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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 下  作者: 山本陽之介
第2章 黄土ヲ砕ク

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第18話 フロワールからの報せ

「あらあら、それにしてもリゼちゃんの固有魔法《オリジン》、すごかったわねえ」


 ベル歴995年、氷の月6日。


 地中都市国家リオルト。大空洞の奥深くに築かれた地の聖域、その絶対防衛機構である五重輪《オクト・クインタ》の重厚な第一門の傍ら。見えざる隠し扉である『第零門』の前。


 地の大聖霊タナターレの試練を無事に乗り越え、第零門の外へと帰還したレオたちは、一息ついていた。


 試練に同行し、その規格外の体術で共に戦線を支えた女王キャンディ・リオルトが扇子で口元を隠しながらおっとりとした声で微笑むと、エメラルドグリーンの髪を揺らしたリエリーが、優雅に微笑み返した。


「お褒めにあずかり光栄ですわ、キャンディ様。ですが、わたくしはただ、風の理《ことわり》に従って岩の隙間を撫でただけに過ぎませんのよ」

「謙遜なさらないでください、リゼさん。あの分厚い岩の装甲を、風だけで砂のように崩してしまうなんて、本当に見事でしたわ」


 シルビアが目を輝かせてリエリーを見つめる。大聖獣の模倣体が纏う圧倒的な質量と強固な地殻の鎧に対し、決定打を与えたのはリエリーの風であった。


「シルビア様。風の理は、力任せに物を吹き飛ばすだけではありませんの。地の質量防御がどれほど強固に見えようと、極小の隙間は必ず存在しますわ。そこに介入し、内部から構造の結びつきを削り取る……『風化』や『侵食』の現象を凝縮しただけですわ」

「なるほど、風化作用の高速化ってやつか」


 レオが技術屋としての視点で感心したように頷いた、その時だった。


「キャンディ様! レオ様!お待ちしておりましたぞ!」


 第零門のすぐ外で待機していたのだろう。慌ただしい足音と共に、一人のココピット族の男性が息を切らして駆け寄ってきた。


 キャンディの居城であるフォンドラルテ邸で家令を務める、トッポンである。


「あらあら、トッポン。お待ちしていたって、どうしたの?それに随分と慌てているみたいだけれど」

「大変なのでございます!」


 普段は冷静沈着な家令が、額に汗を浮かべて血相を変えている姿は尋常ではなかった。


 そして、トッポンの背後には、一人の見知らぬ女性騎士が同行していた。


 乱れた金髪のミドルボブヘアに、しなやかで洗練された鎧を身に纏い、腰には細身の剣を帯びている。その知的な顔立ちには普段の冷静さと柔軟な思考力が窺えたが、今は深い疲労と焦燥感に覆われていた。


 彼女はレオたちの姿を認めると、その場に片膝をつき、深々と頭を下げた。


「突然の無礼、平にご容赦ください。私はフロワール騎士国、『花の騎士団』で副団長を務めるカルラ・カメリアと申します」

「花の騎士団の……副団長?」


 レオが女性騎士に目を向けた。


 他国の騎士団の要職にある者が、正規の外交ルートを通さずに単身で駆け込んでくる。それが尋常な事態ではないことは明らかだった。


「顔を上げてください、カルラ副団長。いったい何があったのですか? それに、通信用の魔道具を使わず、なぜ直接リオルトへ?」


 カルラは顔を上げ、震える声で、しかしはっきり告げる。


「……現在、我がフロワール騎士国は、エナドの報告にあった、西方の裏組織『エヴィス』と見られる大規模な武装勢力からの急襲を受け、激しい交戦状態に陥っております」

「エヴィス……ですか」

「はい。敵の妨害により国内の通信網はすべて傍受、あるいは遮断されており、外部への連絡が一切取れない状況でした。事態が事態ゆえ、誰の耳にも触れぬよう私が密かに国を抜け出し、直接リオルトへ報せに参った次第です」


 アイゼンの動乱やオリガタの危機にも影を落としていた組織の名だ。レオは小さく息を吐き、静かに受け止めた。


「なるほど。それで、情勢は?」


 カルラは苦痛に顔を歪め、深く頭を下げた。


「それが……。交戦の混乱の最中、アメリア様と、聖猫のクレア様が……忽然と姿を消されました」

「伯母様とエクレアが?……そう、ですか」


 自身の伯母であり、クロース家の技術を受け継ぐ天才魔道具師アメリア・ヒラソル。そして、雷の大聖霊の加護を持つ聖猫エクレア。強大な力を持つ二人が、同時に消えたというのだ。


 息を呑むシルビアとリエリー。


 だが、レオは慌てることなく状況を整理し、ふと決定的な違和感に気づいた。怪訝な顔でトッポンの背後を見回す。


「……トッポンさん。マロンは?」


 レオの鋭い問いに、シルビアもハッとする。


 当該属性の聖猫は試練の答えを知っているため同行できず、王邸でお留守番をしているはずだった。


 だが、エクレアのお世話役を自認し、誰よりも彼女を心配するマロンが、王邸でこの重大な報せを聞いたなら、トッポンたちと一緒に血相を変えて飛んでくるはずなのだ。


 それなのに、彼女の姿がどこにもない。


 レオが視線を向けると、トッポンは深く頭を下げ、申し訳なさそうに、そしてどこか痛ましげに報告した。


「……はい。昨日、王邸でカルラ副団長からその緊急の報せをお聞きになったマロン様は、無言で……」

「無言で?」

「ええ。一切の言葉を発することなく……私どもがお止めする間もなく、どちらかへ。おそらくでございますが、単身フロワールへと出立なされたのではないかと存じます」

「カルラ副団長の話を訊いた直後ですね?」

「はい。お声をかけても、振り返りもなさいませんでした」


 いつもなら「エっちゃんが危ないのです!」と大騒ぎするはずの彼女が、ただ沈黙のまま飛び出していった。その異常事態が、マロンがいかに深く絶望し、そして強烈な覚悟を決めたかを物語っていた。


「マロンが、無言で、ですか……」


 リエリーが小さく息を吐き、シルビアも心配そうに胸元で手を組んだ。


「ええ。クレア様のお世話役を自認するマロニー様ですから、よほどのことだったのでしょう……」

「なるほど」


 レオはトッポンの言葉に額を押さえて短くため息をつき、それからカルラへと視線を戻した。


「カルラ副団長。フロワールの現在の戦況は?」

「現在はアントニオ陛下と雷鳴騎士団、そして我々花の騎士団本隊が応戦していると思われます」

「思われます?」


 レオが引っかかりを覚えて問い返すと、カルラは苦しげに頷いた。


「ええ。最初の襲撃から三日経っておりますので」

「三日……ですか。リオルトまでは魔導車《マナビークル》で?」

「いえ。わたくしの脚のみです」

「三日で……いや、一日半といったところでしょうか。よくその速さで来れましたね」


 フロワールからリオルトまでは、本来なら国境を越え何日もかかる距離だ。魔導車を使わず、しかも敵の目を掻い潜りながらとなれば、尋常な速度ではない。


「わたくし、いざという時の伝令役として、スピード特化で訓練をしてまいりましたので」


 カルラは表情一つ変えずに答えたが、その顔には深い疲労が刻まれている。


「そうですか。お疲れ様です。今は休んでください」


 レオが気遣うように告げると、カルラの顔に焦燥が走った。


「いえっ!休んでもいられません!すぐ戻らなくては」


 彼女は痛む足に鞭打つように立ち上がろうとするが、レオがそれを手で制した。


「あー。いや、まあ、ちょっと待ってくださいね」


 カルラを宥めつつ、レオは無言で目を閉じ、意識を遠く離れた地にいる眷属へと念話を繋ぐ。


〘マロン、聴こえるか?〙


 数秒の沈黙の後、頭の中に切羽詰まった幼い声が響いた。


〘あ、主……!聴こえるのです!〙

〘今はフロワールか?どうせ、箱庭の接続紋《リンククレスト》を使ったんだろ?〙


 箱庭の裏庭には、八英雄の国すべてに繋がる接続紋が設置された飾り小屋がある。それを使えば、リオルトから箱庭を経由して、一瞬でフロワールの秘密の転移地点へと移動できる。


〘そ、そうなのです〙

〘行く前に一言声を掛けてほしかったよ〙

〘ごめんなさいなのです!でもっ!〙


 今にも泣き出しそうなマロンの声に、レオはふっと息を吐いて声を和らげた。


〘あー、別に責めてるわけじゃないよ。気持ちは分かるから。んで、戦況は?〙

〘雑魚は大したことがないのです!でもっ〙

〘でも?〙

〘何度呼びかけても、エっちゃんに念話が繋がらないのです! それに、たぶん、相手にマオンがいるのです!〙


 その言葉に、レオの目が鋭く細められた。エヴィスの背後に潜む、大聖霊と対をなす最悪の存在。それに、念話すら遮断されるほどの異常事態。


〘ああ。俺から呼びかけても繋がらなかったよ。だが、俺の中にある主従の繋がりは切れていない。エクレアは無事だから安心しろ〙

〘ほんとうなのですか!?〙

〘ああ。だから、俺も手伝うから落ち着いて〙

〘……!わかったのです!じゃあ、マロンはアントニオ陛下のところへ行っておくのです!〙

〘ああ。あとで、目を使わせてくれ。みんなで向かう〙


 念話を切ると、レオはふう、と短く息を吐いた。


「レオさん。マロンちゃんは……?」


 シルビアが心配そうに問いかけると、レオは小さく頷いた。


「マロンは無事だよ。アントニオ陛下と合流するらしい。だけど……」


 レオは落ち着いた様子でキャンディたちを見回した。


「厄介なことになった。カルラ殿が伝えてくれたとおり、襲撃してきたのはおそらくエヴィス。だが、どうやら向こうには八大罪のマオンの本体がいるかもしれないらしい」


 シルビアとリエリーが息を呑む。キャンディも扇子を口元に当てて、その穏やかな目を鋭く細めた。


「あらあら……それは一大事ね」


 ただの組織の襲撃に留まらず、災厄をもたらす大罪の化身が直接動いているとなれば、事態は一国の危機では済まない。


 レオは懐から手に入れたばかりの土色に輝く宝玉を取り出した。


 【地の聖宝球《セインツ・オーブ・ジオラ》】。


「キャンディ。地の試練、一緒に戦ってくれて助かったよ」

「あらあら、気にしなくていいのよ。それよりも、フロワールが心配だわ」

「ああ。俺はこれからフロワールに向かうよ」

「あらあら、わたしも行くわよ?」

「えっ?いいのか?」

「あらあら、もちろんよ。リオルトには八武匠がいるし、この間の件で、とりあえず大丈夫そうだしね」

「そうか。マジで助かる」

「ふふっ。マロンちゃんが向かったとはいえ、フロワールについて最も詳しいエクレアちゃんがいない上に、アントニオ君だけじゃ大変そうだしね」


 約千年前の八英雄の一人であるキャンディ自らが救援に赴くという心強い言葉に、焦燥していたカルラが感極まったように顔を上げた。


「あ、ありがとうございます! で、では急いで参りましょう!」


 今にも駆け出そうとするカルラを、レオが手で静かに制した。


「まあ、慌てないでください、カルラ殿」


 レオは何もない空間に右手を翳し、時空属性の収納魔法≪クロノ・ボックス≫から一つの鍵――【ベルコネクト】を取り出した。

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