第二十話 準備
夜も更けた頃、張飛は自身の天幕の中、一人短剣を手に木を削っていた。
誰に頼まれたわけでもない。ふと立ち寄った市場で、たまたま目に留まった木片を、思いつきで買い求めただけだった。何を作るという当てもないまま、気づけば手が勝手に動いていた。
その武骨で大きな手に、短剣も木片も、いかにも不釣り合いなほど小さく見える。慣れない手つきで、慎重に、けれど不器用に刃を動かしていく。
「いてっ」
短剣がふと滑り、指先に浅い切り傷を作った。張飛はそれをぺろりと舐めると、何事もなかったかのように、また黙々と木を削り始める。よく見れば、その手にはすでに、大小いくつもの切り傷の跡が刻まれていた。
シュッ、シュッ――静かな天幕の中に、木を削る音だけが、夜更けまで響き続けていた。
時折、手を止めては出来栄えを確かめ、また小さく舌打ちして削り直す。誰かのためだけに費やされる、不器用な時間だった。
まだ形にすらなっていない木片を眺めながら、張飛はふと一人、口元を緩めた。
「……こんなんで、喜んでくれっかな」
誰に問うでもない呟きが、静かな天幕の中に溶けていった。
*
翌日、張飛と子義は軍議に呼び出された。
「近々、敵が攻めてくるとの報せが入った」
劉備が切り出すと、天幕の中の空気が一気に張り詰めた。これまでの穏やかな日々が、嘘のように遠のいていく。劉備、関羽、張飛、子義の四人は、地図を囲みながら真剣な議論を交わしていく。
「益徳、子義殿。二人には、中央の守備をお願いしたい」
関羽の言葉に、二人は同時に頷いた。
「おう! 承知!」
「承知した」
「私は別働隊を率いて裏に回る。二人が敵の主力を引き付けている間に、挟撃するか、あるいは兵糧を焼く」
関羽の言葉に、劉備が頷きながら付け加える。
「無理はするな。だが、確実に敵の出鼻を挫いてくれ」
「して、敵の兵数はどれほどと見ている?」
子義が地図を指差しながら尋ねる。
「斥候の報告では、およそ五千。こちらの倍近い」
「五千か……」
子義はしばし黙考すると、地形を指でなぞった。
「この地形なら、正面から受けるより、この谷筋へ誘い込む方が良さそうだ」
「ほう、面白い。詳しく聞かせてくれ」
関羽が身を乗り出す。子義の提案を叩き台に、その後もしばらく、細部にわたる戦術の擦り合わせが続いた。
「退路はどう見る?」
張飛が地図を覗き込みながら尋ねる。子義は少し考えてから答えた。
「東側の林道を確保しておきたい。万が一崩れた時、逃げ場がなければ全滅しかねない」
「なるほどな。よし、そこは俺の方で先に押さえておく」
「頼む」
劉備は満足げに頷きながら、一同を見渡した。
「良い策だ。皆、頼りにしているぞ」
その言葉に、四人は互いに視線を交わし、しっかりと頷き合った。
軍議はなおも続き、細部の詰めは深夜近くまでかかった。灯りの油が尽きかけた頃、ようやく劉備が「今日はここまでにしよう」と締めくくった。立ち上がる皆の顔には、疲労と共に、確かな手応えも滲んでいた。
*
軍議を終え、それぞれの天幕へと戻る道すがら、張飛がふと獰猛な笑みを浮かべた。
「久しぶりの戦だなぁ」
「そうだな」
子義も同じように口元を緩める。
「久しぶりに、二人揃って戦えるな」
その言葉に、張飛は少し驚いたような顔を見せた。それから、破顔する。
「おう! 楽しみだな、腕が鳴るぜ!」
「ただ――」
子義がふと張飛の方を向く。それと同時に、二人の声が重なった。
「無茶はすんなよ」
「無茶はするなよ」
思わず顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出してしまう。
「先に言われた」
「こっちの台詞だ」
軽口を叩き合いながら、二人は自然と笑い合った。
「よし、俺らの連携、見せてやろうぜ!」
「ああ。そのためにも、もっと煮詰めておかないとな」
「んじゃ、今夜は寝かせねぇぞ」
「望むところだ」
不敵に笑い合う二人の表情には、迫る戦への緊張と、それを上回るほどの高揚感が滲んでいた。
隣を歩く張飛の横顔を、子義はちらりと盗み見る。獰猛な笑みの奥に、確かな頼もしさがあった。この男と共に戦えるなら、どんな敵が来ようと恐れることはない――そんな根拠のない確信すら湧いてくる。
話しながら、二人は同じ天幕へと入っていった。夜はまだ長く、詰めるべきことは山積みだった。




