第11話 湖底
ベル歴995年、雷の月38日。
箱庭の研究室兼工房。
作業台に肘をつき、豪快な笑みを浮かべたのは、レオの父であるオスヴァルト・クロースだ。
「よお、ライナー。元気だったか」
無骨な作業着の袖を捲り上げたライナー・クロースが、オスヴァルトと、その隣に立つ初老の男へ交互に視線を向ける。
「ああ。兄貴も……それに、親父も元気そうで」
「はっはっはっ。若いもんにはまだ負けてられんからな」
快活な笑い声を上げたのは、レオの祖父、マルセル・クロースである。白髪混じりの髪を後ろで撫で付けた彼は、技術者特有の好奇心に満ちた鋭い眼光を宿していた。
マルセルの傍らに控える端正な顔立ちの青年が、静かに頭を下げる。
「ライナー叔父上。お久しぶり」
レオの兄、マルクス・クロースだ。
「で?レオはどこへ行ったんだ?」
オスヴァルトが室内を見回しながら問うた。
「さあ。さっきまでいたんだけどね。誰かを迎えに行くと言って、扉の向こうへ消えましたよ」
マルクスが淡々と応じた。
「そうか。……それで? ここにライナーがいるってことは、ゲンマでなにかあったのか?」
オスヴァルトが腕を組み、声のトーンを僅かに落とした。
「ああ。それについてはレオが来てから――」
「なにを云っておる、ライナー。こっちはマルクスとクロロン大森林の計画でバタついておったんだ。とっとと話さんか」
マルセルが作業台を軽く叩き、先を促す。
「そうだよ、叔父上」
マルクスも祖父の言葉を補強するように頷いた。
「とは云ってもなあ。レオがいるときの方が効率がいいんだよなあ」
ライナーが困ったように頭を掻く。
「まあ、そう云うな。効率って意味で云えば、概要だけでも知っておいたほうが後々説明が省けて楽だろ」
オスヴァルトが豪快に笑いながら、弟の肩を軽く叩いた。
「それもそうだな。それじゃ――」
ライナーが口を開きかけた、その時。工房の質素な木製のドアが、軽快な音を立てて開かれた。
「待たせたわね、愚弟ども。あ、お父様お久しぶりです。それに、マルクスも」
金髪でサイドを刈り上げたドレッドロックス、金色の瞳、特製の防護服を身に纏い、快活な笑みを浮かべて現れたのはアメリア・ヒラソル。レオの伯母にあたる女性だ。
現在は雷属性を司るフロワール騎士国に嫁いでいるが、男勝りな性格でクロース家の卓越した技術を色濃く受け継いでおり、その腕前は現当主であるオスヴァルトに勝るとも劣らない。
マルセルは軽く手を挙げ、マルクスが軽くお辞儀をする。
「あ、姉貴……」
オスヴァルトが僅かにたじろぎながら呟いた。
「それにしても、なによこの場所。『箱庭』だっけ?凄いわねえ」
アメリアは室内の顔ぶれを確認した後、興味深そうに工房内を見回した。
「そうでしょ、伯母様。ベル様が創った空間だからね。待たせてごめん。これで全員揃ったね」
アメリアの後ろから、レオが姿を現した。
その後、それぞれが突然この箱庭へ呼び出された強引な経緯について軽く不満や笑いがこぼれ、ひとしきり場が盛り上がった。
一息ついた後、レオはゲンマ魔法国の赫炎の水門で何があったのか、事件の顛末とこの場に持ち込んだものについて手短に説明を終えた。
現在。
作業台の上に置かれた装置を、六人が覗き込むようにして囲んでいた。
「これか」
オスヴァルトが腕を組み、作業台の上の装置を鋭く見据える。黒曜石のように鈍く光る奇妙な基板の塊――寄生型装置の実物だ。
「ああ。ライナー叔父さんが発見し、俺が時空属性魔法を応用して切り離したものだよ」
レオは頷き、自身の携行する真鍮製の魔導演算端末【マナロジカ】を起動した。
寄生型装置の構造を細分化した立体映像が空間に展開される。青白い光が照射され、精緻な構造図がゆっくりと回転を始める。無数に走るマナの流動経路が、疑似的な光の線となって明滅を繰り返した。
「この装置はゲンマの『祈りの碑』から『赫炎の水門』まで繋がるマナパイプラインの中間地点に、防衛結界と同化するように隠して仕掛けられていた」
ライナーがレオの言葉を補うように状況を共有する。
「ほお。これはまた、異質な構造だな。モンサン製か?」
マルセルが立体映像に顔を近づけ、複雑に絡み合う配線パターンに目を細めた。
長年魔道具開発を牽引してきた彼から見ても、その構造は常識を逸脱していた。
「いや、モンサンの技術が入っているのは確かだけど、純粋なモンサン製かどうかまではわからないよ」
レオが投影されたデータを切り替えながら答えた。
「それにしても、これがパイプラインにねえ。なにかの変換装置って感じがするけど、レオ。何かわかったことはあるのかしら?」
アメリアが手元の計測用魔道具から視線を上げ、立体映像の中心を見据えた。
「ああ。この装置はアメリア伯母様が云ったとおり、変換装置だったよ」
レオが【マナロジカ】を操作し、投影される数値を切り替えた。青白い光で描かれた波形が、複雑な幾何学模様を展開する。
「調べた結果わかったのは、この装置の特徴は〝反転〟だった」
「反転、だと?」
オスヴァルトが太い眉をひそめ、作業台の上の装置を鋭く見据えた。
「ああ。ここにいるみんなならわかるよね。このヤバさ」
「ああ、そうだね。マナの性質を反転させる……」
マルクスが手元の魔導演算端末で高速の計算を走らせながら、冷静な推論を繋ぐ。
「つまり、聖女様が充填する純粋な『癒』のマナの波形を入力として受け取り、内部の魔導化学的な触媒反応を用いて極性を完全に反転させ、出力する仕組みになっているということか。純粋な正の波長が、そのまま真逆の性質へと変換される」
「癒やしのマナを反転させる。正の生命エネルギーを、負の指向性を持つマナへと書き換えるということか……」
ライナーが、日焼けした腕を組みながら重々しい声で補足した。
「『癒』の反転ってーと、……『怨』か」
マルセルが鋭い眼光を放ち、周囲の技術者たちを見回した。
「まさか……。奴らの狙いは、その反転させたマナをガルズ湖側へと逆流させることか」
「ああ。じいちゃんの推測の通りだよ」
レオが懐から、もう一つの黒い基板を取り出し、作業台の上に置いた。
「水門の中枢制御室にいた侵入者を拘束した後、持ち物を調べたら出てきたんだ。中枢システムに直接接続し、バルブ制御を書き換えるための拡張基板だった」
レオが【マナロジカ】を操作し、新たな基板のデータも空中に投影する。
「ガルズ湖側に逆流させるだと?」
オスヴァルトが太い眉をひそめ、声のトーンを落とした。
「……奴らの狙いは、『ヘルヘイム』か」
マルセルが低く唸る。その一言で、工房内の空気が一変した。クロース一族の顔から、技術者としての好奇心が消え去り、底知れぬ危機感が張り詰める。
「ああ。クロース家のみんななら知っているよね。ガルズ湖の底にあるものを」
レオが全員を見回す。
「始まりの災厄、『アビスルーミー』」
東方では口にすることすら固く禁じられている真名を、レオは静かに、そして確かな実感を持って口にした。
「……おいおい。その名を直接口にするとはな」
ライナーが日焼けした腕を解き、微かに顔をひきつらせて応じた。
「八大聖霊がいる表向きの理由は、千年前の戦いで世界を救うのに貢献した英雄たちへの加護と、国々の守護ってことになっているけれど」
アメリアが計測用の魔道具を置き、忌々しげに息を吐いた。
「事実は、湖底の災厄を立体的に縛り付けるための絶対的な封印構造……千年封≪ユグドラシル≫の『楔』として機能させるためだからね」
マルクスが淡々とした口調で、この世界が抱える最大の機密を口にした。
「ああ。『癒』の反対は『怨』。そして『怨』は災厄の餌。奴らはシルビアが注いだ癒やしのマナを怨に反転させ、それをヘルヘイムに直接注ぎ込むことで、災厄に膨大な餌を与えて活性化させ、楔を内側から破壊して解き放とうとしていたと推測できる」
レオの言葉に、工房内の空気が一段と冷え込んだ。
誰の口からも言葉が出ず、重苦しい沈黙が落ちる。
「……ここで暗い顔をしてても仕方ねえな。連中の狙いが分かったなら、次はこいつの構造を丸裸にして対策を練るだけだ」
その静寂を打ち破るように、オスヴァルトが大きく息を吐き出し、作業台の上の寄生型装置を手に取った。
「さあ、ご開帳といくか」
オスヴァルトが基板の表面を覆う装甲を、小型の切断用魔道具で慎重に削り取り始めた。ミリ単位の精密な刃先が、黒い外殻を薄く剥がしていく。高温の摩擦音が工房内に響き、細かな火花が散った。
「硬えな。アイゼンの魔鋼じゃない。熱とマナの耐性に特化した極めて硬質な特殊合金だ。おそらく、モンサンでのみ採掘される希少金属に、何らかの処理を施しているんだろうぜ」
数分の緻密な作業の末、内部構造を露わにしたオスヴァルトが、手元の動きを止めて僅かに眉をひそめた。
「っていうかこれは何だ?初めて見る鉱物?みたいだな」
マルセルが基板の中心部に埋め込まれた物質を指差して言った。
「たしかに。鉱物といっていいかわからんが、この小さな塊に相当量のマナが内包されている」
オスヴァルトが目を細めてその特異な物質を見据えた。
「これは推測だけど、モンサンは〝星辰の冠〟の〝採掘〟に成功したんじゃないかな」
レオが【マナロジカ】の数値を読み取りながら口を開いた。
「は?なに云ってんだ、レオ。〝星辰の冠〟の〝採掘〟ってお前、ありゃ南北を貫く溝のことであって、鉱物とかじゃ――」
ライナーが信じられないというように声を上げた。
「うるさいわね、ライナー」
アメリアが鋭い視線でピシャリと言い放つと、ライナーは言葉を詰まらせて渋い顔を作った。
「つまりレオが云いたいのは、〝星辰の冠〟という溝にある〝なにか〟の採掘ってことよね」
アメリアがレオに視線を向けた。
「そそ。ごめんね、ライナー叔父さん。言葉足らずだったよ」
「いや、俺の方こそ、すまん」
ライナーがバツの悪そうな顔で、ポリポリと頭を掻いた。
「なるほど。だとするとこのわけのわからねえ物質も説明がつく」
オスヴァルトが腕を組んで納得したように頷いた。
「だからって、父さん。決めつけはよくないからね」
マルクスが手元の魔導演算端末から顔を上げ、冷静に釘を刺した。
「わーってるよ。一応、仮ってことで考えるさ」
オスヴァルトは再び基板全体へと視線を戻した。
レオが「で、だ」と口を開く。
「俺が今日、急いでみんなをここに呼んだ理由はそれなんだ。今一度、水門のチェックを協力してほしい」
レオが【マナロジカ】の投影データを消し、五人の顔を交互に見据えた。
「アイゼンのクーデター未遂、極東オリガタの内乱工作、そして今回のゲンマの件。最近、星辰の冠という絶対的な境界を越えて、西側の連中が明らかに東へと侵食してきている」
「たしかに、そうだね」
マルクスが静かに頷き、同意を示した。
「連中の最終目的が災厄の解放だとするなら、狙われるのはゲンマの『赫炎の水門』だけじゃないはずだ。他の水門にも、すでに同じような寄生型装置が仕掛けられている可能性がある。だから、クロース家の総力を挙げて、世界中の水門を至急点検してほしいんだ」
「なるほどな。そういうことなら、話は早い」
ライナーが腕を組み、力強く頷いた。
「ゲンマの赫炎の水門は、事件の後に俺とレオですでに徹底的に洗い出したからな。他の仕掛けはなかった」
「では、ゲンマは大丈夫ということか。そして、セルバンにはそもそも水門のシステムが存在しないから、点検の対象から外してもいいね」
マルクスがライナーの言葉を引き継ぎ、静かに一つを除外した。
「となれば、確認すべき水門は残る六カ所ってわけね」
アメリアが防護服の袖を僅かに引き上げ、気合を入れるように作業台を軽く叩いた。
「フロワールは私に任せなさい。あそこは今や、わたしの帰る場所だからね。絶対に干渉を許さない防護を張ってやるわ」
「俺は次の試練の場所がリオルトなんだ。だから、あっちの盤石の水門は俺が現地で確認するよ」
レオの言葉に、マルセルが楽しげに笑い、熟練の瞳を光らせる。
「かっかっ。ならば、ワシはティアゾンの凍絶の水門へ向かおうか。あそこの水門は、久しく直接見ておらんからな。老骨に鞭打ってひと仕事するとしよう」
「では、僕はマリノンの蒼瀑の大水門へ向かうよ。あそこの現在のデータは、新領地でのインフラ構築の参考にもなるからね」
マルクスが冷静に己の目的地を定めた。
「なら俺は、ゲンマの復旧が終わり次第、バーディアの聖なる水門へ向かうとするか。水門巡礼の最終地点を先回りして、確実に安全を確保しておこう」
ライナーが腰に提げた魔導工具に触れながら、己の任務を再確認する。
一人残されたオスヴァルトが、腕を組んだまま深く息を吐き、首の骨を鳴らした。
「……おいおい。俺は今、八年周期の定期メンテナンスで各国を回ってる途中なんだがな」
オスヴァルトは苦笑交じりに呟きながらも、その瞳には最高峰の技術者としての鋭い光が宿っていた。
「まあ、この異常事態じゃ予定変更も仕方ねえか。俺は一度アイゼンに戻って、重闇の水門の中枢を総点検しよう」
「安心しなさい、オズ。フロワールはわたしがしっかりやっといてあげるから」
アメリアが妖艶な笑みを浮かべ、かつての愛称で弟をからかうように告げた。
「……姉貴、その呼び方はよしてくれって云ってんだろ」
オスヴァルトがバツの悪そうな顔で頭を掻く。その反応に、工房内に張り詰めていた緊張が僅かに緩み、クロース家特有の軽妙な笑いがこぼれた。
「さて、各々の担当は決まったね。それじゃ、各国の点検作業には、その国を担当する聖猫たちを護衛として同行させるよ」
レオが全員の顔を見回して提案する。
「なにか異常があったら、すぐに同行している聖猫に云ってくれ。彼女たちを通じて、俺に念話で即座に繋がるようになっているから」
「なるほどな。それなら互いの状況もリアルタイムで共有できるってわけか」
ライナーが感心したように頷く。
「親父が向かうアイゼンには本来ノワルが同行するべきなんだけど、あいつは今いないからね。だから、親父にはルジュをつけるよ」
「ルジュちゃんね。わかったぜ」
オスヴァルトが豪快に笑って了承した。




