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逢瀬

 耳を掠めた少年の声に男は顔を上げる。姿を見ることはできなかったが、少年があのように声を上げたのを初めて聞いた。顔を合わせれば、力強い目を向けるが会話は少ない。けれど幼いといえども、背筋をのばし大人顔負けの堂々した態度はとても頼もしく感じる。

 己が不甲斐ないばかりか、本来ならば母親と静かに暮らしていたはずだったところを、戦に巻き込まれ果ては、国の重責を負う身を選ばせてしまった。

 しかし……。筆を置き、肩の力を抜くように息を吐くと、鈍い痛みが胸を叩いた。いつこの身が滅んでも可笑しくはない。咳き込めば、日増しに唇に着く血の量が増している。けれど男には死への恐怖が薄れていた。失うものも恐れるものも、男には何一つ在りはしなかった。

 少しだけ呼吸が浅くなってくる。直ぐに続けて咳き込めば、胸は絞られたように痛み、唇の置くから、一筋赤い雫が垂れた。懐紙で拭い、呼吸を整え始める。


 この苦痛からどうすれば早く開放されるか、それだけが脳裏に過ぎる。


けれど少年の声がとても鮮やかに聞こえる。それは眩しすぎるほど。羨ましいほどに輝かしい声だった。物静かと思ったのは始めの頃だけで、この場所特有の空気にただ強張っているだけだと気付いたのはつい最近だ。人気のない場所で、時々武官と剣の稽古をしているのを見かけてから、彼の歳相応の様子を知った。

 勝つために行っているのではなく、ただ延々と打ち合いをしている。それだけでも楽しいのか、武官に挑んでは受け止められ、挑んではあしらわれの繰り返しを飽きずに続けていた。


 イブキと名を呼ぶ。男の笑い声が聞こえる。外の情景は己を置き去りにしてなんと鮮やかなことだろう。






 サザノリは声を詰まらせた。外へ出ることすら儘ならないというのに、人に会いたいと言われるとは思わなかった。いままで外へ、人へと興味を持たなかったというのに、いったい何事かと、扇の下で焦りを隠す。

 それは隣に座っていたヨシザネも同じだったらしく、彼は何かと理由をつけて止めようとしている。

「サザノリ、お前はどう思う」

「……良いとは申せませぬ。殿上人ならまだしも、地下人と会うなどと」

「カズキは、よいのか」

「殿下と比べてはなりませぬ。御身を思えばこそ、微かな不浄も受けては……」

「……わかった。下がれ」

 その一言で続ける言葉を遮られ、サザノリは口を結ぶ。悪い傾向ではない、けれど相手が悪い。カズキの影響ではあろうが、位の持たない者と会うなどと、彼の威厳にも関わる問題。民草に愛されるのならまだいい。だが、それを好くは思わない貴族は必ず在る。

 彼が去った後、サザノリはしばらくは動けなかった。




 アギノから貰った文に目を疑い、コウノの言葉に耳を疑った。噂で持ち上げられたからといって、イブキ自身はそれに甘んじるつもりもない。貴族達との線引きは弁えているつもりだが、アギノから送られた文からは上品な香りがふわりと漂い、綺麗な文字は見惚れるほどだ。

「……無理。無理、むり。カズキに誘われたって行かないよ」

 アギノからは茶会の誘いがあり、急いで断りの返事をしたためて使いの者に渡したところだった。コウノが言うには、功績を挙げた貴族達へ国王陛下が自ら労いの宴を開くとのこと。

「お前が呼ばれても可笑しくはないが、噂を事実としているわけではない」

「だろー?断ったら、捕まるの?」

「いや、さすがにそこまではないが」

 コウノも訝しげに眉を寄せている。

「陛下の容態は芳しくない。宴を開く余裕もないはずだ。サザノリ様が頷くはずもない」

 それには曖昧に相槌を打つ。イブキからすれば雲の上の話だ。辛うじてカヅキと繋がりがあるくらいでも、諸々と理由付けすれば関わりなどなくなるほど脆い物だ。

「なんであたしの名前が出るのさ、そこで」

「お前は殿下の命を守り、逆賊の王を討ち取った」

 討ち取ったと聞くと、イブキは顔を歪めそっぽ向く。

「まぁ、腹癒せではあったけど。美化されるのは好きじゃない」

「それは無理な話しだろう。結果、叛逆は静まり都を脅かす数は減ってきている」

 久しぶりに、大きな溜息がイブキの口から零れた。

「作法もなにも知らない無法者が、そんな所に行ける訳ないだろう」

「覚える気があるなら」

「ない」


 イブキの身体がゆっくりと崩れていく。床の上に寝そべり中庭を眺める。イブキの不貞腐れた心情を笑うかのように草花は清々しく風に揺れている。コウノは何も言わず、そんなだらしのないイブキを見下ろしていた。

「そろそろいいかな。カズキにも会えたし」

「……それに関しては、もうしばらく待ってもらう」

 イブキは慌てて身を起こす。

「なんでさ」

「殿下も一度は戻られるそうだ」

「別に、あたしと一緒じゃなくたって」

「大行列でお前の村に行っていいのか?」

う、っとイブキは身を引いた。狭い山道に大人数ひしめき合い、山を登って村の入り口に集まられたら、それこそ村が襲われると混乱になる。

「あーうー」

 イブキが頭を抱え奇声を上げる。都人との関わりを避けようと模索しているようだが、早い限界が来ているようだ。

「今回の宴に関しては、断りを入れておく」

 コウノは颯爽と立ち上がり、部屋を出て行く。どうやらその返事を聞きに戻ってきただけのようで、自分の屋敷だというのに休む様子すら見せずに門をくぐっていった。

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