手を差し伸ばした先は……
「…………」
「…………」
「…………」
品の良い家具が並ぶ室内。
床に敷かれた絨毯に、その上に置かれた大理石のテーブル。テーブルを挟んで設置された二つの幅広の白ソファは、定期的に清掃をしているお蔭で黄ばみは無い。
テーブルの上には湯気を立てている緑茶が置かれている。陶器製の湯呑は無駄に金を使っているようで、この家の持ち主の金使いの荒さを証明していた。
ソファに座っている人間は計三名。
蓮司、真木、レッドの三名は顔を合わせてから約十分は沈黙を続けている。
蓮司が学校で連絡を取り、希望の芽を勝手に見出した真木が承諾し、両親が居ない時間を突いて彼女の家へと二人を上げたのである。
真木の両親はこの家にヴェルサスの関係者が居ることは知らない。帰宅も遅く、帰って来る頃にはレッド達も帰宅していることだろう。
こうして集まれたのは奇跡的だ。真木は素直にそう思いつつ、初めて対面した美丈夫に息を呑んだ。
今回もマスクを取った彼の顔は、上流社会に慣れた真木でも見た事がない上玉だった。
富裕層の中には海外で整形をする者も居る。人工的な美しさは人気になりやすいが、一度見慣れてしまうと不気味に映り易い。
整形をしなくとも顔の良い者も居るには居る。けれど、それでも目の前の男と比べてしまえば月とスッポンになってしまう。
比べるだけ可哀想なものだ。目の前の男が放つ独特な覇気と合わせ、真木は否応なしに絶対者の意味を理解させられた。
「……ああ、自己紹介が遅れたな。 ヴェルサス所属・レッドだ」
「……真木・陽子です。 こうして御会いできたこと、誠に光栄に思います」
レッドに向けた真木の言葉は全て真実だ。
社会の醜さを両親が連れて行く会食で知っている身として、人間というものはどうしても信じ切れる存在ではなかった。
資金でも、立場でも、能力でも、どれかが秀でた人間は必ず腹に黒いものを抱えている。他者を見下している程度なら可愛いもので、計画的に邪魔な人間を殺している者も居るのだ。
どれだけ日本は平和であると謳っても、薄皮一枚剥けば外国と変わらない凄惨な現場は無数に存在している。
そんな者達と正面からにこやかに笑い合うには、やはり自分の性根も一部腐らせる必要があった。
それが彼女にとっての支配的行動に繋がり、一種の鎧となって守っている。
上を知れば知る程に護衛の意味を感じなくなるのだ。真に己の身を守りたいのであれば、己自身が攻防一体の存在にならねばならない。
――そんな彼女だからこそ、レッドの放つ覇気はこれまで出会ったどんな者達とも違うと断言させられた。
彼が負けることは有り得ない。如何な巨悪も彼の前では頭を垂れ、あらゆる組織を口だけで操る君臨者として存在し続ける。
仮に彼が悪人だったとして、今頃は裏社会と呼ばれる空間は彼の私物となっていただろう。
厳格なルールが設けられ、組織だった大規模犯罪が横行していたかもしれない。
明らかな大物の中の大物の雰囲気に、彼女は最初から白旗を振っていた。
「光栄……光栄か。 あのような真似をしておいて、よく言うものだ」
「言い訳はしません。 そして、悪かったなどと言うつもりもありません」
「あれは必要なことであったと?」
「少なくとも、我々が今後も生きていくには必要なことでした。 例え、それで私自身が犠牲になろうとも」
真っ直ぐに背筋を伸ばした彼女は、やはり社長令嬢らしい気品を感じさせる。
これまではそうすべき相手にあまり出会わなかった所為でだらしない恰好が目立っていたが、彼を前にそのような振舞いは見せたくはない。
蓮司に見せた嘆きにも蓋をして、努めて平坦に彼女は己の意見を口にした。客観的に見た場合の答えとして、自分の行いは何ら不自然なものではないと。
レッドの横で話を聞いていた蓮司は鼻を鳴らす。
そんな真似をしたところで、悪がどちらであるかなど明白だ。彼女の取った行動は命令であったとはいえ、最悪の道を辿ろうとしていた。今はまだそれを知らないから、彼女はこのように冷静さを取り繕っているのだ。
「成程、生きていく為には時に悪の道を進む。 人生を歩む中でその考えは間違いではない。 人は誰しも、正道だけでは生きてはいけないからな」
「まさしく。 私は、私が正しいと思ったことをします」
「なら、お前には知る権利がある」
レッドが十分も時間を掛けて沈黙していたのは、彼女の精神が未だ情緒不安定になっていないかどうかを確かめる為だった。
蓮司の話を聞く限りでは彼女は発狂に近い状態にまで追い込まれたようだが、今はなんとか持ち直して落ち着いている。
しかしそれも、これからの話を聞いてしまえば崩れるかもしれない。
暴れ回り、口汚く周囲を罵り、最後には自滅する可能性は十分に有り得た。それでもレッドが知らせようと思ったのは、少なくとも目の前の彼女を脆いと感じ切ることが出来なかったからだ。
そのまま一時間を掛け、レッドは直接真木に今回の大元についてを説明していく。
最初は半信半疑だった彼女の目も、証拠を提示していけばいく程に揺れた。呼気は荒く、全てを話し切った後には目を見開いて大理石のテーブルを見つめている。
衝撃的な話を聞いた直後の人間の反応と一緒だ。
彼女は頭の中でレッドから伝えられた情報を衝撃と共に整理し、何とか飲み下そうとしている。
その過程で眦からは涙が止め処なく流れるものの、誰もそれを拭おうとはしない。
結局、お前達はただ捨てられる為だけに存在するのだ。
そう言われてしまえば、どれだけ気丈な人間でも自分の人生に迷いを抱く。本当に自分が進んだ道は正しかったのか、彼等の語った内容を否定するだけの濃い人生を果たして自分は送れたのか。
迷いに迷い、けれどもそれは自分だけでは決められないことだ。
自分で違うと思い、誰かに違うと思ってもらわねば肯定感を持つことは出来ない。己一人だけで完結出来るのは、極端な自己愛に偏った者だけである。
「今回のお前達の行動は、全てが裏目に出るようになっている。 我武者羅に動いたところで破滅を呼び込むだけだ」
「…………」
「そして、今のところ俺達はお前達を救う腹積もりはない」
事実を述べ、彼はおもむろにヴェルサスとフォートレスの総意を口にした。
彼女も流石にそれは無視出来なかったのか、大理石に向けていた目をレッドに変える。
驚愕を瞳に宿した彼女を彼は真正面から見据え、淡々と残酷な決定を続けていった。
「俺達が今回動いたのは、そうせねば余計な混乱が巻き起こると予想されたからだ。 怪獣が関与していない騒動など下らぬし、わざわざお前達を救うだけのメリットなどはない。 ――お前達自身に価値が無いのは変わらないままだ」
「そんな……」
「俺達は俺達に関わってくる問題のみを排除する。 それ以外については一切関与するつもりはない。 ……これでも、お前の悪行に対する咎としては最上級に優しい部類だ」
つまりこうして彼女と話をしている理由は、単に事実を伝えて勘違いを引き起こさないようにするという為だけ。
何の説明も無しに突発的に幹部達や繋がっている者を排除すれば、彼女の家族は大いに混乱するだろう。その混乱の中で悪い意味で勘違いを起こし、自分達は彼等に助けられたのだと思われては余計な宣伝材料にされかねない。
ヴェルサスもフォートレスも、真木を憐れんで助けようと考えた訳ではないのだ。
ただ、幹部達がするだろう攻撃が鬱陶しいから叩き潰したい。それ以外のあらゆる問題について、彼等は関与をするつもりは毛頭無かった。
「少年に行った非道の数々。 そしてお前達の能力。 全てを勘案した上でヴェルサスはその結論に行き着いている。 勘違いせず、素直に受け入れろ」
「あ、ああ、嘘……」
悪鬼に赦し無し。皆悉く、滅ぶが良い。




