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コウノとイブキ 6

 翌日、イブキは身体中が軋むほど熱が上がった。顔に水で冷やした布を置かれ、コウノに手早く、傷の手当をさせてしまった。

「開いているぞ。馬鹿者」

「どーせ、馬鹿です、よ」

 口だけ尖らせる。顔に当てていた布が取られ、直ぐに、冷たい布がかぶさってきた。

「大人しくしていろ、いいな」

「ご迷惑はかけませんー……もう無理」

「誰であっても無理だ」

 ふっと溜息を吐く音が聞こえる。

「悪かったって」

「もう慣れた」

「あたしは無理」

「……何が」

「世話になるの、やっぱり無理」

沈黙が流れる。ふと、唇に柔らかいものが当たる。イブキはそれが何か分らなかった。

「寝てればいい」

「……そうする」

 熱で気持ちが悪い。傷がぐずぐずと痛い。ああでも、この屋敷の静けさは好きだった。一人だと言うのに寂しくはない。必ず、この屋敷の主人は帰ってくるから。小さい頃はずっと村に帰ることすら嫌だった。父とは別に住んでいたが、父が死んでも居心地が良くなったと感じるようになったのは、ミサカたちが来た頃だった。毎日が楽しかった。ミサカも楽しんでいただろうか、ミツカは寂しそうな顔をしてないだろうか。男達がいなくなって、女達は大変だろうか。誰かは戻ってきているだろうか。そんな事を考えているうちにイブキは深く眠っていた。



朝から薄暗い雲が隙間なくひしめき、昼前にはしっとりとした雨が降り出した。茶会も歌会もなくなり、仕事も片付いたので、早めに帰るつもりで仕事場を出ると、扇の下で笑いを堪えたセトに掴まった。牛車がわざとらしく、ゆっくりと軋みながら歩いていく。


「娘さんの様子はどうだい?」

「言う事を聞かない程度だ」

 セトは喉で笑い、肩を揺らす。

「それよりも、なぜお前の娘が来るんだ?」

「んん?うちの娘が悪いわけないだろう」

「そうじゃない」

「お前が人を入れないから、わざわざ心配してマノが出向いたのだよ。そのお陰で娘さんも見つかったことだし」

「見つけたのは検非違使だ」

 不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、口を閉じた。

「無事でよかったじゃないか。マノも妻もぜひ娘さんと話してみたいと言っていたよ」

「礼儀作法は皆無だぞ」

「そのくせ、お前は随分可愛がっているらしいじゃないか」

 そんなつもりはなかったが、自分の今朝行った行為を一瞬思い出す。

「うちが紹介した小鳥、素直で可愛いだろう?娘も妻も気に入っててさ、もう少し大きくなったら屋敷に上げてみようかって言ってるところ」

 それを聞いて、コウノはセトを睨みあげた。

「結局、お前か」

「何がかな?ひっひひ」

 扇がコウノに向けて扇がれる。不愉快な風が耳元に届いた。

「お前がよければ、女房の一人二人、紹介してあげるよ?お前よりも、娘さんに必要だろう」

 それは理解している。手が回らないのもあるが、そんなのは言い訳だった。

「そんなに人が嫌かね」

「さぁな。ただ」

 言葉が詰まる。なんて言えばいいだろう。けして孤独が好きなわけではなく、イブキを屋敷に置いてから、屋敷の空気が変わったのも事実。イブキがいなくなったと聞いたとき、喪失感と共に、微かな絶望感を味わった気がした。誰一人戻らなかった屋敷にたった一人居るだけで、こうも手放しがたくなるのは傲慢な感情なのだろうか。けれど、けれど。彼女は帰る場所がある。そう考えると、我欲は冷静な判断に抑制される。


「おれが得ていいものじゃない」

 扇が大きい音を立てて閉じる。

「なっさけない」

「……ほっといてくれ」


 一向に目的地に着かない牛車から無理やり降りて、誰も歩いていない道を歩き始める。牛車は静かに方向を変えて、コウノから離れていった。


 もう少し。もう少しだけ、彼女を手放したくはない。あと数日だと限られていても、その間だけでも、共に居たいと感情が湧く。コウノはけしてその感情に驚いてはいなかった。イブキと初めて会った時に惹きつけられたのは自覚していた。

 御簾の奥で身を潜め、扇の下で囀るように笑う都の娘とは違う美しさがあった。口を開けば生意気で乱暴な言葉を使うが、人を騙すことができない純真さがあった。育ちが悪いと一括りでは言えない最低限の礼儀も、善悪の判断も持っていた。

 村娘の枠にはけして嵌らないイブキを、知りたいと思えば思うほどコウノは自制が鈍る。

(どうかしている)

 これを狂気と言わず、なんと言うか。セトは勿論のこと、誰にも言えはしない。けれどあと数日、数月。己が狂ったとき、イブキは蔑む目を向けるだろう。そのとき自分は抑止できる自信はなかった。

(どうか、してる……)


屋敷に着いて、濡れた衣もそのままイブキの部屋の前まで来る。今日は御簾が降りていて、中を覗けば静かに寝息が聞こえる。

 イブキの横に腰を下ろし、そっと頬を撫でる。汗で微かに湿った頬に、雨で濡れた指は簡単に滑る。

「いずれ、帰るというのに……」

 そのまま輪郭をなぞり首筋を撫でる。

「引き止めるなど、できるものか」

 ひくりとイブキの喉が動く。柔らかな唇がコウノと擦れた声と共に動く。コウノは身を屈め、味わうように、今朝と同じくイブキの唇を啄ばんだ。

 イブキは目を開いていた。熱か、口付けの行為で染めたのか、赤い頬に雫が一つ落ちた。

「……濡れてる」

「ああ。そうだな」

 イブキは寝ぼけているのか、静かにコウノを見つめている。

「どうか、したの?」

「……ああ、そうだな」

 イブキが寝返りをうって、身体をコウノの方へ向ける。

「今帰ってきたのかい?」

「ああ」

「じゃぁ、おかえり、だな」

 気恥ずかしげににっと笑うと、手を伸ばしてコウノの髪を梳いた。

「着替えてきなよ。随分、濡れてる」

 返事はせず、コウノはじっとイブキを眺めていた。

「どうした」

「……気が可笑しくなりそうだ」

 ふっと肩の力が抜けて、コウノはやっと強張った顔を緩めた。コウノの言葉に訝しがって身を起こそうとしたイブキの肩を床に押し付けた。

「大人しくしていろ。なんでもない」

「う、ん」

 立ち上がって、部屋を出て行く。背後で寝返りをうつ音が聞こえた。

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