逢瀬 3
着いたのはカズキと顔を合わせた庭園だった。休息用に立てられた、日よけの屋根の下へ入り、雨空を眺めていた。コウノは庭園に着くなり、人を呼びに行ったまま戻ってこない。黄昏にはまだ少し時間はあるが、雨のせいか周囲はほのかに薄暗い。
始めは静かに待ってはいたが、コウノは戻ってくる気配を見せない。あまりにも遅いとは言わないが、コウノの屋敷のように気を緩めてぼーっとできるほど暢気でもない。仕方なく近くの草花の群れを見たり、池を覘いたりと時間を潰すしかない。
(カズキ相手でもないだろう、サザノリ殿とも言い難い)
貴族、殿上人、その中でも恐らくは上流、王族、アギノよりも気さくにはできない相手だろうと思うと気が重い。ここ数日、アギノとは別に貴族達から宴や茶会の誘いが多かった。それに対しては困惑ばかりだったのは当然で、噂であろうとなかろうと貴族は無法者へ冷やかしを含めた誘いだろうとしか思っていなかった。
コウノもイブキもそうとばかり思っていて、コウノが誘いを持ってきても今までは簡単に断ることができていた。イブキは腹の中に溜まっていた重い空気を一気に吐き出した。気を揉んでいても仕方がない。さっさと会ってさっさと帰ろう。
小さい橋の真ん中でぼうっと池を眺めていたが、それを止め屋根の下へ戻ろうとしたところ、いつの間にか妙齢の男がイブキを眺めていた。
人の気配に気付かないほど、憂鬱だったのだろうか。少しばかり気の緩さを後悔した。イブキが心なしか動揺をしている中、男はふっと笑顔を向けた。
「何をしている」
「……人を」
声を出して、慌てて言葉を詰まらせた。位の高い身分であれば、下の人間と話すだけで穢れだのなんだのと言ってくる。
「その池にはなにも居ない」
男の言葉に、イブキは頷いた。けれどイブキは益々、動揺しうろたえる。男が優雅な動作で近づいてきた。
「名は」
「あたしとしゃべると穢れるよ」
それだけ、捲くし立てるとイブキは様子を見ながら後ろへ身を引いた。
「アギノはいいのかね、カズキは?」
その名を聞いてイブキは硬直する。彼もまたその位を持つ人物なのだろう。腹を括ってイブキは、身を引くのをやめた。
「寛大に受け止めれくれると有り難い」
イブキの言葉に男はホッとしたような顔をする。
「名は」
「……イブキ」
男がイブキの隣まで、橋を渡る。
「すまないな、私は名を名乗ることを許されておらぬ」
「いいよ、その方が気が楽だ」
欄干に肘をのせ水蘚の浮いた池を見下ろした。
「見ていて楽しいか?」
「気が紛れる。ここは綺麗な物が多いし」
男は驚いたように、目を丸めイブキを見つめる。
「綺麗かね」
「人の手が加えられて綺麗になる事だってある」
この庭は人工的だが嫌いではない。その中で生まれる美しさは、手入れをしている人間の誠意の現れがイブキの目を楽しませる。
「森では咲かない花がある。森では鳴かない生き物が居る。それを見るのは楽しい」
「人の手で閉じ込められた物だとしてもか」
「……その中で生きられる種であるのなら、その種は懸命に生きるだろう」
男は自嘲気味に笑いを零す。
「では、生きられぬ種は滅べと」
「そこまでは言わないけど。……生き物はそこから逃げようとする本能がある」
「間に合わぬ」
「……ならそこで死ぬまで咲き誇ればいい。それを醜いと言われてもそれしか方法がないんだから。あたしはそう言い聞かせて生きてきた」
「そうか」
男は少しだけ残念そうに、肩を落とした。
「私は諦めた。諦めたからこそ、羨ましかったのかもしれないな」
イブキに話しかけたのではなく、ポツリと言葉を足元に落とすように呟いた。イブキは肩を竦めるしかない。様々な生き方があるからこそ、一概にこの生き方が正しいとは言えない。
「まぁ、それが良いか悪いかは別だけどね」
男が不意に、身を屈め胸元を強く握り締める。
「ちょっと」
男の唇から少し血が滲み零れ、足元の木目に染み込んだ。
「屋根のあるところに行こう」
男に肩を貸し、屋根下にあった席にゆっくりと座らせる。
「平気かい?人を探してこようか」
「構わぬ」
イブキの腕に添えられていた手が、強く掴みこむ。引き寄る形で男はイブキの肩元に顔を埋めた。
「ちょっと」
慌てて身を引こうとしたが、男の掴む力は少しの抵抗では解くつもりはないらしい。かと言って、病人を乱暴に扱ったら、イブキのほうが悪人だ。何も言えずただ黙っていると、息を詰まらせながら、呼吸をする音が耳に届く。
「平気かい?」
「……ああ」
掴んでいた力が少しだけ緩んだ。それにほっとして、イブキは緊張を少し解いた。それが間違いだったのは後の祭り。男と距離を取ろうとほんの少し抵抗していた腕が払われ、男はイブキの胸元に顔を埋めた。
「ちょっと!」
イブキの抗議に改さず、腕の力を強めた。
「女とはこうも温かなものだったか」
男の肩に腕に、引き剥がそうと躍起になるが、抵抗すればするほど男はイブキに身体を委ねる。
「いいかげんに!!」
「イブキ」
男が声を潜めた。
「お前の父親はケイガではないか?お前の母親はキサラではないか?」
不意を突いた言葉に隙ができ、男に押し倒されてしまう。こんな辱めは初めてだった。
「知らないよ」
「誰しも、親はいるだろう」
「知るもんか!どけ!」
イブキの何が、男にこんな行動をさせたのだろう。イブキは怒りと困惑で冷静さがなくなっていく。それに拍車をかけて、親の名を聞く。母の名は知らない。けれど、父親の名は確かにケイガだった。
「私の元へ来ぬか。本来ならばお前は、王族の元で生きる存在だ」
「ちがう!!」
「イブキ」
「勘違いするな!お前ら貴族は物珍しさにあたしを見るんだ!そりゃそうだろ!!戦場で剣を振るい大の男共を殺して!女じゃない!」
「イブキ。私はけしてそのような目では見ておらぬ」
「お前に添う女は五万といるだろう!」
抗う手を押しのけ、男はもう一度イブキの耳元で言葉を囁いた。
「お前ほど美しい女は知らぬ」
羞恥と怒りでイブキは思考が止まった。抵抗の力がなくなって、男は強く女の身体を抱きこんだ。
「私の元へ来い」
「離せ」
「イブキ」
「くどい」
「お前が来れば、アギノもカズキも喜ぶ」
「関係ない」
関係ないと言葉を聞いて、さすがに男も動揺したのだろう。覆いかぶさっていた身体が微かに離れた。
「可愛くはないのか」
「あの二人にあたしは必要ない」
「そんなことはないだろう」
「ないね。あんたみたいに慰みに寄って来られちゃ迷惑だ」
「……慰み、か」
今度は身体を離し、イブキを開放した。
「確かに。一夜だけでも願いたいほどだ」
この男は本気なのだろうか。理解できずイブキは唇を噛んだ。
「お前に許された男が羨ましい」
「居るわけないだろ」
「さて、な。お前は権力には押されないというのは分った」
男は静かに立ち上がり、小雨の降る中外へ出る。
「これ以上は、お前を籠に閉じ込めたくなる」
そう呟いて、男は静かに去っていった。置いてかれたイブキは、腹立たしいやら悔しいやら。男の最後の言葉に得も言えない寒気も微かに残った。男とはああいうモノなのか。知らない。分らない。理解できない。ただ、イブキに関わった男達だってイブキを理解していない。
イブキは言葉にならない恐怖が湧いて出る。もしカイに身を委ねたら?もしあの男の女になったら?コウノに全てを許したら。そこにはもうイブキは居ない。そんな恐怖しか出てこない。あの時、あの男を殺さなかったら。父親の言葉に従わずに着いて行かなかったら。
ああなんて身勝手なんだろう。
イブキは誰かの為に生きてきたことはなかったと、愕然とする。両手で顔を覆い自我の強い自分を呪いたくなる。こんな醜い自分は、誰かの為に誰かの手を取ることはない。こんな罪深い人間を、誰が許すというのだろう。
今までは全て自惚れだ。自分のためにしか生きられないなら、全て自己満足で満たそう。




