第十一話 危機
戦端が開かれた。
早朝から始まった戦は、すでに日が高く昇る頃になっても、なお続いていた。両軍入り乱れての激しい攻防が続く中、あちこちで鬨の声と剣戟の音が響き渡る。
子義と張飛は、それぞれ別の部隊を率いて戦場に立っている。互いの姿は見えないが、戦況は今のところ、劉備軍の思惑通りに進んでいた。
子義は的確に指示を飛ばしながら、決して深追いをしなかった。あの丘で交わした約束を、忘れたわけではない。張飛もまた、離れた戦線で同じように、無茶を自らに戒めながら戦っているはずだった。
戦も終盤に差し掛かった頃、異変が起きた。
「敵に、動きが……!」
物見の兵が慌てた様子で報告に駆け込んでくる。子義が目を凝らすと、これまで見えなかった方角から、新手の敵軍が姿を現していた。
「援軍か……!」
しかも、その動きは明らかに一点を狙っていた。子義自身を、だ。おそらく軍師としての自分の存在を、敵は最も厄介な標的と見定めたのだろう。
「――全隊、陣形を崩すな! 落ち着いて対処しろ!」
瞬く間に、子義の部隊は敵の圧力にさらされ始めた。だが子義は動揺を表に出さず、冷静に指示を出し続ける。すでに半ば包囲されつつあったが、退路を断たれぬよう、少しずつ後退しながら応戦を続けた。
「桓将軍! このままでは……!」
副官の声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。子義は短く答える。
「分かっている。慌てるな、隊列を保て」
「ですが、このままではじり貧です! いっそ、一気に突破を――」
「駄目だ。無理な突撃は、全滅を早めるだけだ」
子義は毅然と言い切った。冷静さを崩さないその声に、副官は唇を噛みながらも頷いた。
「狼煙を上げろ! 救援を要請するんだ!」
兵の一人が慌ただしく狼煙の準備を始める。だが、この深い山間の地形では、その煙が味方の目に届く保証はどこにもなかった。
(自力で切り抜けるしかない、か)
子義は剣を握り直しながら、そう結論づけた。そして――そのことに気づいて、思わず小さく笑ってしまう。
かつての自分なら、この状況を歓迎さえしていたはずだった。死に場所を、ようやく見つけたと。だが今は違う。ただひたすらに、この場を生き延びる方法だけを考えている。
(お前のせいだぞ、益徳)
剣を振るいながら、子義は胸の内で呟いた。
生きて帰って、また益徳と話したい。約束したんだから、な。
だが、そんな願いを嘲笑うかのように、包囲は刻一刻と狭まっていく。矢が絶え間なく降り注ぎ、味方の兵が次々と倒れていく。悲鳴と怒号が入り混じる中、子義は自らも剣を振るいながら、味方を鼓舞し続けた。
「怯むな! 生きて帰るぞ!」
だが、多勢に無勢は明らかだった。兵の数はみるみる減っていき、とうとう完全に退路を断たれた。子義は静かに、覚悟を決めた。
周囲を見渡せば、残る味方はもはや二十騎にも満たない。対する敵は、二百か、それ以上か――もはや数える意味もなかった。
「桓将軍……申し訳、ありません……」
傍らに膝をついた若い兵が、脇腹を押さえながら掠れた声を漏らす。子義はその肩を強く掴んだ。
「謝る必要はない。よくここまで持ちこたえた」
「ですが……」
「まだ終わってはいない」
まるで自分自身に言い聞かせるように子義は兵に告げる。子義自身、絶望的な状況なのは十分に理解している。それでも、諦めるという選択肢だけは、頭の中から締め出した。
剣を握る手に、視線を落とす。柄に結ばれた剣穂が、乱戦の中でも揺れていた。深い藍色の房。あの日、無骨な手で押し付けられた、不器用な贈り物。
脳裏に、張飛との日々が次々と浮かんでは消えていく。星空の下で交わした約束。酔って絡んできた夜。からかうように名を呼ぶ声。
「……すまない、益徳」
また一人味方の兵が倒れる。
「約束、守れそうにない」
誰にも届かぬ声で、子義は静かに呟いた。
目の前の敵を斬り伏せる。腕が鉛のように重い。それでも、剣を振るう手を止めるわけにはいかなかった。味方の為にも一人でも多く、敵兵を減らさなければ。
だが、その隙をつくように、背後から新たな敵が剣を振りかぶった。
刃が迫るーー




