第二話:季節の移ろいと、執着の無意味
庭の蜜柑の木が、重そうに色づき始めた。
神無月も後半に入ると、京都の空気は一気にエッジが効いてくる。冷え込んだ朝の空気は、吸い込むだけで肺の奥がツンとする。これだよ、これ。この「冬が来るぞ」っていう緊張感が、たまらなくエモい。
俺が縁側で、少しばかり毛羽立った古い着物を羽織ってチルしていると、案の定、あの男がやってきた。信基だ。
今日はまた、一段と気合が入っている。
「ケンコーさん! 見てくださいよ、この庭。散りゆく木の葉、枯れゆく草花……あぁ、無常。マジ無常っすね。俺、昨日からずっと、この儚さに浸ってチルしてるんすよ」
信基は、いかにも「秋、理解してます」みたいな渋い朽葉色の直垂を着込み、あろうことか腰には萩の枝まで差している。うわ、出た。季節感をアクセサリーにするタイプだ。
信基の袖口から、伽羅の香がふわりと漂う。高い香だ。たぶん、昨日の自分磨きで必死に焚きしめてきたのだろう。だが、その香りは、冷えた庭の土の匂いとぶつかって、妙に浮いていた。
「……信基。お前、それ『季節のコスプレ』なんだよ」
「えっ、酷くないっすか!? せっかくマインドを秋に合わせてきたのに!」
「形から入るのは悪くない。だがな、お前のそれは『お行儀のいい無常』なんだよ。いいか、本当の『無常』ってのはな、そんなに綺麗にパッキングできるもんじゃねーんだわ」
俺は、蜜柑の一房を口に放り込み、その酸味で脳をシャキッとさせた。さあ、連想ゲームの開始だ。
「前にな、栗栖野のさらに奥にある山里を歩いてた時のことだ。苔が生い茂った細い道の先に、マジでミニマリズムを極めたような庵を見つけた。霧が深く立ち込めて、遠くで鹿の声が寂しげに響く……そんな場所だ」
俺は目を閉じ、あの時の情景を「ましまし」で思い出す。
「庵は古びていた。屋根も、壁も、庭石も、ぜんぶ時間に削られていた。なのに、庭にある蜜柑の木を囲う縄だけが、妙に白くて新しかったんだ。その新しさが、やけに生々しくてな。蜜柑の実は、枝が折れそうなくらい見事に色づいていたが、その周りは鳥一匹寄せ付けないように厳重にガードされていた。その瞬間、その場所にあった静寂は死んだ。一見チルしてる風を装いながら、『これは俺の獲物だ、一粒も渡さねーぞ』っていう、ドロドロした主の執着が透けて見えちまったからな」
「……囲いの縄だけ、新しかった」
信基が、自分の高い直垂の袖を、少し気まずそうに弄った。
「そう。人はな、手に入れたものを手放すのを死ぬほど怖がる。地位、金、そして若さ。いいか、信基。髪に霜が混じり始めても、まだ若衆のノリを引きずって、流行の歌や色に必死で食らいついてるヤツ……マジで見てらんねーだろ? 枯れていく自分を、どう乗りこなすか。そこにこそ、そのヤツの『底力』が出るんだわ」
俺は立ち上がり、庭の隅で色あせ始めた菊に目をやった。踏み締めた落ち葉が、グシャリと湿った音を立てる。
「時間はな、順番待ちなんかしてくれない。背後からフルスロットルで追い抜かしていくんだ。春が終わって夏が来るんじゃない。春の余韻の中に、もう夏の殺意が混じってる。だったら、過ぎ去るものを惜しんで泣いてる暇なんてねーだろ?」
「……俺、ただ秋っぽい服着て満足してました」
「蜜柑はいつか落ちる。葉はいつか枯れる。俺たちも、いつか誰かの記憶の中で、酸っぱい匂いだけ残して消える。だったら、囲うな。守りすぎるな。いま色づいているものを、いま見ろ。無常ってのは、失うための理屈じゃない。執着を脱いで、軽くなるための技術なんだよ」
俺は再び腰を下ろし、冷えたお茶を啜った。信基は、萩の枝を腰から抜き取り、手持ち無沙汰そうに眺めている。
「信基、その直垂、色は悪くねえ。でも、お前さっきから座り方が終わってる。膝が遊んでるし、間合いが甘い。雅ってのはな、布じゃねえ。立ち居振る舞いの『精度』なんだよ。次はそこからだな」
「え、服じゃなくて座り方っすか?」
「当たり前だろ。中身がないヤツほど、外側の装飾に頼りたがる。次は、その『中身を機能させるための戦略』について教えてやるよ。……あー、とりあえず、お前が持ってきたその高い酒、開けようぜ。無常を語るには、少しアルコールが足りねーわ」




