第二話 客将の活躍
客将として陣に留まってから、十日ほどが過ぎた頃だった。
斥候から、南方に構える敵勢が動き出したとの報が入る。劉備、関羽をはじめとする諸将が天幕に集まり、軍議が開かれた。子義もその末席に呼ばれてはいたが、あくまで客人としての同席に過ぎない。発言を求められるとは思っていなかった。
「して、地形を見るに、敵は恐らくここを迂回してくるだろう」
関羽が地図の一点を指しながら言う。だが子義はその指先を見つめながら、わずかに眉を寄せた。
「……よろしいでしょうか」
場の視線が一斉に子義へと集まる。関羽が僅かに目を細めた。
「申してみよ」
「その道筋は、確かに最短ではあります。しかし三日前から降り続いた雨で、あの渓谷の川は増水しているはず。荷駄を抱えた大軍が渡るには不向きかと。恐らく敵はもう一つ北の、迂遠に見える道を選ぶでしょう」
天幕の中に静寂が落ちた。誰もが子義の言葉を吟味している。
「……根拠は」
「三日前、この陣を包囲していた際、私自身があの川筋を使って補給を行おうとして断念した経緯があります。地形は頭に入っております」
劉備が顎に手を当て、しばし考え込んだ。
「――益徳、雲長。どう思う」
「一理ある、と思うが」
関羽が短く答える。張飛は腕を組んだまま、にやりと笑った。
「面白ぇ。乗った」
「では、北の道に伏兵を置く。子義殿、詳しい布陣を聞かせてもらえるか」
子義は一瞬戸惑ったように張飛を見た。張飛は小さく頷き、続けろとばかりに顎をしゃくる。
その夜、子義の読み通り、敵は北の道を選んだ。伏せていた劉備軍によって側面を突かれた敵軍は、大した抵抗もできぬまま崩れ去った。
*
「見たか! 子義の読み通りだったな!」
戦後、意気揚々と天幕に戻ってきた張飛が、子義の背中を思い切り叩いた。子義はよろめきながらも、口元にわずかな笑みを浮かべる。
「……たまたま、地形を知っていただけだ」
「謙遜すんな! お前、頭も切れるんだな。武だけかと思ってたぜ」
「侮っていたのか、俺を」
「いや、見直したってことよ!」
からからと笑う張飛に、子義もつられて小さく笑った。以来、軍議の場に子義が呼ばれることが増えていった。当初は客将への礼儀程度だった扱いも、次第に本音の議論を交わす場へと変わっていく。子義の献策は的確で、劉備軍の兵の消耗を大きく減らした。
軍議の後、天幕を出た子義に張飛が声をかける。
「なぁ、飯でも食いに行かねぇか」
「……暇なのか、張将軍」
「暇じゃねぇけど、お前と飯食う方が楽しいからな」
あっけらかんとそう言われ、子義は少し面食らったように目を瞬かせた。それから小さく息を吐き、頷く。
「……仕方ないな」
「よっしゃ! 行くぞ!」
張飛は上機嫌に子義の肩を抱くと、そのまま引きずるように歩き出した。子義は迷惑そうな顔をしながらも、その足取りに逆らうことはなかった。
*
朝稽古の場は、この陣における日課のひとつだった。子義もいつしか、そこに加わるようになっていた。
「桓将軍! 故郷はどちらで?」
稽古の合間、若い兵の一人がふと尋ねた。悪気のない、ただの世間話のつもりだったのだろう。
「……幽州の方だ」
「ご家族は?達者にしておられるので?」
子義の手が、一瞬止まった。
「……さあな。もう長いこと会っていない」
それだけ答えると、子義はそそくさと稽古の輪に戻っていく。若い兵は特に気にした様子もなく、他愛のない話を続けていたが――その一部始終を、少し離れた場所から張飛は見ていた。
子義の横顔に浮かんだ、あの一瞬の表情。誰かに斬りつけられたような、それでいて驚くほど静かな表情。張飛はそれを、以前にも見たことがあった。宴の席で家族の話題が出た時にも、子義はふとした瞬間に同じ翳りを見せていた。
(あれは……)
言葉にできない違和感が、張飛の胸の奥にじわりと広がっていく。訊きたい。だが訊けば、あの目がまた同じ色を浮かべる気がして、張飛は結局何も言わずに、蛇矛を握り直して稽古を再開した。
その日の夜、張飛は劉備と関羽の天幕を訪ねた。
「兄者、雲長。ちょっと話してぇことがある」
「なんだ、改まって」
「子義のことだ」
張飛は腕を組み、珍しく真剣な顔で切り出した。
「あいつ、めちゃくちゃ役に立ってるだろ。武も知略もある。それなのに、いつまでも客人扱いってのはおかしくねぇか」
「それは、私も思っていたところだ」
関羽が静かに頷く。劉備も髭を撫でながら微笑んだ。
「うむ。正式に我が軍へ迎え入れたいものだな」
「だろ! だったら――」
「して、誰が誘う?」
関羽の問いに、張飛は一瞬言葉に詰まった。だがすぐに、自分の胸を親指で指す。
「そりゃ俺だろ。あいつと一番話してんのは俺だしな」
「よかろう。益徳に任せる」
劉備が満足げに頷いた。関羽も口元に小さな笑みを浮かべる。
「うまく口説いてこい、益徳」
「まかせとけ!」
張飛は自信満々に胸を張った。だがその夜、自分の天幕に戻ってから、張飛はふと考え込む。
(あいつ、なんで戦なんかしてんだろうな……)
答えの出ない問いを抱えたまま、張飛はしばらく寝付けずにいた。天幕の外では、篝火が静かに揺れていた。




