第十八話 廃人様の“ありがた~い”経済のお話
それから数日間。
レットは闘技場での特訓と、IDでのレベリングを繰り返し延々と続けていた。
レベルアップによって使えるスキルは増えたものの、格上であるクリア以外のプレイヤーと戦う機会が無いためか、“自分が強くなっている”という実感が今のレットにはいまいち沸かなかった。
「開いた時間にやるのが“座学”っていうのが意外なんだよなあ。何事も実際に経験するのがオレとしては一番だと思っていたんだけど。そうじゃないのかな?」
そう呟きながら石造りの城下町のベンチに座った状態でレットが読んでいる本は、ユーザー作成のwikiを文章化した物である。
プレイヤー間で普及するその内容は余りにも膨大で本としての限界重量を超えてしまっており、索引をかけることでページそのものが新調されるという特別な仕様となっていた。
(どうして、このゲーム内じゃAI検索が使えないんだろう? 自力で情報収集をするしかないっていうのは古臭いっていうか――よくわかんないんだよなあ……――ま、好きなことについてだらだら調べ物するのは普通に面白いし。興味持ってやれるから全然良いんだけど)
『本来、知識っていうものは頭に詰め込んで自慢するためのものじゃなくて“用いて役立てるためのもの”だ。強くなりたいという【明確な目的を持って、役に立ちそうな知識を自力で得る】。ゲームの知識は、お前が苦手としている学校の勉強なんかより、すんなり頭に入るはずだ』
そう言って笑うクリアの姿を思い浮かべながら、おもむろにレットがwikiの武器の紹介ページを開く。
羅列されている武器の写真を流し見ていると、レットの目がとある項目で釘付けとなった。
そこに写っていた武器は水晶のように透き通った綺麗な片手剣だった。
(いいなあ……こういうカッコいい武器をいつか、本当にいつかでいいから手にしてみたいなぁ……)
レットは武器の名前で索引を掛けて詳細のページを読み始める。
『C:ロングソード。所謂“結晶武器シリーズ”の片手剣。ご存じの通り、〇〇〇〇年の始めに本作のゲーム内通貨の価値が暴落した。その際に実装されたのがこの武器である。→蔑称【負の遺産】』
(【負の遺産】って――何だろう? アニメとか漫画とかだったら何となくワクワクするような設定なんだけど、あんまり良い意味じゃなさそうだな……)
「――おっと? こんなところに“劣徒”がいるじゃねえか。一匹見かけたら大量に居るっていうアレだよなあ」
いきなり視界の外から喧嘩を売られてレットが本を見つめたまま眉を顰める。
(うわぁ、面倒なヤツに見つかっちゃったな……)
――そうレットは内心で毒づいた。
声の主であるチームメンバーのベルシーは、レットが座っている城下町の石でできたベンチに腰を降ろす。
目立たぬように念のために未だにフードを被って姿を隠しているレットであったが、“姿を隠している姿”でチームメンバーに覚えられてしまっているためか、GODDEATHのメンバーにはどうやっても見つかってしまうようだった。
「……挨拶も無しに、人をゴキブリ呼ばわりしないでよ」
「オメーは噂通りに不遜な野郎だな。年上には敬語を使えよ、敬語を」
「……別にアンタを敬ってなんか無いし。馬鹿にされてる相手に、敬語なんて使いたくない……」
キャットの青年(少年のようにも見える)の見た目は確かに強烈で発言も強硬であったが、キャラクターの身長が低く肌年齢も若く、何よりその荒っぽい身振りから年上という感じが微塵もしなかったということもあって、レットはベルシーに対して物怖じしなかった。
「ま、敬語っていうのはオレ的に言えばクソみたいな悪習だしな。今日のオレは寛大だから大目に見てやるよ。――ところでお前、クリアの奴を見なかったか? この座標で待ち合わせする予定だったんだがよ」
「クリアさんはさっきまでオレと一緒に居たけど、どっか行っちゃったよ。……何か用でもあるの?」
「アイツが“合成の石工用の素材”を大量に譲ってくれるって話でな。やっぱり持つべき物は奴隷と友だよなあ。最近PKがクソうざくて、素材を全然取れてねーんだよ。マジで殺してえよクソが」
(うわあ……)
レットはその素材が『ベルシー自身がクリアからPKをされて強奪した物』でないかと予見した。
僅かな同情と共に、レットはクリアとベルシーが本当に友人の関係なのか再び疑念を持ち始める。
「それにしてもお前。雑魚相応に微妙な項目読んでるじゃあねえか」
「……どこがどう微妙なのさ! いいじゃないかゲームなんだから、強い武器に興味くらい持っても!」
そう言ってから、レットは気になっていた【負の遺産】の項目をタッチして新調されたページを開く。
話しかけて欲しくないオーラを出して読書に集中していれば目の前の男はどこかに行ってくれるだろう――そう思ってページを見つめると真っ白な頁には【現在編集中です】と書かれているだけであった。
「あ、あれ? ……おかしいな」
「その武器は色々都合の悪いもんだからな。どうせ編集されたんだろう。暇だしお前にその負の遺産について話してやるよ」
「い、いいよ別に。クリアさんに聞けば絶対教えてくれるし」
「やめとけよ。遺産ってことはよ。これ即ち――“経済の話”なわけだ。クリアは金の話には疎い。アイツより合成に精通したオレの方が絶対に詳しいぜ。何より……MMOなんてもんは初心者相手にマウント取ってなんぼだ。オレの講釈を聞いて泣いてありがたがりやがれや」
座った状態のまま背を伸ばして意地の悪そうな笑みを浮かべて物理的に見下してくるベルシー。
彼のやろうとしていることはクリアと同じ“知識の伝授”ではあったものの、その陰湿な動機を前にして、ネコニャンの『普通に有害』という評価を思い出し少年は辟易する。
――しかし、まるでコンビニエンスストアの前に屯しているヤンキーのように、どっかりとベンチに座り込んだ不遜な態度のベルシーをどかせる自信がレットにあったわけでもない。
かといって、自分からこの場を去るのも敗北を認めているようで癪だった。
(ちぇ……イライラするけど、聞くだけ聞いておくか)
結局、レットの同意をろくすっぽ待たずして、楽しそうな表情でベルシーは語り始めた。
「ちょっと色々あってよお。無印の頃、このゲームでゴールドを意欲的に稼ぎまくる連中が沢山いたわけだ」
「意欲的にって、今もそうでしょ? お金を稼がないといい装備を買えないし」
「そういうレベルの問題じゃねえよ。当時は、少数のプレイヤーが経済に影響を及ぼすほどに稼いでいたんだ。その時連中がやっていた金稼ぎが“店売り”だった。当時はまだ店売りでもゴールドを得ることは簡単だったわけだ」
「――えっと……その“店売り”の話がこの結晶武器とどう関係があるの?」
話の繋がりがいまいち理解できずにレットは首を傾げる。
「まあ最後まで聞けよ。現実とは違って、ゲームの中では“無から有”が誕生するわけだ。ゴールドなんてまさにソレだよな。アイテムを売ったらNPCからゴールドが得られるが――これ自体には上限って物がねーんだよ」
(言われてみれば、確かにそうだな。どんなお店も、色んなアイテムを種類問わずに何でも買い取ってくれるし。アイテムを売りすぎてお店がゴールドを出せなくなった――なんてことないし)
「つまり“店売り”をずーっと続ければゲーム内に存在するゴールドの総量は増え続けるわけだ。んでインフレになる」
「ええっと……“いんふれ”?」
「やーれやれだ。お前はそんなことも知らねえのかよ?」
「……だからこうやって勉強してるんだってば」
「んなもん。学校の経済の授業で習うだろうが。本当に大丈夫かよお前」
「あ~~~。いや、ちょっとその――専門じゃないからド忘れしちゃってた。インフレってあれだよね。漫画とかでよくあるあれだよね!」
(まだ経済なんて学校の授業に無いんだけど……。これを言ったら年がバレるし馬鹿にされそうだし誤魔化しておこう……)
「まあ、間違ってはいねーけどな。経済におけるインフレっていうのはクソ雑に言えば、“流通している金が増えすぎて金そのものの価値が下がっちまってる”状態ってわけだ」
だったら“NPCの取引するゴールド総量の上限を制限すればいいのでは”――と思ったレットであるが、ゲームとして余りにも不便だという単純な事実に気づいて言及を辞めた。
「自然から取り出した文字通りの“財”を店売りでゴールドに替えて儲けまくった連中がいたせいで、ゴールドの総量が増えてインフレになっちまったわけだ。物価が上がって困ったのは同じようにシステムから金を受け取ってる層の厚い“雑魚冒険者共”だった。稼いでいた連中と比べて、得ていた額が桁違いすぎてほとんどのプレイヤーが経済的な弱者になったわけだ」
「なんか嫌だなあ……。ゲームの中にまで格差があるとか……」
レットは開いた本の上に頬杖を付いて、目の前の地面をじっと見つめて思案する。
対照的に、ベルシーは空を見上げて目を瞑っている。
どうやら、昔の出来事を思い出しているようであった。
「あの時期は――マジでやばかったぜ。プレイヤーの販売する食事が今の100倍くらいの値段だったしな。買い物をしようにもアイテムとしてゴールドを直接その場に取り出すのは厳禁だった。溢れて周囲がゴールドまみれになっちまうからな」
(ゲームじゃないけど、お金の価値が紙くず同然になっちゃったとかで“大量の札束を運んで買い物をしている人の写真”をどこかで見たことがあるな……あんな感じだったのかな?)
「それってさ。結局どうなったの? ゲームとしてもう詰んでいる気がするんだけどォ……」
「運営の馬鹿共は滅茶苦茶困ったわけだな。自然発生した大量のゴールドを何とかしてシステムに戻さなきゃならねえ。こでトチ狂ってアップデートで追加されたのが――」
そう言ってベルシーはレットの頬杖を妨害するかのように乱雑に開いていた頁を指で叩く。
「――その負の遺産の【結晶武器シリーズ】ってわけだな。当時はその武器を振り回すことが“最高火力を出す方法”だったわけだ。どんな武器や盾があろうと一撃で粉砕する。その代わり一振りで粉々になるし修理もできねえ。合成で作ることは不可能で入手手段はNPCの店で馬鹿高い値段で購入するだけ――後はテメエの足りない頭でもよくわかるだろ?」
レットは必死になってベルシーの問いの答えを模索する。
“足りない頭”と言われて憤る前に、答えられなかったらさらに馬鹿にされそうで癪だった。
「――あ、そっか……大量のお金を持っているプレイヤーがこの結晶武器をNPCの店から買い続けたのか……。そうすることでゲームに出回っていたゴールドを――システムに戻したってこと?」
「その通りだ。廃人共がアホ強いモンスターを倒すために購入しまくって手持ちが無くなったら血眼になってまた他のプレイヤーからゴールドを集めるわけだ。その頃にはとっくに店売りの全体価格は調整されてたし金を集めるなら“プレイヤーから”が基本になってたわけだな」
(なるほどねえ。このゲームが、NPCに装備品とかを店売りしてもゴールドを得られない作りになっているのは、“その頃から”なのか。NPC相手にお金を儲けられないのはちゃんとした理由があるんだな……)
「結果的にインフレは解決したけどよ。当時はバランスが最悪でマジでとんでもねえことになってたみたいだぜ? “金で殴るゲーム”だの何だの言われて散々揉めて滅茶苦茶だったらしい。他にも“ゴールドを稼いでいた連中”をいろいろ運営が排除したりとか――」
「へ? 排除って――」
「――ま、そこらへんの経緯はクリアのヤツに聞けよめんどくせえ。アイツはそういういざこざや悪い連中には無駄に詳しいからな。……話が反れたな。まあ兎にも角にもだ――」
適当に打ち切って話を元に戻すベルシー。
レットは“ゴールドを稼ぐプレイヤー”がどういう意味で“悪い連中”となりうるのか、この時点では全く理解できていなかったが、特に言及するようなことはしなかった。
「――今じゃ既に終わった話ってわけだ。結晶武器は販売されなくなってよ。キャラクターのレベル上限も当時よりも上がって、常用できる強い武器も増えた。文字通り過去の遺物と化したわけだ。――あくまでこの武器はな」
「――“この武器は”?」
「この時にインフレ解消の一環として遺物とならなかった要素があってな。それが“フィールドの土地と家”なんだよ。こっちは未だに価値があるもんだ。金持ちが完全に見栄で買うもんだけどな」
「でも、家ってそんなに高くないんじゃないの? うちのチームの家だってそうだし、他にも個人所有の家が住宅街にたくさん建っていたじゃないか」
「人の話をよく聞けやカス。住宅街の家じゃねえよ。あんなもん現実で例えるなら低所得者向けの団地みたいなもんだ。それとは別に、フィールドの特定の土地を丸々買い取ってそこに家とか施設を建てられる仕様があるんだっつーの」
「そ、そんなに強くて乱暴な物言いしなくていいだろ? 知らなかったんだよ……」
「……フン。これもゴールドをシステムに還元する方法の一つだぜ。住宅街以外の土地を占有するのは目ん玉飛び出るほどのゴールドがいるってわけだ」
実際にフィールドに建っている家を見たことがなく、いまいちしっくりこなかったため、プライベートリゾートに建てる別荘のようなものかとレットは勝手に解釈した。
「風の噂じゃ。このサーバーじゃ“北の湖畔”の近くに一個デカイ家が建ったらしいぜ? 座標はしらねえけど、メレム平原の北のさらに北だったか?」
「へぇ……今度見に行ってみようかな?」
レット達の背後にはハイダニアの王城を囲う巨大な堀があり、デザインの良い柵がベンチに密接するように設置されている。
その柵に寄りかかりながらベルシーは大きく息を吐いて、再び空を眺めた。
「ああ、行って嘲笑ってやれよ。本当に馬鹿としか言えねえからな。少なくとも頭使って金稼いでるガチなプレイヤーがやるようなことじゃねえ。あんな立地の悪い場所を買ったら見栄なんざ張れねえし他人を見下せねえしよ」
「……別に、誰もが偉ぶりたいからお金を払うわけじゃないでしょ? 例えば――他の人のために土地を買ってくれる人だっているかもしれないじゃん」
「そんなお人好しは“この世のどこにも居やしねえよ”」
ベルシーは吐き捨てるようにそう言ってから、地面に向かって唾を吐いた。
「――フィールドの土地は石工を極めて金を稼いでいるオレの目標でもある。このゲームの他の金持ち連中と同じように手駒を使い潰して現実でもゲームでもオレは頂点を目指すっつーわけだ」
ベルシーの言葉を聞いて、レットはそれまで心の中にあった感謝の意を述べることを辞めた。
クリアから教えられた話を思い出したからだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『タナカさんはベルシーが使う中間素材作成の為に、石工の合成のスキルレベルをゼロから上げないといけなくなって。石の武器を大量に作ったみたいなんだよ』
『あの――それって、要するにタナカさんがベルシーにとって体の良いパシリにされてるってことじゃ……』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「じゃあ……今アンタに師事しているタナカさんも、そうやって使い潰そうとしているわけ?」
レットの言葉でそれまで饒舌だったベルシーがピタリと黙り込み、姿勢を元に戻す。
「……おいおい。オレは善意であいつに石工を教えてやっているんだぜ?」
「それは本当なの? じゃあ、“手駒を使い潰す”ってどういう意味さ! 」
隠しきれない苛立ちがレットの語気を強める。
「さあな? 仮にオレが他人を奴隷のように使っていたとしてもだ。そういう都合の悪い事実は明らかにしねえのがルールなのさ。現実の金持ち共と同じく――公にはな!」
「――お前!」
立ち上がったレットに対して、ベルシーは動揺する素振りは見せない。
それどころか、立ち上がったレットをさらに見下そうとしたのか座ったままの状態で体を背後に大きく反らした。
「結局、お人好しな馬鹿は現実でもゲームでも奴隷みたいな役回りをすることになるんだよ。ま、あいつはマジで感謝していたみたいだしお前がなんと言おうとウィンウィンっつーとこだ」
(やっぱりこいつに気を許しちゃ駄目だ!)
レットは再びベンチに座って、ベルシーから顔を背ける。
隣に座っているビジュアル系のいけ好かない背の低い男を殴りたい衝動に駆られたが――ここは街中であり戦闘は意味を成さない。
何より、キャラクターの実力差がある。
殴りかかれていたとしても勝つことはできないということは理解していた。
「しっかし……クリアの奴がいつまで経ってもこねえ。座標を間違ったのかもしれねえな。馬鹿にマウント取って煽るのもいい加減飽きてきちまったし、またな、“劣徒”」
レットはほっぺを膨らませて無視したがそんな反応に気にもせず。ベルシーはベンチから立ち上がるとそのまま歩き去って行った。
以前クリアに心配は要らないといわれていたものの、レットはベルシーの言葉を聞いて不安になってしまう。
タナカの身を案じてこれからどうするかを本格的に思案し始めた。
(実際はどうなんだろう? 今度ちゃんとタナカさんにベルシーのことを聞いておかなきゃ。もしも仮にタナカさんが奴隷みたいな扱いを受けていたとして……クリアさんに密告すればたぶん何とかしてくれるだろうし。絶対穏便には済まなそうだけど)
そこまで考えて、レットは改めて周囲を見回す。
(――で、そのクリアさんはアイツとの待ち合わせをすっぽかして、一体どこに行っちゃったんだろ?)
「〔おーい。レット。その背中はレットだよな? おーい。後ろだ後ろ!〕」
聞き慣れた声に“囁かれ”てレットが咄嗟に振り向くが、背後にあるのは王城の池の堀だけである。
「………………………………………………」
嫌な予感がしてレットは深呼吸をしてから立ち上がる。
恐る恐るベンチの背後の柵に近づいて、堀に張られている透き通った池の底を見つめる。
「〔いや良かった良かった! やっぱりレットだよな!〕」
“水底に立って手を振っている”のは――いつものクリアであった。
(うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい! 今度は何やってんだこの人ォ!?)




