕事を増やしたかった。
当然、彼女との間に対立構造が出来るのは解っている。解っていても、彼女が理性的であることを利用して了承を受けるつもりだった。
それが駄目であれば別の手段もある。兄が彼女の事を嫌っているのはマネージャー経由で事務所側も知っているので、ヴェルサスに襲われる心配はない。
悲しいかな、芸能界とは往々に裏の人間と繋がっているものだ。
彼女の脱退によって身が危険になることを言外に脅し、マネージャーや両親からの再三にわたる説得によって強制的に事務所に在籍することになった。
その分だけ待遇は上がったものの、彼女自身は事務所の事を信じる気持ちは無くなっている。
機会があれば逃げ出すこともしただろう。兄には何度も連絡を送りはしたものの、当たり前な話であるが一切の反応は無い。
「――だからって、なんで俺の所に来たんですか」
裏社会の人間から、果ては権力者から逃げ切るならば、どうしたって彼等に対抗出来るだけの力の持った組織を頼るしかない。
とはいえ、その手の組織は早々見つからないものだ。ましてや国家権力者も関与している以上、迂闊な真似は即座に捕縛に通じる。
故に彼女が選択したのは、兄ではなくヴェルサスそのものへの接触。蓮司達の学校付近で仕事を行った彼女は、その足で護衛達の目から離れて珍しく一人帰宅中の蓮司を捉えた。
「仰りたいことは解ります。 ですが、渡りをつけるには貴方しか居なかったのです」
「……こういった話は俺の管轄外です。 そりゃ、日本的に有名な方からのお願いなら聞きたいところではありますが」
姿を偽っているとはいえ、顔を見れば流石の蓮司でも彼女の正体は理解した。
日本におけるトップアイドル。怪獣騒動時に今も支援を行い続ける、現代の聖女。――そして、彼等が知る最上・彩斗の妹。
明確な関係を彼から直接聞いていない蓮司であったが、それでも妹の話題は一度として出てはこなかった。世間話の中ではヴェルサスについての話題ばかりで、よくよく考えれば家族構成すらも蓮司は知らない。
関わって一年も経過していないのだからそれも当然だが、しかし鍛錬で気が抜けた瞬間の世間話でも出てこなかったのは違和感がある。
家族に何か問題がある。あるいは、目の前の人物との間に話したくないものがある。
警戒を抱くのは当然、彼女の話も何処まで本当かは定かではない。明確な証拠も提示されていない現在において、彼女を信じる要因は風聞くらいなものだ。
「一度だけでも、お願い出来ませんか? 私に払えるものであれば何でもお支払いしますッ。 どうか話をさせてください」
「女性が何でもは不味いですよ。 ……解りました、どうするにせよ一度連絡は取りますので少々お待ちください」
「ッ! はい!!」
何か彩斗にとって不味いものが彼女にはある。
それを察しつつ、しかして必死な彼女の言葉を無下にも出来ない。別に蓮司は正義の味方を気取るつもりはないが、だからといって助けられる人間を見捨てるような器の小さい男でもない。
致し方無しに了承に告げ、帰り道を歩きながら端末を操作。
敢えて仕事用の物を使い、彩斗へと連絡を送り始める。今回の件でヴェルサスを頼るのは些かに大人気ないだろう。
『はい、どうかしましたか?』
「あ、彩斗さん」
通話相手が彩斗であることに百合は少々驚く。
確かに彼はヴェルサスに所属しているので周辺の人間の電話番号くらい把握していても不思議ではないが、やはり彼女にとって彩斗と連絡を取るのは高い壁のようなものだった。
それが易々と叶ってしまったことに、少なくない溝を感じてしまう。
ずっと前から両者の間には奈落のような溝があった。どれだけ懸命に塞ごうと考えたとて、片方がそれを良しとしなかったが為に塞がれることはない。
「その、最上・百合さんが助けてほしいと接触を図ってきまして。 ……ええ、このまま無碍にするのも失礼ではないかと連絡した次第なのですが、どうしましょうか」
『解りました、彼女と代わってもらえますか?』
「はい。 ……代わってくださいとのことです」
「解りました」
一度呼吸を整え、彼女は彩斗の端末を耳に当てる。
最初の一歩は大事だ。特に嫌われている以上、少しでも失礼な発言を口にすれば即座に通話を切られかねない。
そして、次は受けてもくれなくなるだろう。渡辺社長には既に失礼な人物だと見られているのでフォートレスを動かしてくれるとは彼女も思わない。
「……お久し振りです、兄さん」
『接触する為とはいえ彼を頼るな。 ……で、なんだ?』
「失礼な真似をしたのは理解しています。 ――家族の縁とは関係無しに、私を助けてほしいのです」
重要なのは家族同士での繋がりを強調しないこと。
彩斗に連絡を送ったのはそれ以外にヴェルサスとの繋がりがないことを示す為であり、そうでなければ別の人物に渡りをつけるつもりだと暗に伝える。
そして、それは取り敢えずの成功を結んだ。彩斗は通話を切らず、彼女に理由を尋ねる。
百合は解り易くも簡潔に現在の事務所の闇を伝え、脱する手伝いを依頼の形で頼み込む。料金を捻じ込むことでメリットを単純にしたのだ。
『今の国内情勢なら発表するだけで味方は多くなるだろう?』
「ですが、完璧ではありません。 傍にも敵が居る現在、兄さん以上に信頼出来る人間なんて居ないんです」
『……誘拐や暗殺の懸念があると?』
「誘拐は常にありますが、あの事務所は大きくなった勢いで裏社会の人間を雇い入れました。 秘密裏に人を殺す術をあちらは持っているんです」
彩斗は彼女を嫌いであるが、死んでほしい程ではない。
このまま無視をして事務所に飼い殺しにしても良いと思うも、そうなると必死になった彼女が何をしでかすか解らなかった。もしも放置してヴェルサスを巻き込むようであれば、いよいよ彼女の社会的抹消をせねばならなくなる。
百合の耳が彩斗の溜息を捉えた。諦めの混じった息に、彼女は目を輝かせる。
『――お前のアイドル人生を喪失させるつもりはない。 此方で打てる手は打とう。 今度からはそちらの端末に連絡を送る』
「ありがとうございます!! 本当に、本当にありがとうございます!!」
何度も何度も頭を下げる彼女を見て、蓮司は胸の内に思ったことを抑え込む。
――兄妹って言うより、主人と奴隷みたいじゃないか。




