拷問に等しく、地獄に等しく、希望に等しく
「お、来てくれましたか」
「はい。 今日はよろしくお願いします」
場所はとある山の麓。
電車に一時間も揺られて到着したその場所で、奈々は彩斗に出会う。
今日はスーツ姿ではなく私服姿だ。紺色のシャツに黒のジャケットを羽織り、ズボンは動きやすさを重視したベージュのカーゴパンツ。
奈々も動きやすさを重視したズボンに薄手のシャツだ。上にコートを着て寒さをなるべく抑えているものの、顔に掛かる風の冷たさは避けられない。
そのまま奈々は彩斗から送られたチャットの内容通りに山を登り、人気のまるで見えない斜面を見渡す。
男と女が揃った際の甘い気配は微塵も無く、あるのは穏やかさと静けさばかり。荷物を持たないまま進むのは無謀極まりないが、そこは彩斗が事前に準備をしてあると言ってくれたことで安心している。
『僕の突飛な行動も悪いけど、君の突飛な行動も十分に問題だと思うよ』
『だって勿体無いだろ。 折角訓練を積んだのにさ』
山を登っている最中、澪の冷静な指摘が入る。
それに対して彼は即座に言葉を返すが、理由が非常に軽い。目の前で暗い顔をしていた少女の様を見て、彩斗は単純に彼女の実力を無駄にはしたくないと考えたのだ。
このまま対人や裏方に特化させるのも悪くはない。対人そのものは怪獣戦闘と同じ問題が付き纏うが、無力化が可能という点が唯一救いを与える。
裏方であれば鍛え上げた肉体が仕事の効率を高めてくれるだろう。それが彼女の望んだものでなくとも、周囲は感謝してくれる。
されど、やはり彩斗としては勿体無いのだ。このまま蓮司同様に怪獣の戦いに身を浸し、英雄のような輝きを持ってほしい。
そうでなければ骨を折った意味が無い。特別扱いが無駄に成り果て、彼女が特に大きな成果を上げていない事実を政府がどこかから嗅ぎ付けて市井の情報網に流してしまいかねなかった。
無駄は誰しも嫌なものだ。彩斗とてそれは変わらない。澪であれば尚更無駄という結果を嫌う。
故に、心を軋ませる少女を立ち上がらせることを選択した。その方が万事上手く回転するし、一皮剥けた彼女が一体どれだけ化けるのか期待もしている。
「あの……ところで今回はどんなことをするんですか?」
「ん? ……ああ、それはですね」
『兎に角、この件については俺にやらせてくれ。 もしも彼女が復活したらそのまま即座にパイロットとして復帰で』
『まったく。 周りを黙らせるのも大変なんだからね。 ……お土産を期待しているよ』
澪との会話を切り、背後を歩く少女に意識を向ける。
これから向かう先で何が行われるのか。強くなるとは具体的にどのような意味なのか。
暫し言葉を中空で選び、努めて優しい顔を浮かべる。
そのまま振り返り、足を動かしながら顔と同様に優しい声で彼女に告げた。
「君の状態は聞きました。 戦闘時に極度の恐怖から別人格が現れ、それまではまともに操縦も覚束ないと」
「……はい。 訓練中は特に何ともないんですが、いざ本物を目にすると腕が震えちゃうんです。 それに頭も真っ白になっちゃって動かし方も忘れちゃいまして」
「成程。 であれば、克服すべきは二つですね」
後ろを向きながら歩くという器用な真似をしつつ、彩斗は指を二本立てる。
「先ずは恐怖そのもの。 これが解決しないことでは平常時でも操縦が出来ません。 そして二つ目は人格の維持です」
「人格の維持、ですか?」
こてんと首を傾げる彼女の姿に微笑ましさを覚えつつも、二つ目について自身の考えを口にする。
これは時折彩斗も考えていたことだが、客観的に見れば彩斗と澪は二重人格と呼ぶに相応しい分裂状態となっている。しかも片方は男で片方は中性と少々特殊であり、更に言えば完全な形での共同生活を行っていた。
過去の事例の中でも多数の人格を持っている人間は無数に居たし、人格が変わっても共生状態となる例も勿論ある。
そして、時折二重人格を有効活用する人間も出て来るのだ。
自分では苦手が分野でも、別の人格ならば楽々吸収出来る。逆に別人格が苦手な分野がある場合、主人格が楽々吸収することもある。
二つの人格を切り替えつつ、長所の数を増やす。
それは即ち、社会で生き残る武器が増えることに繋がる。多くの名声を手にすることが出来れば、その後の生活も安泰になりやすい。
奈々は現在人格が目覚めたばかり。精神病を気にするのであれば抹消するべきであるが、苛烈に敵を倒す性格は今後彼女を助けてくれることだろう。
恐怖を恐怖だと思わぬ精神性は実に異常だ。そして異常となれば、あるいは澪のような特級の存在にまで変質する可能性は十分に有り得た。
「君の恐怖を克服しつつ、同時に新たに芽生えた人格を育てて共生状態に変える。 どちらかが身体の主導権を手にするのではなく、二つの意思で一つの身体を動かすのです」
「――――」
それは随分と現実味に欠ける話だった。
彩斗は自分が体験しているからこそ現実だと認識出来るが、知らない者からすれば何を言っているのかと怒られても文句は言えない。
あるいは、彼の話を聞いて即座に家へと帰ろうとする者も出て来る筈だ。
奈々が驚くだけに留められたのはこれまでの経験があるからこそ。摩訶不思議が現実として横たわる世界を知っているが為に、新たに生えた怪し気な人格を使いこなそうとする意見も何とか飲み込めた。
だが、逆に言えばそこまでだ。
驚愕から疑問にシフトせず、彼女は質問を脳内に湧き上がらせない。
「これを達成するには恐怖への耐性が特に高くなければなりません。 蓮司君のような精神的強度が」
「……出来るんでしょうか?」
追加の彼の言葉で徐々に驚きが引き、次に湧くのは不安だ。
この訓練で身に付けるのは肉体の基礎能力ではなく、精神の強さ。どんな時でも心が折れない、勇者に等しい精神的柱を立てねばならないのだ。
それは難しいなんてものでは済まされない。天性の才能が求められる訳ではないとはいえ、人の恐怖はそもそも本能に根差したもの。
真向から本能に反旗を翻さなければ無意識化で対象に恐怖し、どうしても身体が動かなくなるだろう。
やがて進んだ先に広い空間が現れる。
自然が生んだ平坦な大地には草木が生えておらず、まるでこの為に誂えたようにも彼女には見えた。
円形の広場の端にはボストンバッグが二点。片方は既に開かれ、中に飲み物や食料が顔を出している。
遠くから登山客の声は聞こえず、この場所はそもそも正規の立ち入り可能範囲から逸脱しているのだろう。見つかれば注意だけでは済まない可能性がある。
「恐怖を克服するのは簡単な話ではありません。 更に言えば克服して終わりではない以上、時間を掛けて確率の高い方法で鍛えます。 その厳しさは、間違いなくこれまでのものより辛いでしょう」
「……ッ、!」
決してこれまでの日々で過ごした鍛錬が楽だった訳ではない。
蓮司でも鳴滝でも、皆例外なく血反吐を吐きかねない鍛錬をしていた。壁に罅が走るまで叩き付けられたこともあるし、骨が折れた回数も十回から先は数えていない。
直ぐに治るからと然程気にしていなかったが、それより酷いとなると自分は死んでしまうかもしれないと奈々は身を震わせる。
そして、それこそが彩斗の狙いだ。恐怖に浸され、恐怖に喘ぎ、生きていることそのものが悪だったのだと思う程に追い込む。
「第一段階は恐怖に麻痺すること。 これから私は殺意を持って貴方に攻撃を仕掛けますので、頑張って抗ってください」
「抗うって――――」
言葉は最後まで言わせてもらえなかった。
ジャケットを脱いでバッグにまで投げた彩斗は、その瞬間に自分の中にある殺意を解放する。
濃密な黒い感情は過去の分も積み重なり、決して一般人が浴びてはならぬ濃度となって彼女に襲い掛かった。
言葉が出ない。希望と呼べる輝きが何一つとしてない。噴き出す汗を拭おうとも思えず、瞬きをした瞬間に彩斗は彼女の眼前へと駆け出していた。




