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カズキ

 昼間か夕刻か、コウノが一度だけ顔を見せ出て行った後、コウノは部屋に来なかった。その代わり、女房が二人イブキの手当てを行った。それにはやはり驚いたが、コウノも忙しいだろうと、一人になってからぼんやり天井を見上げた。

 意識しないようにと心がけていたが、指は口元へと動く。カイがしたときよりも柔らかく、随分と温かった。男が、男達がなぜイブキにこんな事をしたのだろう、分らなかった。けれど聞くことが嫌だった。怖いのではなく、自分が弱くなったように思えて悔しかった。

 何を考えていたのか、暗い顔をしたコウノの顔だけが目の裏に残る。どうかしたのかと聞いても何も言わないまま、コウノは出て行った。

 信用もないイブキに彼が口を開くことはないと分っていても、イブキはコウノの言葉で心は軽くなった。コウノのように、イブキが彼の気を軽くすることはできないだろうが、イブキとて、感謝のお礼をしたかった。かと言って金も何も持っていないイブキに、何をしてやれるだろう。これでは何も返せないまま、村へ帰ることになってしまう。

 ない知恵を探っても、知らず知らず思考がずれていく。指が唇をつまむ。なぞる。気付いて、止める。の繰り返しだった。


 そうして五日が簡単に過ぎていた。コウノはイブキが起きている時に来ることはなくなり、代わりに、貴族の娘が出入りするようになる。一人はマノ、一人はマノの母、一人はいつか人攫いから助けた姫君、アギノだった。そこに数名の女房も混ざり、時々、小鳥と呼ばれる少女が混ざり、イブキは飽きることがない日を送っていた。

「まぁ、それでは。全然お会いしていないの?本当、コウノ殿も気が回らない」

「いや、彼も忙しいでしょうし」

「それとは別問題ですよ。殿下もいつお会いできるかと楽しみにしていらっしゃるのに」

「いや、いや。なおさら会っちゃ……身が持たないよ」

「気を揉まずとも。気兼ねなくお会いできるようお手配できますわ。可愛い従兄弟のためですもの。このアギノにお任せくださいませ」

「いやいや。そこまで世話になるわけいかないし、あたしよりミツカね……いやミツカ様とお会いした方がいい」

「そうはおっしゃいますが」

アギノは少し顔を曇らせる。

「やはりまだ皇后様のお力が強いのですよ。今、ミツカ様が戻られては、また心を痛めてしまいますわ」

 それを聞くと、イブキも気が重い。

「か、で、殿下は何事もなく?」

「ええ。まだお若いのに、しっかりなさって」

「陛下も将来が楽しみだとお喜びになられていましたよ」

 陛下、と言葉を聞いて胸を撫で下ろす。都の王が後ろ盾なら心強いものはない。

「イブキ殿も、やはりお会いしたいでしょう。コウノに頼まずとも、私にお任せなさい」

 華やかな扇がアギノの口元を隠す。マノたちは頼もしいとばかりに喜んで微笑んでいた。




 傷口がようやく塞ぎ痛みも弱くなった頃、イブキは女房二人に湯殿に連れてかれた。いつかみた光景がよぎるが、大人しく身体を洗われる。前とは変わり、随分丁寧に長い時間をかけて洗われ、湯から上がる頃には足が少しだけふらついた。

 着せられたのは正装ではなく、普段に着ていた衣だった。化粧もせず、ただ髪は女房達に整えられ、いつの間にか待機していた牛車に乗せられる。

 中には誰もいない。イブキだけが乗り込み、どこ知れず牛車は動き出した。


 牛車の歩きが止まり、出入り口から声がかかる。牛車から降りると、広い庭園だった。箇所箇所に花の群生があり、人が歩くところには綺麗に砂利が敷き詰められ、ところどころに小さな橋を架けた池があった。案内された庭園の真ん中に、コウノと数人の貴族と貴族の衣を纏ったカズキがいた。カズキはイブキに気がつくと周囲も気にせず駆け寄った。

 身体に軽い衝撃が当たる。カズキが遠慮もせずに抱きついていた。身体が傾いて、カズキごと地面に倒れる

「いぶき!」

慌ててカズキが起き上がり、男が数人駆け寄ってきた。けれどイブキは、声を出して笑ってしまう。

「なんだぁ、随分、でかくなってたなー」

「イブキ」

座ったままのイブキに視線を合わせ、カズキは膝を付いて不安そうに顔を覗く。そのままイブキはカズキの頭を撫でる。

「でかくなったな。凄い、驚いた」

 いつまでも撫でられるのが嫌だったのか、カズキは頬を染めて立ち上がった。イブキも立ち上がろうとしたとき、コウノに身体を支えられる。

「イブキ殿か……」

 初老の男が目を細めて、穏やかに眺めていた。

「いや、昔の知り合いによく似た男が居てな。私はサザノリと申す」

「イブキだ。礼儀を知らないで悪いが」

 それには軽く手を振った。

「構わない。我らは殿下の護衛。気を使わずしてよい」

「……有難う」

 その言葉を聞いて、カズキはまたイブキにしがみ付いた。

「カズキ、子供じゃないだろ」

 けれどしがみ付く腕の力は強くなっていく。諦めて、イブキもカズキの髪を何度も梳いたり、背を軽く叩いたりした。

「いぶき、よかった」

「ん。あたしゃ丈夫だよ」

「うそつき」

「嘘じゃないさ。風邪は引いたことない」

「うそつき」

「嘘じゃない」

 段々、腹部辺りが湿ってくる。泣いている、と分ってイブキもカズキの身体を抱きしめた。

「お前が立派になったって聞いたぞ。これじゃあ、どっちが嘘だかね」

「……おれ、王様になるよ。絶対。なる。決めたんだ」

「うん」

「誰も、戦わなくていいように。イブキが、村の皆が、幸せになれるように」

「うん」

 しがみ付いていた腕が少し緩んだ。

「ごめんなさい、イブキ」

 イブキはカズキを離し、しゃがむ。濡れて赤くなった頬を、手の平で何度も拭った。

「あたしに言うな、姉さんにちゃんと言え。いいな」

「うん」

 イブキは嬉しくなる。心の蟠り、ミツカへ残っていた罪悪感がすっと消えていった。

「よし。さすがカズキだな」

 カズキの頭をかき回して言うと、カズキは少しだけ目を丸くした。

「……イブキが初めて褒めた」

「そうか?」

「うん」

 イブキは少し考えた。

「木登りが一番でも、狩りで大きいの獲っても」

「褒めていい気になったら怪我をするだろう」

 ポンポンと軽く叩くと、不服そうに口を尖らせた。

「あたしが褒めるのは、あんたが正しいことを選択したときだ、カズキ」

 手を離し、カズキを見つめれば、幼さがぐっと薄れた目があった。

「今のお前は、誰もができる答えじゃない。村へ逃げることもしないで、ちゃんと怖がらずに選んだ答えだろう。あたしは、あんたを誇りに思うよ」

 幼い身体を抱き寄せて、力一杯抱きしめた。その顔に寂しさも空しさもなく、ただ溢れ出る喜びだけに染まっていた。

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