第八話 過保護
自分の想いを自覚してから、張飛の変化は誰の目にも明らかだった。
「子義! こっち危ねぇから下がってろ!」
戦場でも、張飛はやたらと子義の傍にくっついて離れない。少しでも危なそうな役目があれば、真っ先に自分が引き受けようとする。
「張将軍。私は武将でもあるのだぞ。そう庇われては、他の兵に示しがつかん」
「わかってらぁ! わかってるけど、心配なもんは心配なんだよ!」
子義が呆れたように言っても、張飛は聞く耳を持たない。戦場では以前にも増して過保護になり、子義を前線に出そうとしなかった。
「今日の斥候役、俺が代わってやるよ」
「それは私の役目だ」
「危ねぇだろうが」
「お前の方がよほど危ない場所に行っているだろう」
言い合いになるたび、周囲の兵たちは慣れた様子で顔を見合わせ、苦笑を漏らしていた。
「……お前、最近どうかしたか?」
ある日の軍議の後、子義がついに尋ねた。張飛はぎくりと肩を跳ねさせる。
「な、なんもねぇよ! いつも通りだ!」
「いつも通りには見えないが」
「気のせいだ、気のせい!」
しどろもどろに誤魔化す張飛を見て、子義は首を傾げた。妙な男だ、と思う。それなのに、その慌てぶりを眺めているだけで、口元が緩みそうになる自分がいた。
誰かにこうまで気にかけられるのは、いつ以来だろうか。いや、そもそも初めてかもしれない。自分が誰かに必要とされている。そんな感覚が、じんわりと胸の内側を満たしていく。
*
その日の夕刻、子義が用件を伝えに天幕を回っていると、広場の方から賑やかな声が聞こえてきた。何事かと足を向けると、そこには子供たちに揉みくちゃにされている張飛の姿があった。
「よーし、次は誰だ! かかってこい!」
張飛は地面に片膝をつき、両腕を広げて仁王立ちならぬ仁王座りをしている。子供たちが我先にとその腕にしがみつき、次々によじ登っていく。
「わあ、たかーい!」
「よっしゃ、次はお前だ!」
豪快な笑い声を上げながら、張飛は子供を肩に乗せ、危なげなく広場を練り歩く。かと思えば、地面に転がって取っ組み合いを始め、わざと負けたふりをして子供たちを大喜びさせていた。戦場でのあの猛々しさが嘘のような、屈託のない笑顔だった。
子義はしばらくその場に立ち尽くし、思わず見入ってしまった。
「……あんな顔もするのか」
誰にともなく呟く。豪快で不器用で、時に子供のように無邪気なこの男が、なぜだかひどく可愛らしく見えてきてしまった。気づけば、口元が自然とほころんでいた。
「あ、桓将軍だ!」
子供の一人が気づいて声を上げると、張飛もこちらに気づいて手を振ってくる。
「おう、子義! お前も混ざれよ!」
「……仕方ないな」
断る理由も見当たらず、子義は苦笑いしながら広場へと足を踏み入れた。子供の一人にせがまれるまま肩車をしてやると、たちまち歓声が上がる。慣れない重みによろめきながらも、その顔にはいつしか屈託のない笑みが浮かんでいた。
*
「子義殿、この頃よく笑うようになったな」
ある夜の酒席、劉備がふと漏らした言葉に、子義は杯を傾ける手を止めた。
「……そうでしょうか」
「うむ。以前はもっと、こう……張り詰めたところがあったが」
関羽も静かに頷く。
「益徳といる時は特にな」
指摘されて初めて、子義は自分の変化に気づいた。確かに、張飛と過ごす時間は、いつの間にか子義にとって当たり前の、そして心安らぐものになっていた。
「……張将軍といると、楽しいので」
ぽつりとそう零すと、劉備と関羽は顔を見合わせ、優しく微笑んだ。
*
翌日、張飛は子義を町へと連れ出した。
「たまには息抜きも必要だろ! 行くぞ!」
有無を言わさず腕を引かれ、子義は苦笑いしながらもついていく。市場を練り歩き、何軒も店を覗いては、他愛のないことで笑い合う。
途中、串焼きの屋台に立ち寄った。真っ赤な香辛料がまぶされた肉を頬張った瞬間、子義の顔が真っ赤になって汗が吹き出す。
「……辛っ!」
「あー、それ結構辛いやつだったな。大丈夫か?」
「ゲホッ…問題…ない!…ッ」
そう言いながらも、子義は目に涙を浮かべて口元を押さえて咳き込んでいる。その様子がおかしくて、張飛はたまらず声を上げて笑った。
「なんだよ、笑うな」
「いや、悪ぃ悪ぃ! お前でもそんな顔すんだなって思ってよ」
からかわれた子義は、少しむっとしながらも、差し出された水を素直に受け取った。屋台で肉を頬張り、軽く酒も飲み、そうしているうちに日が傾き始めていた。
「なぁ、子義。ちょっとこっち来い」
ふと、張飛はとある小さな店の前で足を止めた。武具や装飾品を扱う店だった。並んだ品々を物色していた張飛が、やがて一つを手に取る。繊細な組紐で編まれた剣穂だった。深い藍色の房が、店先の灯りに揺れている。
「お、これ良いな! お前の剣に似合いそうだ! なぁ、どう思う?」
「……うーん、そうか? あまりそういうのには疎くてよく分からんが」
子義が首を捻ると、張飛は不服そうに眉を寄せた。
「いや、絶対似合うって! ――親父! これくれ!」
「え、おい」
子義が止める間もなく、張飛はさっさと店主に金を払ってしまう。呆気にとられる子義の手に、張飛は剣穂を無造作に押し付けた。
「ほら! やるよ!」
「い、いや……こんな急に、貰えないぞ」
「いいから受け取ってくれって!」
「しかし――」
「いいんだよ、細けぇことは! 俺がやりたくてやってんだから」
押し問答の末、根負けした子義は、しぶしぶといった様子で剣穂を受け取った。だが、その手つきはどこか大事そうだった。
「……ありがとう、張将軍」
子義は素直にそう告げた。誰かに贈り物をもらうこと自体、久しく忘れていた感覚だった。受け取った剣穂を、その場で自分の剣にしっかりと結びつける。深い藍色の房が、夕暮れの光を受けて静かに揺れた。
「よく似合ってるぜ」
張飛が満足げに笑う。子義はその笑顔を見つめながら、胸の奥に温かいものが広がっていくのを感じていた。




