第16話 黒き結晶
一年前。「虚飾」のマタド・ク・シアは、自身の固有魔法≪ヴァニティス・ホール≫が創り出す虚構のトンネルを用い、大陸を分断する絶対防壁『星辰の冠』をすり抜け、複数のエヴィスの部隊を西から東へと越冠させた。
そして、一年。それが、彼らがこの地中都市国に潜伏し、作戦の準備に費やした時間である。
第九将セティと第十三将ギルが率いる実行部隊『鏡面』の小隊規模の精鋭たちは、魔力探知を避けるため、リオルトの硬い岩盤を手作業で掘り進め、宝物庫へ至る地下坑道を一年がかりで造り上げた。
大隊規模の移動すら隠蔽するセティの広域幻術が、小隊規模の採掘作業の音やマナの波長を欺いていた。
並行して、技術・ハッキング部隊『声の裂け目』の第四副官ゲルトと第五副官イーダは、宝物庫の防衛結界を無効化するため、結界の魔導回路の末端に西方の国「モンサン」の『魔導化学』の技術を流用した黒い『寄生型装置』を密かに設置し、防衛結界の波長と同化させながら遠隔でハッキングを行う準備を進めてきた。
大展示場の裏通路への爆破装置の敷設も完了し、すべての手筈は整っている。
現在。
巨大なすり鉢状の大空洞に築かれた都市、アルテラ。
そのすり鉢の斜面上部に建ち並ぶ家屋の一つ。隠れ家として極秘裏に借り受けた薄暗い一室の窓の隙間から、眼下に広がる大展示場『アルテラ・グランド・ギャラリー』の特設バルコニーを遠方より見下ろす二つの影があった。
エヴィス技術・ハッキング部隊『声の裂け目』の第五副官イーダと、第四副官ゲルトである。
隠れ家である室内から安全に監視を続けるイーダは、ヘッドホン型の魔導集音器を装着し、会場の喧騒の中から特設バルコニーの様子を正確に傍受していた。
精緻な地属性の魔導回路が織り込まれた豪奢なドレスを纏う女王キャンディ・リオルトが、マナを増幅する魔道具を通し、巨大な地下ドーム空間の隅々にまでおっとりとした優雅な声を響き渡らせる。
『――皆様、遠方よりよくぞお集まりくださいました。私たちが千年の時をかけて磨き上げてきた技術と、各地から集まった職人たちの美しき叡智の結晶。どうか心ゆくまでご堪能くださいませ。リオルト芸術祭、これより開幕よ』
その優雅な宣言が地下空間の隅々にまで行き渡った直後、ドームを埋め尽くす群衆から地鳴りのような歓声と無数の拍手が沸き起こった。
大展示場が祭典の熱狂に包まれる中、イーダは通信用魔導具の周波数を合わせ、王邸の地下坑道に潜伏している実行部隊『鏡面』の第九将セティへと音声を届ける。
「……こちらイーダ。女王キャンディと八武匠たちは予定通り大展示場の特設バルコニーにいるわ。所在の確認は完了した」
「こちらゲルト。宝物庫の床面に仕掛けられた防衛結界の魔導回路は、俺が遠隔で解析して無効化しておいた。まもなくスイッチを起動する。あとは現場の実行部隊の仕事だ」
隣で遠隔起爆用の魔導端末を構えていたゲルトも、低い声で通信に割り込んだ。
魔導具越しに、セティの短く冷徹な応答が返ってくる。
『了解した』
ゲルトが端末の回路を物理的に短絡させる。
直後、特設バルコニーの裏通路で爆発音が響いた。
空気を震わせる重低音と共に、バルコニーの背後から大量の土埃が舞い上がる。それは瞬く間に広がり、特設バルコニーの姿を覆い隠した。
突然の轟音と舞い上がる砂塵に、歓声を上げていた観衆たちから悲鳴が上がり、会場は一時的なパニックの様相を呈した。
すり鉢状の斜面に建つ家の一室から見下ろす彼らの位置からは、土埃が邪魔をして結果の目視はできないが、轟音と観衆の悲鳴は陽動として十分な成果に思えた。
ゲルトが短く告げる。
「起爆、成功しました」
だが、パニックに陥っていたはずの眼下の会場の空気が不自然に落ち着きを取り戻し、次第にどよめきが、さらなる歓声と拍手へと変わっていくのが聞こえた。
「……状況の最終確認を行う」
ゲルトは右目に埋め込まれた義眼の拡大レンズを駆動させ、空調によって徐々に土埃が晴れつつある特設バルコニーへと焦点を合わせた。
そこから姿を現したのは、完全に無傷のバルコニーだった。
その中央で、キャンディ・リオルトは扇子で口元を隠し、歓声を上げる観衆へ向けて完璧な微笑みを絶やさずに立っている。その背後の死角には、八武匠の族長たちが微動だにせず盤石の態勢で控えていた。
ゲルトは義眼のレンズ越しに、特設バルコニーの中央に立つキャンディと、視線が交差した。
距離は離れており、高台の家の一室の窓の隙間から覗き込んでいる彼らの姿を、肉眼で特定することなど物理的に不可能だ。
だというのに、レンズの先の女王は、扇子の奥の瞳を微かに細め、眼前のゲルトの存在を確信しているかのように、優雅に微笑んでいるのだ。
ゲルトは無言のまま一瞬たじろぐが、直後に窓の隙間から身を引く。
「……作戦は失敗だ。撤退する」
ゲルトは手元の起爆端末へ強酸性の溶解液を流し込んだ。
「え?どうしたのよ、ゲルト」
突然の撤退判断と行動に、イーダが短く問う。
「目が合った。……俺たちの位置はすでに把握されている」
「……そう。わかったわ。じゃあ、彼らも」
「ああ、おそらくな」」
その答えを聞き、高度な魔導回路が溶け落ちる音を背に、イーダも即座にヘッドホン型の集音器を外し、機材を破壊する。
二人は踵を返し、部屋の扉へと向かう。ゲルトがドアノブに手を掛けた、その瞬間だった。
首筋に、鋭く冷たい感触が走る。
見えないほど細く強靭な魔導糸が、ゲルトとイーダの頸動脈に正確に当てられている。背後の暗がりに、いつの間にか複数の小柄な影が立っていた。
リオルトの捕縛と暗殺を担う、ココピットの職人部隊である。
「動かない方がいい」
小柄な影の一つが、感情を交えることなく告げた。
「沿岸に用意していた逃走用の船も、すでに拿捕した。お前たちに逃げ場はない」
その言葉を受け、ゲルトとイーダは無言で視線を交わした。
二人は同時に体内のマナを逆流させ、情報の漏洩を防ぐための自壊術式を起動しようとする。
だが、二人のマナ器官は強制的に沈黙させられていた。
小柄な影たちが手にしている、ペンの半分ほどの長さのペンタイプの魔道具。時空属性が付与されているそれを所持しているだけで自壊システムに干渉し、練り上げかけていた術式は霧散していく。二人の身体から力が抜け落ちた。
「自壊しようとしても無駄だぞ」
小柄な影が、淡々と事実を告げた。
作戦の破綻を認識してからわずか数十秒。
エヴィスの技術者たちは、一切の抵抗を許されぬまま捕縛された。
一方、その頃。
「地底の芸術の基盤」という意味を持つフォンドラルテ邸。千年もの間、職人たちを束ね、芸術を愛護し続けてきた女王の邸宅の地下深く。
エヴィス実行部隊『鏡面』の第九将セティは、打ち破った壁の先の光景に、一瞬思考を停止させた。
「……聖女が待ち伏せ、だと?」
第十三将ギルが、腰の双剣に手を掛けながら低く唸った。
そこにいたのは、銀髪の青年、淡い青と白の貴族服を纏う少女、淡い緑色のドレスの女性、そして巨大な戦斧を背負った幼女という、場違いな四人。
「おおっ、シルビアはやっぱり有名だね」
「何をおっしゃってますの、レオさん。先日水門巡礼を行ったばかりではありませんか」
セティの脳内で、急速な状況分析が回る。
一年だ。魔力探知を避けるため手作業でこの硬い岩盤を掘り進め、セティの広域幻術で一切の音とマナを隠蔽し続けた。
技術班が防衛結界の波長を解析し、完璧なタイミングで陽動と無効化を行ったはずだった。
上層の大展示場には女王キャンディと八武匠が釘付けになっているという報告を受けており、表に配置した部下からも、不審な訪問者の報せなどは一切上がっていなかった。
だというのに、どうやってこの四人がここにいる。
「どういうことだ。技術班の奴ら、情報をしくじりやがったのか?」
「……いや、通信の直前まで結界は正常に機能していた。奴らは、結界の内側で我々が壁を破るのを『待って』いたのだ」
セティの冷徹な分析に、ギルは忌々しげに舌打ちをする。彼らの隠密行動が完全に露見していたことは明白だった。
「お前は、何者だ」
ギルが双剣を抜き放ち、明確な殺気を放った。
銀髪の青年は、腰の剣に手を添えたまま、淡々と答える。
「レオ・クロース。聖女様の護衛だよ」
「……聖女の護衛?なぜ聖女の護衛が……いや、まてよ?クロース?貴様アイゼンのクロース家の者か!」
第十三将ギルが、驚愕と警戒の入り混じった声を上げた。
アイゼン王国における魔道具開発の最高権威にして、王国最強の守護者と称される一族という認識。
そして何より、目の前のレオ・クロースなる人物は、アイゼンでのクーデター計画を阻止した厄介な存在として西側にも届いていた。
その事実はエヴィス側にもすでに共有されているが、それがなぜこの場所にいるのかという想定外の事態に、警戒を強める。
第九将セティが冷徹に右手を高く掲げ、指を弾いた。
その物理的な摩擦音を合図に、高周波のマナの波紋が宝物庫の空気を震わせる。
直後、セティとギルの背後、そして彼らが通ってきた地下坑道の奥から、空間の屈折率が強制的に書き換えられ、波打つように歪み始めた。
セティが展開していた『広域幻術』が解除されたのだ。
無人の空間と思われていた場所に、黒装束に身を包んだエヴィス実行部隊『鏡面』の精鋭たちが、次々と姿を現す。
表に残した者を除いた精鋭二十名。
地下坑道の閉鎖空間では十分な脅威となる数が、完全に気配とマナを消したまま、セティたちの背後に控えていたのだ。
セティが無言で片手を振ると、現れた精鋭部隊が一斉に武器を構え、レオたち四人を半包囲する陣形をとった。
圧倒的な数の暴力と、逃げ場のない地下の宝物庫。
だが、完全に包囲されたはずの四人の表情に、絶望や恐怖の色は微塵もなかった。
「……随分と埃っぽい方々がたくさん現れましたわね」
シルビアが、口元を隠して上品に微笑む。
「美しい芸術祭を泥足で汚すだなんて、無粋な方々ですわ」
エメラルドグリーンの髪を揺らすリエリーが、背中の弓に手をかける。
「マロンの国の芸術祭を邪魔する悪いやつらなのです!全員お仕置きなのです!おしりペンペンなのです!」
幼女の姿をしたマロニーが、自身の背丈を超える巨大な戦斧を軽々と構え、元気よく宣言した。
そして、レオは小さく息を吐き、腰の剣をゆっくりと抜き放ち、切っ先を敵方に向ける。
「だ、そうだ」
「ぬかせ!」
両者の殺気が激突し、宝物庫の空気が限界まで張り詰める。
「総員、構わず殺せ」
第十三将ギルが双剣を振りかざし、怒号を飛ばす。その号令を皮切りに、包囲陣を敷いていた二十名の精鋭たちが、四人へ向けて一斉に斬りかかった。
重厚な岩盤に囲まれた宝物庫を満たす殺意と刃。
だが、最初に動いたのはシルビアだった。
第四位階癒属性身体強化魔法≪セイクリスト≫。
癒やしのマナを筋繊維に過充填させ、常人の数倍に及ぶ身体能力を引き出した彼女は、先頭の兵士が放った剣撃を素手で弾き飛ばす。
そのまま踏み込み、マナの振動を乗せた「聖なる拳」を兵士の胸当てに叩き込んだ。
空気が破裂するような重い衝撃音と共に、兵士の身体が砲弾のように後方へ吹き飛び、後続の部隊を巻き込んで岩壁に激突する。
「なっ……聖女が、素手で……!?」
想像を絶する聖女の武闘派すぎる一撃に、エヴィスの精鋭たちが一瞬たじろぐ。その隙を、マロニーが見逃さなかった。
「お仕置きなのです!」
元気な掛け声と共に、彼女の背丈を優に超える巨大な戦斧が振り回される。大地のマナを纏ったその一撃は、硬い石床を抉りながら数人の兵士をまとめて薙ぎ払い、陣形を強引にこじ開けた。
「まあ、随分と統率の取れていない方々ですわね」
後方では、淡い緑色のドレスを揺らすリエリーが、風の弓を優雅に引き絞っていた。
放たれた不可視の風の矢は、死角から迫ろうとする敵の軌道を正確に読み切り、次々とその足を射抜いていく。
そして、レオ。彼は時空属性の結界を薄く纏いながら、敵の密集地帯へと迷いなく飛び込んだ。
無駄のない体術と洗練された剣技、そこに時空の歪みを利用した予測不能の斬撃。 銀閃が走るたびに、エヴィスの精鋭たちが声も上げずに崩れ落ちていく。
「馬鹿な……!」
ギルが双剣を握る手を震わせ、信じられないものを見るように吼えた。
セティもまた、冷徹な仮面を崩し、その光景に戦慄を覚える。
銀髪の剣士、規格外の武力を持つ聖女、そして未知の力を持つ二人の少女。
圧倒的な数の優位は、絶対的な個の力と洗練された連携の前に、わずか数分で完全に沈黙し、無に帰した。
第九将セティは、冷徹な仮面に隠しきれない戦慄を浮かべつつも、瞬時に崩壊した陣形を視線でなぞった。
第十三将ギルは双剣の柄が軋むほど強く握りしめ、忌々しげに舌打ちをした。
床に転がる二十名の部下たちは、すでに誰も立ち上がれない。逃げ場のない地下の宝物庫で、完全に追い詰められたのは自分たちの方だった。
「……ギル。作戦は失敗だ」
「……ああ。分かってる」
捕縛され、エヴィスの機密情報を引き出されることだけは避けなければならない。二人は目配せをし、体内のマナを逆流させて自壊術式を起動しようとした。
だが、二人のマナ器官は、まるで重い鎖で縛られたかのようにピタリと沈黙し、ピクリとも動かなかった。
起動しない術式。奪われたマナの制御。
自死すらも禁じられたという異常事態に、ギルの表情が苦悶に歪み、セティの仮面の下の眼光が鋭く揺れた。
そんな二人の前に、レオが剣を肩に担ぎながら、飄々とした足取りで歩み寄る。
「自決しようとしても無駄だからね」
レオは腰に巻いたこげ茶色のベルトポーチに視線を落とす。そのペン差しや工具差しにあたる部分には、ココピット族に渡したものと同型の、時空属性が付与されたペン型の魔道具が挿されており、鈍い光を放っていた。
絶体絶命。
一切の抵抗も自死すらも許されない状況下で、セティは冷静に最悪の事態を想定し、懐に忍ばせていた『ある魔道具』に指先を触れた。
それは、小さな黒い結晶石のような形をしていた。
「……ギル」
「……部下を置いて、アレを使うのか」
「情報を抜かれるよりはマシだ。……それに、どうせここはもう終わりだ」
セティの冷徹な決断に、ギルは倒れ伏す部下たちを一瞥し、短く舌打ちをして自身の懐から同じ黒い結晶石を取り出した。
「悪いが、捕まる気はない」
セティが冷たく言い放つと同時、二人は自身の中に残る全マナを結晶石へと一気に注ぎ込んだ。
黒い結晶石が鈍い光を放ち、周囲の空間が不自然に歪む。
レオは無言で即座に踏み込み、時空属性のマナを乗せた手を伸ばして空間の歪みを抑え込もうとした。
だが、それよりも早く。音もなく、彼らの輪郭が陽炎のように霞んだかと思うと――次の瞬間、そこにはもう誰もいなかった。
宝物庫から、エヴィスの幹部と思しき二名の姿は完全に消失していた。
レオは即座に周囲のマナを探るが、爆発音も、マナの残滓すらもほとんど残っていない。
だが、その不可解な消失の瞬間に生じたごく僅かな位相のズレを、時空属性を持つ彼の感覚だけが確かに捉えていた。
「……空間が歪んだ?まさか……」
「レオさん、今のは?」
「さあ、断定できないが、おそらく転移、かな?」
レオは誰もいなくなった空間を見つめ、微かに眉をひそめた。
「転移ですか……」
シルビアは小さく息を吐き、周囲の気配を探って新たな伏兵がいないことを確認し、警戒を解いた。
「……逃げたのです」
マロニーが巨大な戦斧を石床に下ろし、不満げに頬を膨らませる。リエリーが優しくその頭を撫でた。
「ええ。ですが、レガリアの強奪は防ぎましたわ。……それで、レオさん。この者たちはどうしますか?」
シルビアは床に転がる二十名の精鋭たちへ視線を落とす。彼らは自壊術式を封じられたまま、完全に意識を失っていた。
「まあ、コイツ等からの情報は期待できないけど、とりあえずココピットの職人部隊に引き渡そう」
レオは、静かに剣を鞘に納めた。




