コウノとイブキ 3
日が昇る前にコウノは屋敷を出て行く。出かける前に必ずイブキの部屋の様子を見、戻れば先にイブキの部屋に顔を出す。それを教えてくれたのはこの屋敷に出入りしている少女だった。
この屋敷はコウノだけが住み、世話の人も入れないのがほとんどらしく、イブキが来てから少女は呼ばれたそうだ。
「そんな早い時間から来てるのかい?」
「たまに。今日もたまたま、でございます」
少女は高坏に持ってきた果物を山盛りと置く。
「おくさま、今日はびわがいいのが入りまし、た。えっと、よろしければご賞味ください、ませ」
「……うん、有難う」
たどたどしく、けれど一生懸命に言い直す様子を見ると、なんと言って誤解を解こうかと悩んでしまう。
「いいよ、普通にしてて」
「でも、」
「あたしも、本当はここの人じゃないから」
「そんな!やっと帰ってきたとばかり!」
「や、や。都の人間じゃないんだよ、あたし」
「お、おはなしはうかがって、おります!太子様の義姉さまで、ずっと太子様を守るために、偽王のところにいらっしゃったと!」
熱のこもった目線を輝かせ、イブキを見つめる少女は少しだけ楽しそうだ。
「だんなさまが、先の戦で、お二人をお救いしたと、いま都中で持ちきりなんです!!だんなさまがずっとおくさまを屋敷に呼ばなかったのは、ただ呼べなかっただけで、偽王の男に捕らえられていたのだと……」
素敵です!と息巻いて、少女は夢見心地に目を輝かせる。
「……うん、美談だ」
腹を抱えて笑いたい話しだが、傷がまだ疼いて上手く笑えない。あと少しこの状態が続くのかと思うと、イブキは少しだけ勿体無い気がした。
「おくさまは、だんなさまのことが、おきらいですか?」
その質問に、堪えていた笑いが止まる。考えたこともなかった。彼が悪い人間でないことは確かで、気を許しているところはある。けれど、それ以前の問題だ。彼の身分はいい、イブキはどちらかというと罪人だろうし。
「その前に、不釣合いだしな」
女以前のイブキより、都のたおやかな娘とのほうがお似合いだろう。
「なぜですか!どうしてですか!!あんなに仲がよいのに!」
「……いいかな?」
それを聞き返すと、少女は顔を真っ赤にした。
「わ、わ、わたくしは、うかがいしらぬところにご、ご、ございます!!」
少女があまりにも慌てて、逃げようとするものだから、イブキも慌ててなだめに入る。
「ご、ごめんごめん。逃げないで。貴女が居なくなったらつまらない」
「あ、わ、わ、わかりました」
少女を縁側に座らせて、びわを一つ剥いて渡した。
「今日のお礼。もうちょっとお話し聞きたいから、もう一個」
皮を剥かないで、少女の手の平に乗せる。
「だ、ダメですよおくさま。ちゃんとお代は貰ってます」
「だめ?」
「だめです」
「でもこんなに食べられないから、貰ってね」
「……おくさま、寂しいですか?」
「んー?んー……」
寂しいという言葉ではない気がする。けれど今、空しいとも思わない。村のことを考えると、罪悪感が少し湧くだけだろうか。カズキは地位が確立したのなら、守ってくれる人も出てくるだろうし、そんなに心配はない。
「わかんないなぁ。……ふふ。へんだね」
少女はそんなイブキに気落ちした目を向ける。けれどすぐに皮の剥かれたびわを口に放り、勢いよく立ち上がる。
「わかりました!おまかせください!わたし!がんばります!」
「あ、うん。忙しくないときに来てくれればいいよ?」
「はいです!」
少女は屋敷を飛び出して、いつも目をかけてくれる、もう一人の女性のところへ駆け込んだ。歳は若いが素養もあり気品は勿論、貴族には中々いない慈愛を持ち、市民の中でも評判の姫君様だった。
「あら、お嬢ちゃん。こんにちは」
この屋敷の女房たちとも顔馴染みになり、少しではあるけれど商売をさせてくれる。
「こ、こんにちわ!あの、先ほど、コウノさまのおくさまのところへ、う、うかがったのですが」
「あら。あらあら、まぁ!それで?それで?」
「おくさまがとても寂しくして、いらっしゃる、ので、ので、えっと、何か、できること!教えてください!」
「まぁ。それはお可哀想に」
御簾の向こうから、若い声が聞こえる。
「こちらに戻られても、なかなかコウノ様もお忙しいでしょうが……それはいけないわ」
声がひそひそと会話をすると、御簾が少し動く。
「こちらの文を、父へお渡しくださいな」
少女は文を預かると、急いで彼女の父のところへ持っていった。
娘が可愛がる小鳥から文を貰ったセトは、娘の流れる字を二度読み直した。扇で口元を隠し、目元は動かさないまま、思案するフリをする。
コウノが女を屋敷に入れた話しは宮中でも話題だが、戦の前線に出ていなかった男達はその妻の顔を知らない。だからよけいに突かれているのを見かけるが、セトは助け舟を出さないで眺めていた。
妻ですらないが、都ではもう妻になっている。ここが職場でなければ笑い転げているだろう。彼女もとばっちりを食ってさぞ大変だろうが、面倒事を減らすにはそう合わせたほうが楽なのは楽だ。コウノも最初は否定の色を滲ませて、ただの噂と高を括っていたのだろう。ほぼ既成事実となりつつあり、彼も少し焦りを見せるかと思いきや、どこ吹く風と表情一つ変えなかった。
これでは、面白みが半分なのも事実。や、友人で遊ぶのも……と気を使っていた矢先、可愛い娘の知らせを貰ってしまうと、娘を優先するのが当然だった。
「いやはや。いやはや」
しかし、扇の下でにやけてしまうのは致仕方ない。
直ぐに返事を書いて、小鳥に渡す。
「ああ、これで飴でも買いなさい。それと、またよろしくね」
「は、はい!」
小鳥は嬉しそうに飛んでいく。それを見送って、セトはコウノの仕事予定を確認した。確か一泊またいで仕事が続いているはずだった。扇の下で笑いが収まらない。細君とともに酒を飲みながら話しをするのが楽しみで仕方がない。明日、あさって、くらいが話しが盛り上がるだろう。




