第19話 カルラ・カメリアは埒外のさらに外を知る
「ここは……」
窓から外を見遣れば、どこまでも澄み渡る青空と、正面の門まで続く庭の美しい花壇が広がっている。
あたたかな日差しが差し込むこの場所は、一階の工房兼研究室と呼ばれる室内であった。
室内にはかすかに油や金属の匂いが漂っている。
ここはいったい何なんだろう。
さきほどまで、私はリオルトの五重輪におり、失意と焦燥の渦中にいたはずだった。
私の名前はカルラ。カルラ・カメリア。
フロワール騎士国、カメリア侯爵家の長女であり、現在は『花の騎士団』の副団長を務めている。
雷の国である騎士国家フロワールにおいて、雷属性のマナを宿して生まれることは最大の誉れである。
代々優秀な騎士を排出し続けてきた名門カメリア侯爵家に生まれた私にとっても、雷属性のマナを宿していたことだけが幼少期の唯一の自慢であった。
なぜならば、私には武術の才能もマナの量も、それ以外の素質は良くも悪くも人並みでしかなかったからだ。
さらに追い打ちをかけるように、我が家の誇りであり、将来を嘱望されていた優秀な兄が不慮の事故で命を落とした。
跡継ぎを失った我が家は深い失意と絶望に包まれ、父も母も生きる気力を失いかけていた。
だが、私は決して諦めなかった。
兄の代わりにはなれずとも、この家に再び光を取り戻したかったのだ。
血の滲むような鍛錬の末、己のチャクラと雷のマナを脚部へ同調させ、圧倒的な『速度』と過酷な戦地を一刻も早く走り抜く『即応力』を叩き上げる独自の脚術を修得した。
その努力が実を結び、国王陛下を直衛する近衛の「雷鳴騎士団」と並び立ち、優秀な女性騎士のみが選抜される「花の騎士団」――その副団長の座を拝命するに至った。
自らの脚で勝ち取ったその姿を見て、父も母も気力を取り戻し、今では私のことを「自慢の娘」だと笑ってくれるようになった。
そんなカメリア侯爵家の誇りと両親の期待を背負う騎士として、今回の事態において私の果たすべき役割は唯一つであった。
花の都フロワールが襲撃を受け、アメリア様とクレア様が姿を消してから、すでに丸三日が経過していた。
敵の緻密な工作により、国中の通信魔道具は完全に傍受・遮断され、他国への救援要請も途絶えた。
王都から身を隠しながら逃しの報せを届けるにあたり、私は一瞬、北西のクロロン大樹海――セルバン森林都市国が頭をよぎった。
距離としても僅かにセルバンの方が近く、樹海にさえ潜り込めば、鋭敏なエルフたちが異変を察知してすぐに駆けつけてくれるのではないか、と。
しかし、我が国における他国への救援規定において、機械文明を拒絶し対応の遅いエルフの国よりも、地中都市リオルトへ救援を求めることこそが優先順位の上位と定められていた。
何より、混迷を極める現場において、アントニオ陛下から我が騎士団長を通じて「リオルトへ救援要請に向かえ」と通達が下されたのだ。
通信やマナトレインという通常の移動手段すら奪われた極限状態の中、私は定められた手筈と王命に従い、ただ己の脚力のみを信じてリオルトを目指した。
生きて報せを届けるため、雷のマナとチャクラを極限まで絞り出し、風を切って一日半を不眠不休で走り抜いたのだ。
命を削る思いで辿り着いたのは、リオルトの王都アルテラに佇むフォンドラルテ邸――王邸であった。
しかし、そこで出迎えた家令のトッポン殿から告げられたのは、救援を乞うべき当主――キャンディ女王陛下が現在は『聖域』におられ、明日までお戻りになられないという過酷な現実であった。
どのような極秘の事情があるのかは伏せられていたが、一刻を争うこの土壇場で女王不在という事実は、疲弊した私の身と心を根底から打ち砕くのに十分すぎた。
明日まで待つなど正気の沙汰ではない。
一秒ごとにフロワールで誰かの命が潰えているかもしれないのだ。
血の滲むような焦燥と悲痛な絶望に押し潰されそうになりながらも、王邸の客間に通された瞬間、私の糸は完全に切れ、倒れ込むように深い眠りへと落ちた。それが昨日のことだ。
そして一夜が明け、今日。
事情を汲んだトッポン殿の特例の案内により、私は聖域を防衛する巨大な複合結界砦『五重輪』の拠点へと連れて来られたのだった。
だが、他国の最重要拠点であるはずのその場に佇んでいたのは、キャンディ女王陛下のほか、見たこともない面々であった。
銀髪に茶色の瞳を持つ見知らぬ青年。その傍らに立つ金髪の可憐な女性と、エメラルドグリーンの髪を揺らす美しき女性。
一刻を争うフロワールの惨状に押し潰されそうだった私は、相手方の自己紹介すら行われぬまま、悲壮感を込めて頭を下げた。
「突然の無礼、平にご容赦ください。私はフロワール騎士国、『花の騎士団』で副団長を務めるカルラ・カメリアと申します」
息も途切れ絶えに窮状を告げた。
我が国フロワールが何者かの襲撃を受け、王都は孤立し、いまも多くの命が潰えようとしていると、必死に救援を訴えかけたのだ。
私にとっては一秒すら惜しい悲痛な叫びであった。
しかし、彼らはどこか親しげに言葉を交わすばかりで、その佇まいには焦燥の色など微塵も感じられない。そのうえ、他国の重要拠点になぜこれほど若者たちが揃っているのか、なぜこれほど穏やかなのか、私には何一つ呑み込めず、完全に会話と空気から置いてけぼりにされていた。
呆然と立ち尽くす私に、銀髪の青年がふと視線を向けてきた。
私のボロボロに疲弊した全身と、泥と汗に塗れた足元を一瞥すると、何かを察したように頷く。
「三日で……いや、一日半といったところでしょうか。よくその速さで来れましたね」
「わたくし、いざという時の伝令役として、スピード特化で訓練をしてまいりましたので」
「そうですか。お疲れ様です。今は休んでください」
「いえっ!休んでもいられません!すぐ戻らなくては」
「あー。いや、まあ、ちょっと待ってくださいね」
銀髪の青年がそう言うと、静かに瞼を閉じた。
流石に話を聞いていなかったとでもいうのか。
不眠不休で駆け抜けた私の身体に、激しい焦燥と怒りが一気に押し寄せていた。
――はずだったのだが。
気付けば私はよくわからない場所の、よくわからない工房へ通されていた。
たしか、キャンディ陛下が自らフロワールへ出陣して救援へ赴いてくださると決まり、安堵しかけた直後のことだった。
銀髪の青年が右手を滑らかに伸ばし、何もない中空から一本の鍵を取り出して空間に掲げると、信じがたいことに、空間の真ん中にぽっかりと質素な『扉』が現れたのだ。
戸惑う私を余所に扉が開かれ、半ば呆然と促されるまま敷居を跨ぐと、五重輪の厳粛な砦の空気は消え失せ、無数の古い木箱が並ぶ地下の倉庫へと通されていた。
そこで二体の魔導人形に出迎えてもらい、暗い階段を上ってたどり着いたのが、この工房なのだ。
「シルビアさん、それからリゼ。二人の分の替えの装備も、ちゃんと予備を作っておいたから準備できてるよ」
銀髪の青年が何事もないように差し出したのは、彼らの戦闘装束だった。
現在彼女たちが着ているものと寸分違わず完璧に用意されているその周到さに、金髪の可憐な女性が感心したように微笑む。
「まあ……予備の分まで完璧に作って準備してくださっていたのですね。ふふっ、さすがはレオさん」
「さすがはご主人様ですわ!」
感心と信頼を寄せる彼女たちの姿を見て、銀髪の青年が私に向かって補足するように言葉を添えた。
「あ、カルラ副団長。そういえば、自己紹介がまだでしたね。俺はレオ。レオ・クロースといいます。それと彼女はバーディア聖王国から協力しに来てくれている、今代の『聖女』のシルビア・スワンさんです」
「……せ、聖女様……!? それに、クロース……!?」
私の思考が跳ね上がった。目の前の青年は、あのアイゼン王国随一の名門にして、千年前の八英雄ノーマン・クロースの血を引く、あのクロース侯爵家のお方なのか。他国の騎士である私にとっても、その名は知らぬ者のない重鎮の家柄である。
さらに、なぜ聖女様がこのような場所にいて、彼とこれほど親しげに話しているのだ。
「ち、ちなみにここは?」
「聖霊王が次元の狭間に創った箱庭です」
「……」
もう何を云っているのかさっぱり呑み込めません、と叫び出しそうだった。
置いてけぼりのまま常識が崩壊し、目眩を覚える私は、聖女様が抱える装備をぼーっと眺めてしまった。
それに気づいたレオ殿が「あ、それ? 聖獣の糸を使った防具なんですよ」と、さらりと恐ろしい事実を付け加えてくる。
……せ、聖獣の糸……!?
私の頭が再び激しく揺さぶられた。
聖獣といえば、各大聖霊に仕える大いなる眷属である。宝とも言えるその希少な聖獣の糸を、あまつさえ予備の戦闘服にまで惜し気もなく使用しているというのか。
いったいこの青年の背後には、どれほど規格外の技術と背景が存在するというのだ。
そこへ、優雅な足取りで近づいてきたリオルトの女王、キャンディ様が、扇子で口元を隠しながらおっとりと微笑みかけた。
「あらあら、レオちゃん。わたしにはないのかしら?」
「いや、キャンディのところは八武匠が手掛けてるんだからいいだろ。俺がわざわざ作る必要ないじゃないか」
「あらあら。つれないわね、レオちゃんは」
一国の王であるキャンディ女王陛下に対し、まるで気安く言葉を投げるレオ殿。
騎士としての教育を受けてきた私の常識が悲鳴を上げた。
「レ、レオ殿!先ほどから感じておりましたが、いかがなものでしょう。女王陛下に対してその物言いは不敬にすぎます!いくら英雄の末裔とはいえ、言葉を慎まなければ、国際問題にもなりかねません!」
慌てる私に対し、キャンディ様はくすくすと楽しそうに笑い声を立てた。
「あらあら、いいのよ、カルラ副団長。レオちゃんはこれでいいの。なんせ、彼はかつての英雄の生まれ変わりなのですから」
「……え?え、英雄の……?それはつまり、あのノーマン・クロース様の……?」
我が目を丸くして問いかける私に対し、キャンディ様は扇子を口元に添えたまま、おっとりと首を傾げてみせた。
「あらあら、違うわよ。彼は九人目の英雄なの」
「おい、キャンディ」
「あらあら、いいじゃない、レオちゃん。どうせ後々知られるんだから」
「す、すいません。キャンディ陛下。かつての英雄は八名なのではないのですか?」
「ええ。かつてわたしたちと共に戦ったのは九名。レオちゃんはその九人目の英雄〝ショウ・トキノ〟の生まれ変わりなの」
「ショウ……トキノ……ですか」
「そうよ。己の命を賭して、この世界を救った英雄の名前」
作業台の脇で、レオ殿が片手で顔を覆い、心底呆れ果てたように深くため息を吐いていた。
胸の内に留めておきたかった事実を惜しげもなく暴露され、お手上げだと言わんばかりに肩を落とし、諦め混じりの表情で天を仰いでいる。
「全部云うじゃん。別に誰も知らなくてもいいことを」
「いえ、ダメよ、レオちゃん……いえ、ショウちゃん。あなたは紛れもなくこの世界……いえ、この星を救った英雄なの。あなたが千年前に望んだことを、わたしたちは十分隠してきたわ」
「……」
「でもね、ショウちゃん。あなたはもっと報われるべきなの。生まれ変わってもなお、またこうして戦いに身を投じているのを、わたしたちは黙って見ていられないの。別にショウちゃんとしてじゃなくていい。レオちゃんとして、今度はちゃんと〝英雄〟になりなさい」
「キャンディ……」
「あらあら、大丈夫よ、レオちゃん。わたしたちがついているわ」
私の頭の中が完全に真っ白になった。千年前、世界を災厄から救った英雄は『八英雄』として歴史に刻まれているはずだ。
九人目の英雄など、聞いたことも習ったこともない。
歴史の裏側に隠された、存在すら知られざる幻の英雄だというのか。
いえ。千年前の英雄の一人であるキャンディ様が云うのだから、本当なのだろう。
それでも、あまりに常識を逸脱した言葉の数々に、私の思考回路は完全に焼き切れてしまいそうだった。
目の前にいる銀髪の青年が、千年前の星の救世主の魂を宿し、聖女様や他国の王と当然のように渡り合い、聖獣の糸までも着こなす規格外の存在だなんて、誰が想像できるというのか。
「まあ、いいや。それよりもさっさと準備しないとな」
私の動揺を他所に、レオ殿は工房内の魔道具と思しきものを中空に詰め込んでいく。
大体、あの魔法?はなんなんだろう?
中空に生じた小さな空間の歪みへ手を突っ込んでは、作業台にあった大きな魔道具や予備の武具を、吸い込ませるように次々と消し去っているのだ。
まるで中空そのものを収納箱として扱っているかのようで、どこまで常識を覆せば気が済むのかと目眩すら覚える。
「よし、応急だが準備は出来た。じゃ、行こうか」
手際よくすべての準備を整えたレオ殿が、作業台から振り返り、全員に向かってハッキリと声をかけた。
自由奔放な会話を交わす彼らに促され、私たちは階段を下りて再びあの地下倉庫へと向かう。
その移動の途上、私は胸の内にずっと抱いていた疑問をどうしても確かめたく割り込んだ。
「あ、あの!レオ殿」
「はい、なんでしょう」
「レオ殿はクレア様とどのようなご関係で……?」
クレア様。
神出鬼没の城憑き妖精〝ロサディーナ〟と呼ばれていたお方だ。
当初はなぜあのような幼女がアントニオ陛下の側近のように佇んでいるのかと疑問を抱いていたが、先日の襲撃戦においてその考えは根底から覆された。
身の丈ほどもある重厚な大盾を掲げ、凄まじい雷撃を放って敵を容赦なく打ち砕く圧倒的な戦闘風景を目撃し、同じ雷属性を所持するものとして、アントニオ陛下以外で初めて胸を突くほどの尊敬と畏怖を覚えたのだ。
その後、我が騎士団長から「あのお方は聖なる猫のヒトの姿であらせられるクレア様です」と打ち明けられ、息を飲んだものだった。
「あー、エクレアは――」
「レオ様の僕ですわ!」
「は?」
一国の尊い聖猫様を捕まえて僕とは、あまりに常識を逸した言葉に私の思考がピタリと止まる。
「おい、リゼ。誤解されるような言い方をするな」
「では、下僕?」
「意味同じだし、さらに人聞き悪くなってるよ」
「レ、レオ殿……?」
「あーっと、誤解しないでくださいねカルラ殿。聖猫アンシャ……つまりエクレア……クレアの方がわかりやすいかな?は、元々先ほど名前が出てきた〝ショウ〟の飼い猫だったんですよ」
「え?飼い猫?……ですか」
「ええ。ショウの最後の願いでベル様に頼んで救ってもらったんです」
「べ、ベル様というのはもしや……」
「あー、たぶん、そのもしやですね」
「聖霊王……」
「そうです。で、俺がショウの記憶を受け継いだ際、彼女たち全員と主従の契約を結びましてね」
「な、なるほど……」
「ちなみに、このリゼもクレアと同じ聖猫なんですよ」
「そ、そうなんですねぇ……はははは、は」
予想外の回答が連続され、私の口から乾いた笑いが零れてしまった。
思わず、聖霊王との関係は?と尋ねたくなったが、私は堪えた。
呆然としながら階段を下り、たどり着いたのは地下の倉庫であった。
室内へ足を踏み入れた瞬間、感応式のマナランプが自動で反応し、パッとあたたかな光が室内を照らし出す。
明るくなった室内の奥に佇むのは、先ほど私たちがリオルトから跨いできた質素な木製の扉である。
レオ殿はただ扉のノブにそっと手を重ね、静かに目を閉じている。
……いったい何をしているのだろう。
鍵も挿さず、どのような術を行使しているのかすら、私には何一つわからない。
カチリ、と硬質な音が響く。
「さあ、行きましょう」
彼が扉を押し開いた瞬間、吹き込んできたのは、花の香りに乗って僅かに感じる戦の匂い。
――我が故郷フロワールの気配だった。
第2章 黄土ヲ砕ク ―完―




