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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 下  作者: 山本陽之介
第1章 紅蓮ヲ断ツ

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幕間 仄暗い水の底から

 ベル歴995年、雷の月24日、夜。


「まさか、あの【アクヴェラ】をあのような小さなポーチに収納するとは」

「レオ様の叡智があればこそでございます」

「しかも、魔導機雷犇めく海底で、この【マリノス・クロノ・ヴィラ】を展開して宿泊するとは」

「レオ様の叡智があればこそでございます」

「そ、そうでござるな……」


 革張りの長椅子に深く腰を下ろしたオリガタ皇王国の駐在大使タチバナは、給湯魔道具【マナカラン】で淹れられた温かい茶を一口啜った。


 完璧に仕立てられた漆黒の執事服を纏うノイアーが、手にした小さなポーチ型の魔道具から、丸められた二枚の地図を取り出して卓上に広げた。


 極東の海域を精緻に記した特殊な耐水紙の海図と、オリガタ皇王国の詳細な地形図である。


「タチバナ様。明日の行動に向けて、上陸地点と経路の最終確認を行っておきましょう」

「ええ」


 タチバナは海図の赤い線の内側を指し示した。


「明日、この機雷区域を抜ければ沿海区域となり、およそ二十海里で我がオリガタ皇王国の本島です」


 彼が距離を口にして視線を向けると、ノイアーは静かに頷いた。


「ええ。明日もこのまま海中を移動します」

「高感度のレイシ系センサーを潜り抜けるのですね」

「はい。上陸地点は、事前の算段通りでよろしいですか」

「ええ。皇都である『ヒルメの都』から遠く離れてしまいますが、沿岸部のこの位置。私の実家であるタチバナ家と所縁のある港町から上陸しましょう」

「まあ、皇都は中央にございますからね、仕方ありません。それで、そこからであれば、安全に身を隠せると?」

「ええ。怪しまれることなく協力者を得ることが可能です」

「承知いたしました。入国後、私は独自に調査を進めるつもりです。その拠点となる、隠れ家的な場所を貴方に用意していただきたい」

「……なるほど。そういうことであれば、手配いたしましょう」

「よろしくお願いいたします」

「ですが、潜伏した町からさらに内陸のヒルメの都へ入り調査を進めるには、厳しい検問網を掻い潜らねばなりませんぞ」

「ご安心を。第九位階闇属性結界魔法≪オンブルモンド≫を行使いたします」


 ノイアーの足元で、彼自身の影が生き物のように揺らめいた。


「だ、第九位階だと……? 第六位階以上は聖霊の加護を持つ者のみが至るという魔法のはず。それを、貴方が使えるというのですか」


 タチバナは目を見開き、生き物のように揺らめく影とノイアーを交互に見比べた。


「ああ、申し上げておりませんでしたね」

「え?」

「ワタクシは黒猫のノワル。大聖霊様より加護を賜れし聖猫の一匹」


 ノイアーは恭しく礼をとりながら、漆黒の毛並みと深紫の瞳を持つ黒猫の姿になってみせた。


「聖なる猫……」


 タチバナが言葉を失う中、黒猫は再び人の姿へと戻り、淡々と魔法の理を説明した。


「ええ。現実世界の影をひっくり返した裏側の世界へ、一時的に空間を繋げます」

「裏側の世界……」

「はい。外部からの物理的、魔法的干渉を完全に遮断する空間です」


 タチバナは長く息を吐き出し、こわばっていた肩の力を僅かに抜いた。


「……空間の位相をずらすレオ殿の魔道具のみならず、貴方もまた常軌を逸した存在であるというわけですか」


 タチバナは顎に手を当て、僅かな間、視線を伏せた。


「あなたのような聖なる猫が、レオ殿を主とされているのは――」

「ワタクシどもは元々、英雄ショウの飼い猫でございました」

「……ああ、なるほど。そういうことでしたか。レオ殿は、ショウ・トキノの魂の記憶を受け継いでおられる」

「ええ。主がどのような姿になろうとも、お仕えするのは当然の務め。主が到着されるまでに、安全に盤面を整えておくことが私の役目でございます」


 ノイアーは深紫の瞳を静かに細めた。


「監視の目に視認されることなく、安全に内陸へ移動し、私はそこから独自の調査に移ることが可能です」

「なるほど。それならば確かに交番の連携網も、影の世界からの移動であれば捕捉のしようがありませんな」

「ええ。もとより国内は猫の姿も併用して調査を行うつもりでございますから」


 タチバナは地図を睨み据えた。


「……物理的な調査と障害の排除は、有能な影である貴方にお任せしましょう。そこから先、極秘裏に兄タカアキと接触し、国の受け皿を造り上げることは文官である私の役目ですね」

「ええ。主が到着されるまでに、共に盤面を整えておきましょう」





 翌深夜。


 二人は無事、オリガタ皇王国への上陸を果たした。


 本島の中央、実質的な皇都である『ヒルメの都』から遠く離れた港町の岸壁。


 静かな波音が響く中、漆黒の改良型密着衣に身を包んだタチバナとノイアーが、海中から音もなく陸へと上がった。


「……無事、突破できましたな」


 タチバナがフルフェイスマスクを外し、大きく息を吐き出した。


「ええ。沿岸部の高感度センサー群も、完全に我々を存在しないものとして処理したようです」


 ノイアーもマスクを外し、淡々と状況を報告した。


「……さて。ここから先は、時間との勝負ですね」

「ええ。まずは、協力者のもとへ案内しましょう」


 タチバナの言葉に、ノイアーは静かに頷いた。


 二人は漆黒の密着衣を夜の闇に溶け込ませ、音もなく港町へと足を踏み入れた。

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