第一話:暇は資産、中身は顔
神無月の、死ぬほどチルい午後のことだ。
京都の端っこ、双岡の麓に構えた俺の庵には、今日も今日とてろくでもない秋風が吹き込んできやがる。庭の枯葉がカサカサと鳴り、カビ臭い畳の匂いと、微かに混じる焚き火の煙の香りが鼻をくすぐる。
「……マジで、やることねーわ」
独り言が、静寂に溶けていく。
かつては朝廷のキャリア組として、煌びやかな十二単の裾を追いかけ、出世街道という名のクソゲーを全力でプレイしていた時期もあった。だが、気づけば俺はすべてを投げ出し、この草深い庵で「隠居」という名の無敵モードに突入している。
世間じゃ戦の足音が聞こえるだの、政権がひっくり返るだのと不穏な噂が飛び交っているが、そんなノイズ、俺の耳には届かない。都の方角から微かに聞こえる牛車の軋む音さえ、どこか遠い世界の出来事のようだ。
俺は硯に水を垂らし、ゆっくりと墨を摺り始めた。
真っ黒な液体が広がると同時に、墨の冷たい香りが立ち上がる。この香りを嗅ぐと、脳の回路が一つずつ起動していくのを感じる。
何もすることがない。退屈で、死にそうで、最高に自由。
この「手持ち無沙汰」という名の資産をどう運用するか。
俺は筆を執った。
> つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
「……これこれ、この感じ。バイブス上がってきたわ」
筆を走らせていると、妙な昂ぶりを感じる。狂おしいほどの自己表現欲求。これぞクリエイターのサガってやつか。脳内に浮かんでは消えていく、マジでどうでもいい雑念を、そこはかとなく書きつけていく。
そんな時だった。庵の、今にも壊れそうな竹の戸を、遠慮もなく叩く音がした。
「ケンコーさん! います!? マジで相談したいことあるんすけど!」
入ってきたのは、信基という名の若手貴族だ。流行の烏帽子を斜めに被り、高い香を焚きしめた直垂を纏っているが、その顔はひどく歪んでいた。
「どうした、信基。顔色がドブネズミみたいだぞ」
「聞いてくださいよ! こないだの宮中の集まりで、狙ってた女の子に秒でフラれたんす。俺、精一杯の歌を贈ったのに……あの人、俺の歌を見て鼻で笑ったんすよ。そのあと、隣にいた冴えない蔵人と楽しそうに話し始めて。俺、そこで全部わかんなくなって……。結局、家柄っすか? 金っすか?」
信基は膝をつき、絞り出すような声で言った。その声の震えには、単なる失恋以上の、自己喪失に近い痛みが混じっている。
俺は筆を置き、墨の匂いが染み付いた指先で、信基の顔を指差した。
「あのな、信基。お前のマインドがブスなんだよ。それが歌にも顔にも透けてんだわ」
「えっ、ブス!? 俺、これでも結構ケアしてるし、歌だってトレンドを押さえて……」
「表面上のスペックの話じゃねーんだよ。いいか、耳かっぽじって聴け。人として生まれたからには、それなりに『中身』を磨かなきゃ、どんなに飾ってもダサいんだわ。」
俺は書きかけの紙を横に追いやり、信基に説教——いや、マインドセットを開始した。
「お前は『モテるための歌』を詠んだだろ? その下心が、透けて見えたんだよ。容姿がいいのはアドバンテージだが、中身が伴ってないヤツがイケメンぶってるのは、豪華な箱を開けたら空っぽだった時のがっかり感と同じ。特に、自分の専門分野を持ってない男は、マジで見てらんない。逆に、ちょっと顔が残念でも、その道に精通してて、自分の言葉を持ってるヤツは、唯一無二のオーラが出る。お前が負けたその蔵人は、お前にはない『自分の軸』を持ってたんだよ」
信基はぐぬぬ、と唸りながらメモを取り始めた。俺の思考は、さらに加速していく。いわゆる、連想ゲームの暴走モードだ。
「それにさ、お前のその部屋……いや、ライフスタイルも想像がつくわ。流行りの家具を並べて、成功者っぽく見せてるだけだろ? マインドが散らかってるヤツの部屋は、物理的にも散らかるんだよ。住まいを見れば、そのヤツの民度がわかる。 自分の美学がないヤツの家は、どれだけ金をかけても、魂の抜けた廃墟と同じなんだわ」
「……う。たしかに、部屋はぐちゃぐちゃっす」
「だろ? まあ、家の作り方については、また夏にでも嫌というほど語ってやるよ。今の季節に話してもピンとこねーだろうからな。とにかく、今は自分の『外側』を飾るのをやめろ。本物の言葉っていうのは、こういう暇な時間に、自分一人で自分と向き合って、脳内から絞り出したドロドロしたものからしか生まれないんだよ」
隙間風が庵を通り抜け、信基の焚きしめた香の匂いを、野趣溢れる土の匂いが塗り替えていく。
信基は、震える手で書き殴ったメモを見つめていた。俺の言葉は毒が強すぎるかもしれない。だが、この終わりの見えない混迷の時代、綺麗な言葉だけじゃ、魂の汚れは落ちねーんだわ。
「……ケンコーさん。俺、マジで間違ってました。まずは部屋の片付けから始めます。あと、なんか……自分の専門、見つけてみます。……まだ、間に合いますかね?」
不安そうに見上げてくる信基の頭上で、烏帽子が少し傾いている。
俺は、その歪んだ烏帽子を無造作に直してやった。
「おう。恥をかくことを恐れるな。ド下手なうちから『俺、これで行くんで』って開き直れるヤツが、最後には一番バズる。お前はまだ、自分のダサさに気づいただけマシだ」
信基は、来た時よりも少しだけ背筋を伸ばして、庵を去っていった。
再び訪れる、圧倒的な静寂。
俺はまた、硯に向き合う。
秋の陽が傾き、障子に枯れ木の影が長く、鋭く伸びる。
人はいつか死ぬ。この都だって、いつかは焼け野原になるかもしれない。
だからこそ、この「つれづれ」なる時間を、誰のためでもない自分のために使い切る。
暇は、空白じゃない。
魂が勝手にしゃべり出すまでの、助走だ。
俺は再び筆を濡らした。
終末京都の片隅で、誰にも頼まれていない人生ログが、いま始まった。




