第十八話 復帰
翌朝、顔を合わせた瞬間、二人の間に何とも言えない、微妙な空気が流れた。
「……」
「……」
どちらからともなく目を逸らし、それからまた視線が合う。しばしの沈黙の後、どちらからともなく吹き出してしまった。
「なんか、変な感じだな」
子義が笑いながら言う。張飛も頬を掻きながら、照れ笑いを浮かべた。
「ああ、なんか気恥ずかしいっつーか……
まぁ、いつも通りで良いだろ!」
顔を赤くしながら張飛が言うと、子義も小さく頷く。
「……そうだな」
「よし、決まりだ! じゃあ、飯行くぞ!」
やけに勢いよく立ち上がる張飛の背中を、子義は苦笑いしながら追いかけた。取り繕うような明るさが、かえって微笑ましく思えた。
そうして、いつも通りの日常が始まった。
*
「腹減ったな。飯にすんぞ」
張飛が椀を二つ抱えて戻ってくると、子義の隣にどかりと腰を下ろした。湯気の立つ椀を差し出しながら、当たり前のように子義の分まで先によそっている。
「……いつも、そうやって先に取ってくるんだな」
「あ? そうだったか?」
言われて初めて気づいたというように、張飛は首を傾げた。無意識の気遣いだったのだろう。それに気づいた子義は、なんだか無性にくすぐったい気持ちになった。
「別に、いい」
「ん? なんだよ、変な奴だな」
首を傾げる張飛に、子義は小さく笑って首を振るだけだった。
それなのに、どこか少し違う。
二人の間に流れる空気には、これまでにはなかった柔らかさが混じっていた。張飛はその変化を、くすぐったいような、けれど心地よいものだと感じていた。ふと気づけば、優しい目で子義を見つめてしまっている自分がいる。
「……なんだ、その顔は」
視線に気づいた子義が、少し照れくさそうに眉を寄せる。だがその口元には、隠しきれない微笑みが浮かんでいた。
「べ、別に、なんでもねぇよ」
誤魔化すように視線を逸らす張飛に、子義は小さく笑う。
朝稽古の場でも、その空気は変わらなかった。木刀を構える二人の間合いは、以前よりもどこか近い。打ち合う手が触れるたび、どちらからともなく動きが一瞬止まる。
「……なんだ、集中しろ」
「わ、悪い」
張飛が慌てて構え直す。傍から見れば些細な変化だろうが、当人たちにとっては、いちいち意識せずにはいられない距離感だった。
稽古を終えた後、二人は井戸端で汗を拭いながら、他愛もない話に興じていた。
「そういや、義の故郷ってどんなとこだったんだ?」
「……もう、覚えていることの方が少ない」
子義は少し遠い目をしながらそう答えたが、それ以上深くは語らなかった。張飛もそれ以上は踏み込まず、ただ「そっか」とだけ返す。この程度の間合いが、今の二人にはちょうど良かった。
*
その日、張飛は久方ぶりに軍議へと復帰した。
「よく戻ったな、益徳」
「おかえり、益徳」
劉備と関羽が、揃って復帰を喜ぶ。集まった諸将たちからも、口々に労いの声がかけられた。張飛は照れ臭そうに頭を掻きながらも、どこか誇らしげだった。
だが劉備と関羽は、それ以上に別のことに気づいていた。張飛と子義の間に漂う、以前とは明らかに違う空気感に。
夜、諸将が引き上げた後、張飛は劉備と関羽と共に酒を酌み交わしていた。
「して、益徳。子義殿と何かあったのか」
劉備がにやりと笑いながら尋ねる。張飛は照れながらも、正直に答えた。
「……好きだって、伝えたんだ」
「ほう!」
「それは、益徳もついに男を上げたな」
劉備と関羽が同時に声を上げる。
「どうだったのだ」
「まだ、分からないってさ。時間が欲しいって言われた」
「それでいい」
関羽が静かに、だが力強く頷いた。
「ドンと構えて、待つのだ」
「わーってるって。いつまででも待ってるって、ちゃんと言ったよ」
得意げに胸を張る張飛に、劉備は髭を撫でながら微笑んだ。
「まぁ、私が見るに――子義殿も、まんざらではなさそうだがな」
「ほんとかよ!? 兄者!」
思わず身を乗り出す張飛に、劉備は満足げに頷いた。
「あれほど気を許した顔を見せるのは、そうそうあることではない。それにな。私の勘はよく当たるのだ」
「そうだな」
関羽も珍しく口元を緩めながら同意する。二人の後押しに、張飛の顔はますます緩んでいった。
「そっか。そうだといいな」
「ああ」
劉備と関羽は顔を見合わせて笑った。夜はそうして、賑やかに更けていった。
*
その頃、子義は一人、自分の天幕で静かに横になっていた。
脳裏には、丘で告げられた言葉が繰り返し蘇る。
――お前が好きだ。お前の生きる理由になりてぇ。お前の帰る場所になりてぇ。
今更ながらに頬が熱くなり、こそばゆさが込み上げてくる。誰かに、あんな風にまっすぐな想いを向けられるとは、思ってもみなかった。
自分はきっと、そういうものとは縁がなく、いつか戦場で一人、静かに命を落とすのだろうと、漠然とそう思っていた。
だが、今は違う。
益徳が守ってくれたこの命だ。大切にしたいと、素直にそう思う。もし自分が死ねば、あの男は間違いなく、ひどく悲しむだろう。
――それは、嫌だな。
ふふっと小さく笑うと、子義はそっと目を閉じた。




