↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星辰の下で約束を  作者: 眠犬


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/28

第十四話 治療

 医者の処置が終わった。


 夜が更けても、陣営には落ち着かない空気が漂っていた。あちこちで兵たちが不安げに囁き合い、灯りの消えない天幕がいくつも見える。


 天幕の外に控えていた子義は、医者が姿を見せた瞬間、待ちきれずに駆け寄った。手には、まだ乾ききらない血がこびりついたままだった。


「おい、益徳は!? 大丈夫なのか!?」


 天幕から出てきた医者の胸ぐらを、子義は掴まんばかりの勢いで詰め寄った。

 医者は苦しげに眉を寄せながら、それでも淡々と告げる。


「……出来ることは、すべてやりました。幸い、傷は臓器や骨までは達しておりません」


「なら――」


「ただ、血を流しすぎております」


 医者は一度言葉を切ると、重い声で続けた。


「今夜が、山かと」


 子義の手から、力が抜けていく。指の間から、医者の襟がするりと滑り落ちた。


「子義殿」


 その肩に、関羽がそっと手を置いた。


「……すまない」


 我に返った子義は詫びの言葉を絞り出すと、逃げるように天幕の中へと足を踏み入れた。


 *


 薄暗い天幕の中、布団の上に横たわる張飛の姿があった。顔は蝋のように青白く、血の気がほとんど失われている。それでも、微かに上下する胸だけが、まだ命の続きを示していた。傍らには、赤く染まった布が幾重にも重ねられ、部屋の隅には、脱がされた血まみれの鎧が無造作に置かれていた。


 子義は言葉もなく、その傍らに座り込む。両手で、張飛の大きな手を包み込むように握った。硬く節くれ立ったその手は、いつもの熱を失い、驚くほど冷たかった。


「……益徳」


 呼びかけても、返事はない。


 改めて見るその手には、大小さまざまな古い傷跡が刻まれていた。数え切れぬほどの、これまでの戦いの跡だ。誰かを守るたびに、こうして傷を重ねてきたのだろうか。豪快なだけの男だと思っていた自分が、ひどく浅はかに思えた。


 子義はその手の甲に、そっと自分の額を押し当てた。堪えきれず、涙が幾筋も零れ落ちていく。


「なんで……お前は、そこまでして……俺を……


 死ぬな……益徳……」


 声を震わせながら、子義はそう繰り返した。


 まるで祈るように、繰り返しその名を呼びながら、子義は張飛の手を握り続けた。周囲の音も、時の流れさえも、その手の温もりだけを頼りに繋ぎ止めようとするかのように。


 外では、夜がゆっくりと更けていく。虫の声も、風の音も、今の子義には何一つ届いていなかった。ただ、目の前で眠る男の呼吸だけを、必死に数え続けていた。


 脳裏には、あの丘での言葉が何度も蘇る。俺が悲しい。だから死ぬな――お前が、そう言ったんだろう。ならば今、約束を破ろうとしているのはお前の方じゃないか。子義は歯を食いしばり、崩れそうになる自分をどうにか繋ぎ止めた。ここで自分まで取り乱せば、この男を送り出すことになる。そんな未来だけは、決して認めるわけにはいかなかった。


 *


 その様子を、少し離れた場所から劉備と関羽が見守っていた。


 子義もまた、全身に傷を負っている。それにもかかわらず、手当ても受けようとせず、ただ張飛の傍を離れようとしない。焦燥に染まったその横顔は、いつ倒れてもおかしくないほど、ひどく危うく見えた。


 だが、今何を言ったところで、この場から動きはしないだろう。二人は目配せを交わすと、静かに天幕を後にした。


「……益徳は、大丈夫かな」


 歩きながら、劉備がぽつりと呟く。関羽は前を見据えたまま、静かに答えた。


「あやつが、子義殿を残して死ぬわけがないでしょう」


「……そうだな」


「ええ、兄者。益徳は――強い男ですから。それに、あの男には、帰る理由がある。それも、命に代えても、という類のものが」


 関羽は静かにそう続けた。


 劉備は静かに頷くと、天幕の方角を振り返った。


「子義殿もまた、そうなのだろうな」


 劉備は静かに目を細めた。かつて客将として迎え入れたあの日の子義と、今の子義とでは、まるで別人のように表情が違う。それも、益徳という男のおかげなのだろう。


 夜風の中、二人の声だけが、静かに響いていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。