第23話 ラ・ヴェラ攻防戦 中編
「お疲れ様です、ベニート様」
東区の防衛線を切り拓き、キャンディたちを先導してきた花の騎士団副団長――カルラ・カメリアが、整然と並ぶ雷鳴騎士たちの前で足を止めた。
「カルラ殿か。そういえば、うちの団長から伺っていたが、君がリオルトへ赴いたのだったな」
細フレームの眼鏡の奥で、鋭い金色の瞳を光らせたのは、近衛雷鳴騎士団副団長のベニート・アデルファだった。
「ええ」
「では、君がキャンディ様をお連れしたのか?」
「え?ええ。まあ……そうなりますかね」
視線の先をわずかに泳がせ、歯切れの悪い生返事を返すカルラに対し、ベニートは知的な眉根を寄せた。
「どうした……?いや待て。君が救援のためにリオルトへ向け出立したのは、確か三日前のことのはずだ。ラ・ヴェラからリオルトまでは、いくら君の足であっても片道で一日半、往復するだけで最低三日は要する。そこに救援要請にかかるリオルト側の協議――いや待てよ、ココピット族は元来の職人気質なうえに、良くも悪くも即断即決を信条としている節があるから会議自体は一瞬で終わったとしてもだ! たとえ最高速の魔導車をとばしてキャンディ様をお護りしながら移動したとしても、最低四日はかかる行程だぞ?にもかかわらず、なぜわずか三日でキャンディ様をお連れしてここに戻っている!?」
眼鏡のブリッジをクイと押し上げながら、一人で高速思考と試算を繰り広げ、一気に捲し立てて問い詰めてくる作戦参謀の迫力に、カルラは思わず半歩後ずさった。
「あ。いや……それには、その、理由がありまして」
カルラは言葉を濁し、己の額に浮かんだ汗をそっと指先で拭った。
リオルトの五重輪で出会った銀髪の青年――レオ・クロース。
彼が取り出した鍵【ベルコネクト】によって中空に現れた『扉』から『箱庭』へ入り、屋敷の地下にある『扉』を跨ぐことで一瞬にして帰還したなどという超常の事実を、真面目なベニートに言えるはずもなかった。
「理由?それはいかなる移動手段だ?説明したまえ!」
詰め寄るベニートに対し、カルラは覚悟を決めたように背筋を正した。
「アントニオ陛下の命により、一切お答えすることはできません!」
「そ、そうか……」
毅然とした強い口調で言い切られ、いつもは冷静沈着な雷鳴騎士団参謀が、完全に気圧されていた。
その直後、上空から飛来した数メートルに及ぶ巨大な地魔法の岩塊が、東区の路地へと叩き落とされた。
数十トンに及ぶ質量がもたらす物理的な衝撃波が吹き荒れ、高圧で圧縮された大気が石畳を激しく破砕する。
大地の激しい鳴動が騎士たちの足元を力任せに突き上げ、路地に迫っていた敵群を建物ごと一瞬で押し潰した。
「あらあら、二人とも。次が来るわよ。油断しないこと」
白煙の向こうから、キャンディがおっとりと扇子を揺らしながら歩み出てきた。
「キ、キャンディ女王陛下……!?すみません!ですが!」
「あらあら、なにかしら?」
「ま、街が無くなります!」
突如として炸裂した規格外の質量攻撃と、壊滅的な地形の変貌に、ベニートが思わず声を上ずらせた。
「あらあら。住民の避難は完了しているのでしょう?」
「ですが、帰る家が……」
「あらあら、安心なさい」
キャンディが手にしていた扇子を優雅に軽く振るうと、地属性のマナが大地へと静かに浸透し、崩れていた瓦礫が一瞬で組み上がった。
先ほどよりも遥かに立派で強固な建物が、まるで最初からそこにあったかのように石畳の上に生み出された。
「え?」
「あらあら。わたしを誰だと思っているの?」
キャンディは微笑みを浮かべたまま、再び扇子をその建物に向かって振るった。生み出されたばかりの建物は瞬時に形状を失い、一瞬で元の瓦礫へと崩れ落ちた。
驚愕のあまり絶句するベニートとフロワールの騎士たちを、キャンディは改めて静かに見回した。
「わたしは、八英雄が一人。〝地英聖のキャンディ〟よ」
整然と並ぶ騎士たちが一斉に息を呑んだ。
聖の字を二つ名に冠することは出来ても、最高峰たる〝英聖〟を冠することは千年前の英雄たちのみに許された特権である。
現フロワール国王アントニオは〝雷聖〟の二つ名を戴いてはいるが、英聖を戴くのは始まりの〝九〟名のみであった。
とは言っても、九人目の存在を知る者は歴史の表舞台にはほとんど存在しないのだが。
伝説の英聖の圧倒的な力に呆然としていたベニートだったが、崩落した建物の瓦礫を目にしてハッと我に返った。
「い、いや!先ほどの建物は……」
「あらあら、邪魔でしょ?」
「じゃ、邪魔って――」
「あらあら、相手さんは建物の影とかに出現場所を選んでいるみたいだし」
おっとりとした口調の中に潜む鋭い洞察力に、作戦参謀であるベニートはハッと息を呑んだ。
敵の≪ヴォイド・チェイン≫による奇襲が死角や障害物の多い場所を狙って発生していることを見抜き、キャンディはあえて視界を遮る建造物をあらかじめ取り除いたのだ。
「東区はこれで少し持ち直しそうね。北はレオちゃんが向かったみたいだし、西はいいとして……問題は南ね」
キャンディが扇子で自身の顎を軽く叩き、真面目な表情で告げた。
参謀のベニートが思わず慌てて声を裏返しながら、市街地全体の切迫した被害を訴えた。
「い、いえ! お言葉ですが。ここ東区だけでなく、南区はもちろん、西区も神出鬼没の奇襲を受け、騎士団と警邏隊が疲弊しきっております」
市街地全域の緊迫した戦況が語られる中、キャンディの隣から歩み出てきた少女――バーディアの聖女シルビア・スワンが、強い決意を秘めて一歩前へ出た。
「ベニート様。でしたら、わたくしが南へ参ります。負傷された方々の治療と、防衛のお手伝いをさせてください」
敵の奇襲が続く市街地の危険を思案するベニートが、眉根を寄せて制止の声を上げる。
「聖女様が南区へ……!? ですが、市街地はまだ敵の奇襲が頻発しており、危険すぎます!」
「あらあら、ベニートちゃん、安心なさい。シルビアちゃんは強いわよ」
「せ、聖女様ですよ?」
可憐な聖女を危険な戦場へ向かわせまいと困惑するベニートに対し、キャンディがクスリと微笑んだ。
「あらあら、なにを云っているの?歴代聖女は昔から自身の身を護るために武を修めているの」
「え?」
「シルビアちゃんは、わたしから見て、歴代の中でも最強格」
「キャ、キャンディ様。褒めすぎですわ」
突然の絶賛を受け、シルビアは照れたように頬を染めた。
「あらあら、千年近く歴代聖女を見てきたわたしの本心よ」
キャンディはおっとりと扇子を揺らしながら言いのけた。
千年の歴史を知る八英雄の言葉にベニートが絶句する中、シルビアは可憐に微笑むと、レオが仕立てたスチームパンク風の戦闘服――ベージュのコートの胸元から一枚のエナドカードを取り出して提示した。
「ベニート様」
「は、はい……」
「わたくし、こう見えて一級ハンターですの」
「一級ハンター……!?」
提示されたカードに刻まれた輝かしい称号を目にし、作戦参謀の眼鏡の奥の瞳が大きく見開かれた。
そもそも、各国が誇る正規の騎士たちの平均的な実力は、ハンターズギルドの階級で云えば二級クラスが相場であった。
百戦錬磨の騎士団長クラスでさえ、ようやく一級の領域に手が届くかどうかという厳しい格付けなのだ。
例外といえば、同じ八英雄の国、アイゼンの最高戦力である「テトラルキス」の面々くらいのものだろう。
彼らは若い頃に張り合って競い合った結果、四人全員が一級ハンターの資格を取得したという、各国の騎士たちの間では半ば呆れ交じりの笑い話として語り継がれている例外中の例外であった。
それを、目の前に佇む可憐で清らかな少女が、いとも容易く保持しているという事実に、ベニートの理知的な頭脳は完全なる処理不能へと陥っていた。
「す、凄いです、聖女様……!一級ハンターだなんて、本当にかっこいいです……!」
隣にいたカルラが、両目をこれ以上ないほど輝かせながら純粋な羨望の眼差しをシルビアへと注いだ。
武を重んじる騎士団の副団長として、眼前の可憐な聖女が秘める圧倒的な実力と実績に対し、素直な尊敬と憧れを隠しきれずにいる。
「ふふ、そんなに大層なものではありませんわ。カルラさん」
羨望の視線を真っ直ぐ向けられ、シルビアは少し面痒そうに微笑んだ。
「いいえ!これほど心強いお方はおりません!ベニート様、私に案内させてください! ラ・ヴェラの地理なら、警邏隊の配置や路地の抜け道を含め、私の脚で最短ルートをご案内できます!」
興奮冷めやらぬ様子でカルラが勢いよく手を挙げ、ベニートに向かって一歩を踏み出した。
「ふふ、頼もしいですわ。よろしくお願いしますね、カルラさん」
「はい、聖女様! お任せください!」
正気を取り戻したベニートが、西区の戦況を思い出してすぐさま言及する。
「南はわかりました。聖女様を信じましょう。ですが西はいかがしたら」
「あらあら、西区はね――」
キャンディが優雅に扇子を口元にあて、クスリと微笑んだ。
同時刻、王都西区。
死角となる路地裏の影から不吉な空間の歪み≪ヴォイド・チェイン≫が不意に弾け、岩石のような黒々とした甲殻を纏う二級魔獣の群れが姿を現した。
連続する奇襲に疲弊を重ねながらも、西区の警邏隊と騎士たちは不屈の精神で陣形を維持し、決死の防衛線を構築していた。
だが、突如として姿を現した二級魔獣の圧倒的な威容に対し、現場には色濃い焦燥と緊張が走り抜けた。
だが、息を呑む緊張感が漂う戦場の只中――。
対峙する大人たちの張り詰めた空気をよそに、元気よく行進するように、一人の幼女が悠々と歩み寄ってきた。
愛らしいこげ茶色のボブヘア。
身に纏っているのは、焦げ茶色と漆黒を基調とした、妙に精巧で仕立ての良いスチームパンク風の戦闘服であった。
そして何より異彩を放っていたのは、その幼い背丈を遥かに超える、無骨で巨大な漆黒の戦斧を何気なく肩に担いでいる点であった。
すでに住民の避難誘導はすべて完了しているはずの現場において、あまりにも不釣り合いな幼女の出現に、警邏隊員は強い困惑と焦燥を露わにした。
「お、おい!君!住民の避難は完了していたはずだが……どこから入ってきた!? ここは危険だ、早く下がっていなさい!」
「待てっ!」
警邏隊員の制止を遮るように、後方に陣取っていた雷鳴騎士団の団員が切迫した大声を張り上げた。
驚いて振り返る警邏隊員をよそに、騎士団員の視線は少女の愛くるしい顔立ちへと釘付けになっていた。
騎士団員は、その少女の面影に見覚えがあったのだ。
王城内において時折見かけられる城憑き妖精「ロサディーナ」。
しかし、国王の近衛を務める雷鳴騎士団にとって、その姿はアントニオ王に長年侍る謎の幼女「クレア」としてあまりにも有名であった。
当然ながら完全なる他言無用であり、口数の少ないアントニオ王が出した厳重な箝口令によって、かつて騎士団内では「陛下の隠し子なのではないか」という不敬な推測さえ密かに生まれたほどである。
だが、長年城に仕える騎士団員たちは、どれほど年月が経過しても少女クレアがまったく成長しない事実を知っていた。
そのため、やはり人知を超えた妖精の類なのではないかと騎士団内で噂されていたのだ。
そんな折、先日になってアントニオ王の口から、クレアの正体が大聖霊の遣いである「聖猫エクレア」だと騎士団内で正式に公表された。
もちろん、それは雷鳴騎士団と花の騎士団の二大騎士団内部のみに限定された極秘事項ではあったのだが。
そして、まだクレアと呼ばれていた時代、城内で無邪気に彼女と遊び、「マロニー」と呼ばれていた愛くるしいボブヘアの幼女――。
城内での無邪気な姿とは打って変わって精巧な戦闘服を纏い、身の丈を超える巨大な戦斧を担いだ眼前の佇まい。
クレア様が『大聖霊の遣い』であったならば、そのお側で無邪気に戯れていたあの子もまた、もしや同格の『大聖霊の遣い』なのではないかという衝撃的な答えに、騎士団員は行き着いた。
「まさか……あのお方は……エクレア様と同格の……」
騎士団員が驚愕と敬虔の念に打たれて叫ぶ中、少女は一切の躊躇なく、愛らしい胸を大きく張って無造作に大斧を構えた。
「マロンがお仕置きするのです!」
本質たる地魔法の理に従い、マロニーは振りかぶる瞬間まで戦斧の質量を極限まで軽量化させていた。
空気抵抗と魔力消費を完璧に抑えた鋭い一閃が空を切り、目標へと届くコンマ一秒の直前――。
打撃の瞬間に集束された地属性のマナが、重力係数と密度を爆発的に増大させた。
上級地魔法の本質とは、即ち物質の質量の絶対的コントロールに他ならない。
身の丈を超える戦斧は、着弾のコンマ一秒で数十トンに及ぶ超質量の破砕兵器へと変貌を遂げた。
極限まで圧縮された高圧の大気が炸裂し、石畳を微粒子へと破砕しながら強烈な質量打撃が振り下ろされる。
襲い掛かろうとしていた二級魔獣の巨体は、反撃どころか死の瞬間すら認識できず、強大な物理的衝撃波によって空間ごと一瞬で粉砕された。
「あんな小さな幼女が、あんな大きな斧を……一撃で二級魔獣を粉々にしただと……!?」
「やっぱり……っ!」
目の前で起きた非現実的な破壊の光景に、事情を知らない警邏隊員たちは腰を抜かしかけ、開いた口が塞がらないまま混乱と著しい狼狽に包まれていた。
一方で、後方に控えていた雷鳴騎士団の面々は深く息を吐き出すと、静かに頷き合っていた。
城でのクレアの正体を知る近衛騎士たちにとって、そのお側で戯れていた幼女が秘める人知を超えた武威は、驚きと共に深い納得と敬虔な念を確定させるものであった。
「エっちゃんを隠した悪いやつらは、全員おしりペンペンなのです!」
白煙の舞う中心で、マロニーは巨大な戦斧を無造作に肩へと担ぎ直すと、腰に小さな手を当てて誇らしげに胸を張った。




