第二十八話 精一杯の
数日後の夜、子義は張飛を丘に誘った。
互いに何を話すでもなく、ただ並んで馬を進める。頭上に広がる星空は、いつ見ても見飽きることがなかった。それでも今夜は、いつもよりも胸の高鳴りが強い気がした。
いつものように、二人並んで腰を下ろす。頭上には、こぼれ落ちそうなほどの星々が広がっていた。
しばらく無言で星を眺めていたが、やがて子義がゆっくりと口を開いた。
「益徳、これ……」
おずおずと懐から取り出したのは、小さな布の包みだった。
「……俺にか?」
「ああ」
張飛はそれを受け取ると、慎重な手つきで包みを開いていく。指先が、微かに震えていた。中から出てきたのは、小さな木彫りの人形だった。張飛が以前作ったものとよく似た造形――ただし、形はそれよりもずっと不恰好だった。
「おま、これ……っ」
驚いたように目を見開いた張飛は、その人形を差し出した子義の手に、目を留めた。小さな切り傷がいくつも刻まれている。以前見た自分の手よりも、遥かに多い数だった。
不慣れな手つきで、何度も刃を滑らせたのだろう。その一つ一つの傷が、注がれた時間の長さを物語っていた。
「お、俺は益徳みたいに手先が器用じゃないから……あんまり上手く出来なかったけど」
子義はもじもじと視線を落としながら、そう伝えた。
その姿は、いつもの冷静な顔とはまるで違っていた。だが、そんな不慣れな素顔を見せてくれることが、張飛にとってはたまらなく嬉しかった。
張飛は思わず、その両手を握りしめる。
「いや……いや、めちゃくちゃ嬉しい。どんなものよりも、嬉しいよ。ありがとうな、義」
不格好な人形一つに込められた想いの重さに、張飛の胸はいっぱいになった。器用でないなりに、何日もかけて刃を握ったのだろう。その姿を想像するだけで、愛おしさが込み上げてくる。
張飛はその人形を、まるで宝物のように両手で包み込んだ。
*
子義は顔を赤らめて俯きながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「益徳が俺を好きだと言ってくれて、嬉しかった。俺の生きる理由になるって、俺の帰る場所になるって……本当に、嬉しかった」
張飛は、真剣な顔で黙って耳を傾けている。
「俺はずっと、一人だと思ってた。いつか戦場で、誰にも看取られず野垂れ死ぬんだろうと」
声が、微かに震える。星明かりの下、その横顔には、これまで見せたことのない脆さが滲んでいた。
「だけど……こないだ死にかけた時、お前の顔が浮かんで、死ねないと思った。その後、益徳が大怪我をして死にかけた時は――心の底から、死んでほしくないと思った」
子義は顔を上げ、まっすぐに張飛を見つめた。
「益徳はもう、多分ずっと前から、俺にとって大切で……生きる理由になってる」
「……義」
「益徳。俺も、益徳が好きだ」
言葉にしてしまえば、驚くほどあっけなかった。ずっと胸の奥に留めていたはずのものが、今はただ自然に、迷いなく零れ出ていく。
張飛が、大きく息を呑む音がした。信じられないものを見るような目で、まじまじと子義を見つめる。
「義……いいのか? 本当に、俺で」
「ああ。俺は、益徳がいい」
「義!!!」
堪えきれなくなったように、張飛は子義を抱きしめた。子義もまた、その広い背中に腕を回す。
しばらくの間、そのまま互いの体温を確かめ合うように抱き合っていた。どちらの鼓動も、いつになく速い。それでも、その速さが心地よかった。
やがて、どちらからともなく身を離すと、見つめ合う二人。星明かりに照らされた張飛の顔は、いつもの豪快さが嘘のように、ひどく優しい表情をしていた。どちらからともなく顔が近づき――そのまま、初めての口づけを交わした。
柔らかく触れ合うだけの、短い口づけだった。それでも、これまで感じたことのない甘さが、じんわりと胸の奥に広がっていく。
*
「益徳……その、なんだ。俺、実は初恋なんだ」
「義……俺もだ」
照れくさそうに打ち明け合うと、どちらからともなく笑いが零れる。もう一度、そっと唇を重ねた。
互いの体温が混じり合うようなその静かな時間の中、これまでの孤独も、根無草だった日々も、少しずつ溶けていくような気がした。
見上げれば、変わらず星々が瞬いている。この丘で幾度となく重ねてきた夜が、ようやく一つの答えに辿り着いたのだと、子義はしみじみと思う。
「なぁ、義」
「なんだ」
「明日、兄者と雲長に、ちゃんと伝えような」
「……ああ、そうだな」
少し照れくさそうに笑い合いながら、二人は互いの手をそっと重ねた。この先の日々を、もう一人だけのものとしてではなく、分かち合いながら歩んでいけることが、たまらなく嬉しかった。
星空の下、夜は静かに更けていった。




