第十九話 水底
ハイダニアのど真ん中で、クリアと予想だにしない形での出会いを果たしてしまったレット。
レットがクリアの頭上――堀の池の水面をよくよく見てみると、なぜかそこには『キャラクターの足元に発生するはずの水の揺れ』が生じていた。
(何がどうなっているんだこれ!?)
「〔見ろよ! 水中で釣り糸だって垂らせちゃうぜ!〕」
そう言ってレットに対して背を向けて、店売りされている安い釣竿を“水中で取り出して構えている”クリアを見つめて、レットは渋い顔をしながら質問を投げかけた。
「〔……クリアさん。聞きたいことはたくさんあるんですけど。……今日は一体何があったんですか?〕」
その質問に、クリアは急に静かな声でレットに囁いてきた。
「〔――実は今、俺はとても悩んでいてな。ここでこうやって、考え事をしていたんだ〕」
黙り込んで釣竿を片手で構えたまま黄昏ているクリアのその背中に、レットはどこかしら寂しさのような物を感じる――
「〔クリアさんが悩むとか、珍しいですね。オレはクリアさんの一挙一動が悩ましいですよ〕」
――可能性があったかもしれないが……肝心のクリアの立っている場所が水底であったため、クリアの纏っている神妙な雰囲気の全てが見事に台無しになっていた。
「〔珍しくないぞ。俺なんて年がら年中悩み事だらけだ。とにかく、お前もここに降りて来いよ。詳しい話はそれから全部教えてやるからさ!〕」
「〔え、えぇ……そもそもクリアさんのいる場所、大丈夫なんですか? 落ちた瞬間に呼吸できなくて戦闘不能になったりとかしたら嫌ですよォ……〕」
レットはクリアの前で少しだけ悩んだ。
一番の懸念事項は、クリアに巻き込まれての“いつもの戦闘不能”である。
少年はこれから先起こりうることを全く想定できていなかったが、数日の間に積み上げた経験値をロストするのだけは嫌だった。
――とはいえ、“街中でキャラクターが他人に殺害されるようなことはありえない”と知っていたため今回に限っては警戒を僅かに緩めた。
「〔大丈夫だって。戦闘にならないんだから落下ダメージじゃ死んだりしないよ。降り方は教えるからさ〕」
「〔降り方も何も――こんな柵くらい普通に……〕」
そう言って試しに柵を体半分だけ乗り越えようとするも、見えない壁によってレットの体が阻まれてしまう。
(あ……あれ?)
柵を飛び越えようとレットが今度は跳躍する。
しかし、何度ジャンプを繰り返しても、どんなに距離を開けても助走をつけて飛び上がっても、何かに突っかかっているかのように柵を越えることができない。ただ、柵の手前で体が阻まれ地面に向かって滑り落ちるだけであった。
「〔堀の中はプレイヤーが落ちることを想定していないみたいなんだよ。だからここには普通の方法じゃたどり着けないってわけだ。これぞ知るものこそ知る秘儀によって至る秘境。“選ばれしものだけが到達できる裏の世界”ってとこだな!〕」
クリアの実に意地の悪いこの言葉が、少年の興味を引いてしまった。
(へぇー……! なんか面白そうかも!)
結局レットは好奇心に負けて、クリアに言われるがままに柵を乗り越える方法を教わることとなってしまう。
「〔そうそう、そうやってベンチと堀を隔てる柵の間に両足を突っ込んでだな……体を左右に揺らすんだ。それから競歩くらいの速度で歩く――そうだ!〕」
レットのキャラクターが上下に揺れ始める。
当のレットは浮遊感を感じていたが、なぜか足には地面を踏み続けている奇妙な感触があった。
空中でマラソンをしているような奇妙な状態が続いてから、急にレットの体がシャンパンの栓を抜くようにスポンと抜けて柵を通り越す。
そして立ち状態を維持したまま堀の底に向かって垂直にストンと落下した。
水底には泥が沈殿していたものの、それが舞い上がる気配は全くなく、まるで見えないエレベーターに乗っているような不自然な落下だった。
落下ダメージが入って残りHPが1になりレットは一瞬焦る。しかし、戦闘不能にならなかったことに安堵してレットは頭上を見上げた。
上から見下した時には水中の視認性はあまり良くなく半透明止まりであったはずなのに、下から見上げるとなぜか水面が透過していて地上が良く見える。
レットの視界には先程座っていたベンチが映っていて、水面にクリアと同じように自分の足元に発生するはずの水紋が出ているのがわかった。
(入れない前提で実際に泳げないのに、なんで水面だけはちゃんと揺れているんだろ?)
この時点のレットには知る由もないが(おそらく知っていたら堀に近づいていなかっただろうが)、実はハイダニアには『掘に立つ女の幽霊を調査する』という内容のクエストが存在していた。
要するにこの堀は『中に入ることは想定されていないが(NPCの幽霊がクエスト中のイベントの一環として)水面に立つことは想定されていた』のである。
レットは周囲を見渡してから軽く体を動かす。
周囲の空気の色が違うだけでプレイヤーが落ちることを想定していない為か水の抵抗は愚か、水の感触自体が存在していなかった。
「で――何ですかこれ?」
レットがクリアの真横の地面を指差す。
そこには、棒状の何かが突き刺さっており、激しく痙攣するように震えていた。
「ああ、それか。ここに落下したときに槍を落として“そうなった”んだよ。オブジェクトが地面とか壁に変なめり込み方をして物理エンジンが暴れるのはこのゲームではよくあることなんだ。昔も今も変わらない」
「なるほどね……。こういうわけわからない動きしている物体、ちょっと昔のゲームのプレイ動画で見たことありますよ」
近づいて興味深く観察してから、レットが無用心に槍に手を伸ばす。
「あ、待て。簡単に抜けるだろうけど触らないほうが――」
槍を右手で掴んだ瞬間――レットの腕が暴れる槍に呼応するようにバタバタと有り得ない角度に湾曲しながら踊り始めた。
「どわああああああああ!!」
バランスを崩しそうになって、レットが尻餅をつきそうになる。
手から槍を離そうとしたが、まるで接着剤で固定されているかのように手の平が開かず――結局、意図せず槍を地面から引き抜くような姿勢になってしまう。
尻餅の勢いで槍が地面からすっぽ抜けて――とてつもない速度で宙に舞い上がる。
槍を掴んでいた(というより、槍に囚われていた)レットの体は巻き込まれるように発射された。
その途中でようやく手から槍が抜けて、“空中で分解したロケット発射の補助パーツ”のように水中で放り出されて、レットは不自然な姿勢で地面に激突して跳ねる。
「ゲウッ!!!!!!」
レットは仰向けに倒れて、思わずその衝撃に息を吐き出す。
射出された槍は、水面を少し越えたあたりで勢いをなくして――今度こそ何事もなく地面に綺麗に突き刺さった。
「うん。こうなるから簡単に引っこ抜けるけど『触らないほうがいいぞ』と言いたかった――」
「言うのが遅いですよォ……。痛え――いや、痛くないけど、心が痛い……」
クリアの差し出した腕を掴んで、レットがよろよろと立ち上がる。
(まさか自分の体でこういうバグみたいなことをやる羽目になるとは思ってなかった……)
クリアは突き刺さった槍を引っこ抜いて、レットに改めて向き直る。
「――というわけで改めて、アンダーグラウンドにようこそ! まあ、薄暗いだけで堀の中に特に何かあるわけでもないんだけどな」
「本当、物は言いようって感じですよねそれェ……。ちぇー、騙されたのか……」
(よくよく考えてみれば街中なんだもんな……なんか隠されたアイテムや抜け道やらモンスターが配置されているわけでもないだろうし。あの槍の暴れっぷりはすごかったけどさ……)
周囲は薄暗いものの、結局移動できる場所は堀の中だけということを理解して、レットは少しだけ落ち込んだ。
「このゲーム、こういう普通じゃない方法でいける“秘密の場所”が結構あるみたいでな。最近は特にそういう場所を探しまわっていたんだ。ここを見つけたのはついさっきの話でな。二時間くらい柵に腰を押し付け続けてようやく見つけたというわけだ」
「……やっていること自体は本当にしょうもないですね。普通に不審者じゃないですか……。んで、さっき言っていた“クリアさんの悩み”っていうのは一体何なんです?」
「実は――――ここから地上に戻る方法が見つからなくてな」
「なあああああああ!! もおおおおおお! 結局行き着くところはそのあたりだと思ってたよォォォォオオオオアアアアアアアアアアアアアア!!」
「仕方なくベルシーを待っていたんだが、待ち合わせした座標になぜかあいつがいつまで経っても来なくて困っていたんだよ」
「来るわけねえだろ! “縦の座標”が違うわ!!」
「まあベルシーはどうでもいいんだ。騙して渡す予定だった粗悪な素材が集まらなくて、バックれようかと思っていたところだし――むしろ姿を隠せて好都合だったかもしれない」
「最低かよ!!」
「確かにここは、ハイダニアで一番低い場所に違いないな」
「最低だよ!!」
本能に身を任せて“大声”を出してしまわないように、何とか自分を律しながらレットはクリアに畳み掛けるようにツッコミを入れる。
「……それで、どうするんですかこれから!?」
「心配するなって、解決する方法はあるはずだ。案その①! 『ゲームマスターを呼ぶ』!」
「だ、駄目ですよそんなの! ゲームマスターっていうのはですね。実は裏で何か企んでいるのが基本なんです! 特定のプレイヤーをこっそり優遇したり危険なイベントを起こしたりとか凶悪な策を練っているのが基本ですから! 好意的に見えて実は主人公たちにとって立ちはだかる敵だったり裏切り者だったりするんです! 絶対に信用しちゃいけませんよ!」
突如、勢い良く語り始めたレットを見てクリアが引き攣った笑みを浮かべて後ずさる。
「い、いや。それは……どうだろうな……さすがにちょっと有り得ないとは思うけど。確かに、このゲームのGMの対応はかなり悪いことで有名だし“信用はしない方がいい”のは事実ではある。GMの裁量だと前後の会話記録を見られて“意図的にバグを悪用した”ってことで最悪アカウントを止められるかもしれない」
その言葉を聞いてレットは青ざめた。
「ア、アカウント停止なんて勘弁してくださいよ。それに、悪用って……こんな場所をいったい何に悪用するんですか?」
「――――――――さあな。世の中には頭の回るやつがいるからな。人が居ない空間ってだけで、思いもよらない使い方をするかもしれないぞ?」
クリアは素っ気無くそう言ってから天を見上げる。
「はぁ……。それで、他に手段は無いんですか?」
「案その②! キャラクターをワープさせることのできるアイテムを使う! 具体的には【転門移送灯】とかだな。入手がやや手間だけど、使うことで設定してあるリスポーン地点に移動できるアイテムだ。こんなこともあろうかと実は持ってきている!」
「おお、そういうアイテムもあるんですね。良かった……これで無事に――」
「しかし、これは一個しか持つことができず。他人に譲渡できない!!」
「勘弁してくださいよ!! それつまりクリアさんが一人で使って終わりじゃないですか! ……つーか出られなくて悩んでいたんじゃないのかよ! 結局自分だけ逃げるつもりなんですか!」
「なるほど、そういうのもアリか!」
クリアが意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「やめてください! 置いていかないでくださああああああああい!! 言わなきゃよかったよチクショウ!!」
「ま、待て待て待て待て落ち着けって! 落ち着けって……心配するなよ。巻き込んだ以上、必ずなんとかするから……案その③! 助けを呼ぶ!」
(ああ、巻き込んでおいてついに自分じゃどうにもならなくなったんだなこの人は……)
「助けを呼んでどうするんです? この高さじゃ引き上げてもらうわけにもいかなくないですか? 戻るときに柵に引っかかりそうだし……」
「パーティメンバーを特定の場所に転送する魔法を使うんだ。具体的にはプリーストの【ファストラ】とかメイジの【リコールポータル】とかだ。両方ともクールダウンが長いのがちょっと難だけど、二人だけなら移動に然程時間もかからないだろう」
「なあんだ。このゲームにもちゃんと転送の魔法あったんですね。いろんな土地に一瞬で移動するあれですよね?」
「まあ、そうなんだけど……。このゲームは大陸の移動にわざわざ船を使ったくらいには移動に手間がかかるんだ。魔法の移動も制限が多くてそんなに便利じゃないんだよ。まあ、とりあえずチームのメンバーに来てくれる人がいないか聞いてみるよ」
《あ、あーあーもしもーし。今ハイダニアに居る人は居ません? というか聞こえている人いない? はい。いないね。オーケー》
「――よし、駄目だな」
「諦めるの早すぎません?」
「うーん……ちょっと前までチームの会話は“街宣運動紛い”のことする奴とか“謎の教えを繰り返し説いたり”する奴がいたせいで騒音がひどくてっさ。だからチームの会話は皆、聞こえないようにしているみたいなんだよなあ」
「ひ……ひどすぎる……いくらなんでもあんまりですよ! チームの会話ってのは皆で仲良く、もっと和やかにやるもんなんじゃないんですか!」
ある程度覚悟はしていたものの、レットは自分の所属しているチームのいい加減さに再び打ちのめされた。
「誘っておいて申し訳ないとは思っているよ。そういう危ない連中は全員行方不明になったから、しばらくしたらチームの会話もポツポツ増えて元に戻ると思う。――、一日に挨拶二回とか」
「元から会話が少なすぎだろ!! というか行方不明って何だよ怖いよ!! 確かに、なんとなく危険なチームだって言うのはわかってましたよ! でも、チームって言うのは『癒し系の大人のお姉さん』とか『頼れる兄貴分』とか『人徳溢れるリーダー』とかが仲良くやってるもんなんです! ――少なくとも、オレの中ではそういう物なんですよォ! ううう……」
「いや、そういうチームがないってわけじゃあ――――――ないんだろうけど……」
そうつぶやいて、クリアはゴーグルをずらして目元を軽く擦る。
「ま――とにかくだ。頼れる兄貴分ならお前の目の前にちゃんと居るだろ!」
そう言ってクリアはゴーグルを掛け直して胸を張る。
レットはそのクリアの返答を聞いてから黙って天を見つめて、その高さを再認識した後に――深い溜息をついた。
「その反応は――流石にちょっと傷つくぞ!」
「あ~もう! 早く次の案を教えてください!」
「案その④! 薬品を使う――『グラスウォーター』!」
そういってクリアがガラス製の小さな瓶を懐から取り出してレットに放り投げた。
受け取った瓶の中の液体は堀の池の濁った水の色とは違って、とても綺麗な水色をしていた。
「グラスウォーターって……これ、何の薬です?」
「グラスって言うのは“グラスオブウォーター”のグラスではなく、“グラスパッファー”の方のグラスだ! 要するに――ネコニャンさんが食べてたあれだよ。あの魚から抽出した毒液だ」
「それを飲むって事はつまり……」
「“クリア法に基づきレットを毒殺の刑に処す!” これなら街中でも初心者なら死ねるから、これでリスポ―ン地点に戻ればいい。ハイダニアには設定してあるんだろ?」
「悪法すぎるだろそれェ!? 飲みませんよ絶対! 死んで戻るなんて嫌ですって、経験値ロストするし!! ――というか自然な流れでオレを戦闘不能に持っていこうとするのやめてくださいって!! クリアさんにはなんかそういう本能でもあるんですか!!」
憤慨するレットの頭の中に突如――
《……今、血盟の密会《チームの会話》の追憶《過去ログ》を見直したのだが――何か、困り事にでも逢ったかね? 吾輩なら、僅かながら力になれるかもしれないが?》
――ダンディズムを感じさせる野太い声が響いた。
(うわぁ……助けが来たって一瞬だけ喜んだけど、よりにもよって反応したのが“この人”かよ……。クリアさん、露骨に嫌そうな顔してるよ……)
「………………さて、案その⑤――」
「駄~目ですよクリアさん。あんな怪しい人でも、返事をしないのはマナー違反ですって」
「……まさかお前にマナーについて注意される日が来るとは思わなかったよ。確かに、困っているのは俺だけじゃないわけだし――背に腹は代えられないか」
クリアは肩を落としてチームでの発言の返答する。
《ちょっと詳しくは話せないんだが。少し困っていてな。ハイダニア城付近の(L-9)の座標まで来てくれないか?》
「“あの人”ってハンターなんですよね。転送とかできるんです?」
「あいつは人脈だけは無駄に広いからな。転送魔法が使える知り合いの一人や二人は居るだろう」
少しだけ安心して、レットは胸をなでおろす。
どんな形であれ、ようやくここから出られるのである。
“二度とクリアに巻き込まれないように注意しよう”と心に決めたところで――
「久方ぶりだな貴公ら――」
どこからともなく、声が聞こえてくる。
レットが周囲を見回すと、薄暗い水中の一方向に小さな光が灯いていた。
まず明らかになったのはその光がマッチの光であるということ。
そして、そのマッチを持っていたのが長い“尻尾”であったということである。
マッチの火は水中で振り子のように揺れてから勢いよく宙に放り上げられた。
それを二本の指で摘み掲げることで、背の高い男は装着している仮面を露わにしながら、こちらにまるで幽鬼のように歩み寄ってくる。
「――して、吾輩に何か用かな?」
そう、その男こそ――かつてフォルゲンスの下水道で出会ったチームメンバーのリュクスであった。
「って、いやいやいやいやいやいや! ちょっと待ってくださいよ! なんで既にここにいるんだよこの人ォォォオオオオオオオオオオオオオオ!?」
レットの叫びが、水中に木霊した。




