第四話 危うさ
劉備軍への正式加入から、瞬く間に月日が過ぎた。
子義の活躍は目覚ましいものだった。軍議では的確な献策を重ね、戦場では自ら剣を取り、敵陣を切り崩す。武力においては張飛や関羽には及ばぬまでも、軍師としての才を併せ持つその戦いぶりは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
だが、その活躍の裏には、危うさもまた見え隠れしていた。
「子義! てめぇ、また無茶しやがって!」
ある戦の後、陣に戻るなり張飛が子義の胸ぐらを掴む勢いで詰め寄った。子義の肩当てには深い刀傷が刻まれ、下の布地が赤く染まっている。
「大した傷じゃない」
「大した傷じゃねぇ、じゃねぇだろうが! お前、さっきの、たった一人で敵の本陣に斬り込んだだろ! 死にてぇのか!」
「……そんなつもりはない」
「じゃあなんだよ、あれは!」
子義は視線を逸らした。あの瞬間、確かに命の危険は承知の上だった。だが躊躇はなかった。むしろ、身体が勝手に動いた――そう言った方が正しいかもしれない。
「勝機を見た。それだけだ」
「勝機、勝機っつってお前、いつもいつも自分を先に張り出す真似ばっかしやがって」
「お前だって同じだろう、張将軍」
子義がぼそりと言い返す。図星を突かれた張飛は、ぐっと言葉に詰まった。
「……俺は、いい」
「なぜだ」
「俺は……単純に頑丈にできてるからだ! お前とは違う!」
まるで子供の言い訳のような返しに、子義は思わず小さく吹き出した。
「なんだよ、笑うことねぇだろ」
「いや……すまない」
それでも張飛の眉間の皺は解けなかった。単純な口喧嘩のようでいて、その奥には、言葉にできない苛立ちが渦巻いていた。
*
帰陣すると、いつものように子供たちが二人を出迎えた。
「張将軍! お帰りなさい!」
「桓将軍もお帰りなさい!」
わらわらと群がる子供たちに、張飛は豪快に笑いながら次々と抱き上げていく。子義もまた、駆け寄ってくる子供たちに囲まれ、もみくちゃにされていた。
「桓将軍、肩車して!」
「……肩車、か。やったことがないんだが」
子義が戸惑いながらも不器用に子供を担ぎ上げようとして、思い切りバランスを崩す。慌てて体勢を立て直すその姿に、周りの子供たちがどっと笑い声を上げた。その一部始終を見ていた張飛も、思わず噴き出す。
「お、おい、大丈夫か……って、下手くそかよ!」
「……うるさい。不慣れなだけだ」
顔を赤くしながら言い返す子義に、張飛はますます笑いが止まらなくなった。普段の落ち着き払った姿からは想像もつかない、その不器用な一面が、なぜだかひどく微笑ましく思えた。
「桓将軍、今日のお話聞かせて!」
「戦の話がいい!」
「……今日は疲れているから、また今度な」
子義はそう言って、子供たちの頭を順に撫でていく。だがその笑顔の端に、ふと影が差すのを、張飛は見逃さなかった。子供たちのはしゃぐ声に囲まれるたび、子義はどこか寂しそうに、それでいて優しく微笑む。
(あれは……なんの顔だ)
張飛にはまだ、その表情の意味が分からなかった。ただ、見ているとなぜか胸の奥がざわつく。それだけは確かだった。
*
夕刻、井戸端では女たちが洗濯をしながら噂話に花を咲かせていた。子義がそこを通りかかると、たちまち黄色い声が上がる。
「あら、桓将軍!」
「お疲れ様です、少しお茶でもいかがですか?」
女たちが猫撫で声で寄ってくる。子義は困ったように苦笑しながらも、無下にはできず、簡単な世間話に応じていた。
「……いえ、お気持ちだけで結構です」
「そんな、遠慮なさらず。お怪我の具合はいかがですか?」
女の一人が、子義の腕にそっと手を添える。子義がやんわりとその手をかわそうとした、まさにその時だった。
「おい」
低い声とともに、大きな影が割り込んでくる。張飛だった。
「悪ぃな、こいつには話があんだ」
「え、あ、張将軍……」
「行くぞ、子義」
有無を言わさず、張飛は子義の腕を掴むと、そのままずんずんと歩き出す。
「お、おい張将軍、話とはなんだ」
「べつに、なんもねぇよ」
「は?」
「いいから来い」
子義は困惑したまま、引きずられるように連れて行かれる。女たちは呆気にとられた顔で、その背中を見送った。
「……なんなんだ、お前は」
人気のない場所まで来たところで、子義がようやく口を開く。張飛はばつが悪そうに視線を逸らした。
「……別に。あーいうの、苦手だろ、お前」
「まあ、そうだが」
「だったら別にいいだろ」
むすっとした顔でそう言い放つ張飛に、子義は小さく首を傾げた。
*
その夜、張飛は一人、天幕の中で酒を呷っていた。
(なんだってんだ、俺は……)
女たちに囲まれる子義を見て、なぜあれほど苛立ったのか。単に子義が煩わされているのを見かねただけだ――そう自分に言い聞かせようとするが、どうにも据わりが悪い。
(別に、あいつが誰と話そうと、俺には関係ねぇだろうが)
そう思う端から、胸の奥がずきりと痛む。子義が誰かと親しげに笑っている姿を思い浮かべるだけで、無性に面白くない。それが何を意味するのか、張飛はまだ、はっきりと言葉にすることができなかった。
いや――本当は、うっすらとーー。ただ、その正体を直視するのが、なんとなく怖かった。
「……くだらねぇ」
誰にともなく呟くと、張飛は残りの酒を一気に飲み干した。




