第十六話 真が大事なのは、昔っからなの。私の世界で味方は、家族と真だけなんだから。
前回のあらすじ 『後悔。ただそのひと言しかない。真を、陽太を、そして自分を裏切り、傷つけた愚か者。…それが私、北条瑠璃』
離れていく身体。
一緒に心までが離れていくようで、胸の奥が…乾いていく。
息が浅い。
…苦しい。
「…真」
呟きが、私の意思と関係なく漏れる。
その声が耳に届いたのか、離れていく手が止まる。
僅かな躊躇。
それでも、もう一度その手を伸ばし、私の頬に触れる。
…温かい手。
この温もりに、私はどれほど焦がれていたのか。
頬から身体に向かって、真の温もりが広がっていく。
心地いい…
それと同時に、悲しさも。
『私は、この暖かさを裏切っていたんだな…』
そして、
別の暖かさも裏切っていた事も。
真の手が、頭を撫でる。
優しく、何度も。
私の涙が止まるまで…ずっと。
…
「…落ち着いた?」
無言のまま、私は小さく頷く。
真の顔を見られなくても、今どんな顔をしているのかわかる。
「瑠璃には、ちゃんと話さないといけないよね…」
声の中にためらいが籠る。
「…俺、さ…」
「…」
「その…しばらく、入院するんだ」
「…え?」
心臓が跳ねる様に打ち、その勢いのままに顔を上げる。
声にならない声を発しようと、口が戦慄く…。
『なんで?』なんて、間抜けな問いが口から洩れそうになる。
そんな事、今この現実を見なさいよ。
でも、そんなことも考えなければならない程に、今の私の目には何も映っていない。
真の現実も
未来も
不安も
何も…。
声も無く震える私に驚いたのか、少し慌てて言葉を続ける真。
「あ…あのね、検査入院だから」
「…検査?」
かすれ気味の声でも、私の反応が落ち着いていたからか、ちょっとだけ息を吐いてくれる。
「うん…こんな事になって、原因もわからないでは、対処できないからね。県外だけど、大きな病院で見て貰うことになったんだ」
「…そっか」
それは確かに。
ちゃんと原因がわかれば、元に戻る方法もわかるかもしれない。
少しだけ、希望が見えたかもしれない。
…でも。
わからなかったら?
原因も、元に戻る方法もわからなかったら?
真は、ずっとこのままなんだよ?
希望も何も、無くなってしまうかもしれないんだよ?
それでも…
「2週間くらいは、戻って来れないんだって…」
「2週間…」
それはどれほどの長さなのか。
真と私のこれまでで、2週間も互いの姿が無い時間なんて無かった。
私が、陽太と付き合ってた間だって、クラスでは互いが見えていたんだから。
それが、2週間も。
夕暮れは、もう終わる。
茜色の空も遠くなり、部屋の中にも闇の影が迫る。
電気を点けなければ、真の表情も見えない程に。
でも。
この時でなければ、次の言葉を継げなかったのだろう。
「…俺、戻ったら…別の学校に行こうと思う…」
「…え?」
何を言ってるの?
「…別の…学校?…転校するって、こ…と?」
「…」
薄闇の中、小さく頷く。
息が詰まる。
声どころか、息を吐く事さえ、今の私には出来ない。
心臓が跳ねる?
鳩尾が苦しい?
そんな生易しい苦しさであれば、どれほど良かったか。
全ての不快が身体の一点に集まり、それ以外の総てが緩んでいくような…
座っている事さえ出来ない。
目の前が歪み、気が付けば床が顔の前に跳ね上がる。
「瑠璃っ!!」
真の叫びが、ひどく遠い…。
…
『瑠璃っ…瑠璃っ…』
遠くから聞こえてくる真の声。
頭を撫でてくれる真の手。
あれ?
真の声…いつもより高い?
それに、触れる手も小さいし、撫でて…ない。
手のひらを押し付けてるの?
…何か持ってる?
『揺さぶっちゃダメよ!?…しっかり押さえててっ!』
『うぅぅ…うん…』
泣いてる?
真…泣いてるの…?
『瑠璃…瑠璃…しっかりして…』
心配してくれてるの?…私が倒れちゃったから。
そうよね。流石にショックが大きかったわ…。
でも、きっと悪い夢よね。
真が、私を置いてどこか遠くに行くなんて、そんなわけないわよね…?
ね?真…。
『瑠璃…起きてよ…』
『ダメよ。しばらくは、目を覚まさないわ…』
そんな訳ないじゃない。ほら、すぐにでも動け…。
『ねぇ…血が止まらないよ。瑠璃、大丈夫なの?』
血?そんな大袈裟な…。血?…頭…血が止まらない?
『真っ!救急車が来たわよっ!すぐに運ぶわっ』
『うん…うん…』
…
何?何なの??
これ、何がおこ…
あ。
これは、もしかして…私が海沿いの道から落ちた時…?
『こっちっ!こっちだよーっ!…瑠璃を助けてっ!』
でも、あの時は…
お喋りに夢中で、道とガードレールの間の隙間で足を踏み外して。
『きゃああああっ』
切り立ったコンクリート面を滑り落ちて。
『ガンっ!!!!』
波消しの花崗岩ブロックで転んだ…はず。
腿と頬を擦り剝いて、頭にちょっとコブが出来た程度…だったわよ?
そんなに大袈裟にするほど…。
『瑠璃っ!瑠璃っ!!わかる?俺がわかる??』
わかるよ、真。
まったく、心配性なんだから…。
あぁ…そっか。
この後、真は私にべったりだったっけ。
あんまり覚えてないけど、真以外はお父さんとお母さんくらいしか、会えなかったのよね。
仲の良かった子も会いに来てくれなくて、あの時は本当つまんなかったな。
…あれ?
すぐに退院したはずだよね?
大した事無かったって…。
でも、退院の時来てくれたのは、真と祐也だけだったような…。
あれ?他の友達は?
…友達。
真と祐也以外の友達…。
…?
あれ?
思い出せない…。
私の世界って、真だけ、なの…?
『…瑠璃』
「瑠璃…」
僅かに目を開くと、天井の電気が目に飛び込み、一瞬眩む。
見慣れた…それでいて、ここ暫く見ていなかった天井。
身体に伝わって来る、柔らかな感触。
真の匂いがしみ込んだ…落ち着く布団。
あぁ…。
私、真の部屋で…。
ふと見れば、心配そうな顔で私の頭を撫でる真。
…いや、違う。
頭の古傷に触れている。
優しい触れ方。
それでも…
「…真」
「あぁ…気が付いた?瑠璃」
「うん…」
「…良かった」
古傷に手を触れながら、優しく笑ってくれる。
温かさが心地いい。
「…真は、覚えてるの?」
「…何を?」
「私が、道から落ちた時の事…」
「…」
少しだけ俯き、私から目を逸らす。
…覚えてるんだね。
「私ね、全然覚えてないんだ…。あ、落ちたのは覚えてるけど、痛かったとかは、全然…」
「…そうだよね」
小さく息を吐いて、顔を動かして真を見上げる。
少し笑いながら、
「それに…今だからわかるけど、あの頃の友達…思い出せないんだ」
そう、呟くように。
「覚えてるのは、真と祐也だけ。他の人の事は、学校で会って…思い出したというか、覚えたというか…」
「…」
「あの頃の私には、世界で、家族と真だけが味方だったんだよ」
その言葉に苦笑いを浮かべた真。
すぐに聞き返してくる。
「祐也は?あいつは味方じゃなかったの?」
ちょとだけ笑って肩を竦める。
「うん。…真の隣に居たから、祐也は敵。…あなたの隣は…私の席なんだから」
目を閉じ、祐也の笑う顔を思い出すと、…今でも、ちょっと腹が立つ。
『なんであいつは、私より真の事がわかってるの!?』
…頭が痛い。
でも。
目を動かして時計を見れば、もう九時にもなろうとしている。
「…ごめん、帰らなきゃ」
布団から起き上がろうとするけれど、目の前が歪んで、頭がまた床に向かう。
寸でのところで真に抱えられるけれど、やはり動けそうにない。
「無理だよ。…今日は泊りなよ」
泊る?
高校生にもなって泊るだなんて…そんなの…。
「…真のえっち」
ちょっとだけ目を逸らして、拗ねたように呟いてみる。
「なんで?」
「だって、泊れって言うし…」
そして、モゾモゾと身体を動かして、ちょっとだけ背を向けて見せる。
「…私を泊めて、ナニする気?」
真の顔を見ずに、そんな事を言う。
…困るかな?
それとも照れて慌てるかしら。
多分、普段ならそのどちらか。
…でも。
今日の真は…違った。
背を抱くように布団に入られると、胸が大きく脈打つ。
背中越しに伝わる体温。
「…っ!?」
驚きもあり、すこしだけ顔を向けると、すぐ近くに真の顔がある。
「あ…ち、近いよ」
その言葉には答えず、少しだけ意地悪な笑みを浮かべて、人差し指で唇を押さえる。
「声出したら、父さんたちにバレるよ…」
真が…近い。




