女の懇願に潜む凶刃
「――何をするんだよ」
抱き締めた腕が勝手に開かれる。
そのまま腹を蹴られ、真木は碌に受け身も取れずに屋上の硬い床に転がった。
身体に巡る痛みは自然なものとは無縁で、だからこそ久し振りだ。殴られたことがない身体に明確な痛打を刻まれ、彼女は痛みに眉を顰める。
蹲った真木を見て、蓮司は不快なものを見るような眼差しを向けた。
愛してくれ。それも何も聞かず。
言葉の意味そのものは理解出来るが、その言葉が彼女から放たれたという事実に背筋が震えた。
気持ちが悪い。本当に目の前の女は、真木・陽子なのか?
「愛してってなんだよ。 冗談でも気持ち悪い。 本当の目的を吐け」
昼休みに二人きりになるのは間違いだった。
彼は静かに後悔しつつ、FMCを持っている手とは反対の手を握り締める。再度向かってくるようであれば拳で腹を殴るつもりであり、例えそれで文句を言われても一切受け合うことはしない。
痛みの治まった彼女は散乱した髪を軽く払いつつ、ゆっくりと座り込んだ体勢で蓮司を見やる。
その目には意思の強さは感じられない。体育が終わった直後に見た彼女の様子とは異なり、今の彼女は崩壊している最中の塔を思わせる。
「冗談? ……冗談でこんなことするわけないでしょッ」
言葉少な目に、されど恨みを込めた声は深い。
「なんで、私がこんなことをしなくちゃいけないのよ。 なんで、私の人生が滅茶苦茶になるのよ。 なんで、私は道具みたいに扱われるのよ」
ぶつぶつと呟く言葉を蓮司は無言で聞く。
何が彼女の身に起きたのかは解らない。解らないが、彼女の身に避けようがない絶望が襲い掛かっている。
「知らないよ。 興味も無い――もう良いか?」
「――――ッ!!」
しかし、同情は蓮司には無い。
寧ろどうでも良く、彼女が絶望していても助ける気など皆無だ。元よりそれだけの関係性を築いていないのだから当然だが、今の彼女にとってそれは地雷だった。
今確実に親の会社を助けられるのはヴェルサスだけ。ヴェルサスが居れば、またあの会社は父主導の元に戻る。
だから自分は勇気を出して、嫌だと思っても擦り寄った。初めて異性に自分から抱き着き、彼女なりに偽物であっても愛を口にしたのだ。
それでも、結果は御覧の有様。
解っていたことだ。彼と彼女との間には愛情どころか友情すら無く、あるのはただただ敵意のみ。
奪い奪われ、その関係があるからこそ細い関係性が続いている。
されど、彼女の一世一代の言葉はあっさりと捨てられた。
微塵も興味が無いと口に彼を見やり、歯軋りしながら身体を強引に起こす。握り締められた手がこれから何を引き起こすのかを理解しつつ、それでも怒りに一瞬で支配された彼女は止められなかった。
元より自制とは皆無の生活を送っていた彼女だ。薄紙程度の自制心は容易く破れ、身体を突撃させる。
「くそったれェ!」
「いきなり殴りかかるなよ」
顔面を狙った渾身の一撃は、されど蓮司の手によって容易く受け止められた。
そのまま手首を掴まれ、次の瞬間には身体が宙を舞う。自分が投げられたと感じた時にはもう遅く、彼女は再度背中から地面に叩き付けられた。
今度も防御の姿勢は取れず、背中は悲鳴を上げる。口から酸素が吐き出され、それでも目は自然と顔を負った。
「っぐ、クソ……」
「で、何だよ。 一応は理由を聞くから言ってみろ。 ……それとも、無理矢理聞き出そうか」
FMCが仄かに発光する。
戦闘目的では使用は禁じられているが、そうでなければ使うことは可能だ。幸いなことにイブと繋がっているので、情報を抜き取る能力を使うことは出来るだろう。
反射ばかりが彼女の力と思われているが、何もイブの力はそこだけではない。
無意識領域に接続した時点で彼女には権限が与えられている。それは閲覧は勿論のこと、能力の疑似再現まで可能とさせていた。
本家であるイブであれば五割の再現までは出来るが、蓮司には一割が精一杯。その一割で出来ることなど限られているもので、精々が掌から微弱な電気を読み取って嘘発見機として機能させるくらいだろう。
簡単な脅し。けれど、中身を知らねば人は恐怖する。
蓮司が疑似的に超能力者になっていることはある程度世間に漏れているし、彼女程上流階級の人間であれば知っていても不思議ではないだろう。
現に真木は発光する端末に怯えた声を漏らし、知らず知らずの内に後退っている。
これから自分にされることを想像して、顔は恐怖に歪んでいた。
「言え。 なんであんな台詞を吐いた」
「…………父の、命令よ」
ぽつりと口にした言葉に、蓮司は漸くかと溜息を吐く。
そのまま続きを首で促し、彼女はつっかえながらも裏事情についてを全て吐き出した。
会社の経営が思わしくない。空我で復活する筈だった業績も、今では緩やかに下落の一途を辿っている。
物価が上昇し、人があまり買い物に積極的にならなくなった所為だ。業績を回復させるべく赤字にならない限界ラインにまで品物を安くしたが、他も似たような真似をしていることで明確に改善には至っていない。
ならばと広告塔としてアイドルを起用してみたものの、売り上げが上がったのも一時的。
大手の前では中堅に留まっている会社は太刀打ち出来ず、このままでは潰れてしまいかねないとされていた。
「本当は、フォートレスやヴェルサスに依頼して解決するつもりだったの。 でも、それも全部断られた」
最早ここまで追い詰められれば、社長を挿げ替えて新体制にした方が良いのではないかと幹部は考えるようになった。
今の社長は無能で、心優しいだけの男だ。変えたところで業務に支障は出ず、寧ろ本当に幹部達がしたかったことがこれから出来るようになるだろう。
そう告げられ、彼女の父親も限界まで追い込まれた。故に後で手痛いしっぺ返しが来ることを覚悟に、強引にヴェルサスと繋がりを作ろうと画策したのだ。
「既成事実を作れって、父が言ったのよ。 あんたはヴェルサスに所属しているから、私と肉体関係になればそれを使って援助を見込めるだろうって」
「――――いや、馬鹿なのか?」
全て言い終えた彼女の言葉を頭の中で咀嚼して、出て来た蓮司の言葉はコレだ。
馬鹿であり、愚かであり、無謀である。
蓮司と陽子に肉体関係を結び、既成事実を作っても別段ヴェルサスが助けはしない。フォートレス側が何かを用意してくれるかもしれないが、経営を手助けする程のものを用意してはくれないだろう。
フォートレスは急成長を続ける会社であるものの、規模で言えば依然として彼女の会社の方が大きい。
そこまでを考え、彼は嫌な想像が脳裏を巡った。
一般的に、このような問題が起きた場合に責任が重いのは男性側だ。
如何に男女平等を謳ったとて、女性の方が性被害の度合いとしては重い。男は快楽を純粋に楽しむことが出来るが、女性には妊娠の危機があるのだ。
故に、既成事実を作った上で拒絶すれば悪いのは蓮司になる。そして、彼女の父は蓮司に高額な慰謝料を請求することだろう。
それが一体どれだけの額になるかは解らない。しかし、弁護士に頼んで可能な限り奪い取ろうとする筈だ。
しかし、それで経営が改善されるとも思えない。
ならばもう一つ噛ませるのだ。更に政府も混ぜ、ヴェルサスに対する攻撃を行う。
潜在的に未だ反ヴェルサスの思想を持った者達は存在し、彼等を焚き付ければ動くのは確実。
ヴェルサス側は彼を切り捨てるだけで問題解決とはならない。
再度大きく世論を動かせる事態が起きるだろう。つまりこの一瞬の出来事が、忙しいヴェルサスとフォートレスにダメージを与えることになる。
「……そういう、ことかよ」
予測に過ぎないが、その予測に蓮司は確信を抱いていた。
――ならば、彼の怒りが噴火に達するのは自然である。
下手人は彼女の父ではあるまい。そのようなところまで彼女の父が考え付くとも思えず、次に浮かぶのは会社の幹部連中。
社長の座を交代させるのも蜥蜴の尻尾切りだ。責任を全て押し付け、自分達はただ甘い蜜だけを吸うつもりなのである。




