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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 下  作者: 山本陽之介
第1章 紅蓮ヲ断ツ

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第10話 獅子の大聖獣

 レオは姿勢を沈め、雌獅子の重い爪撃を回避した。


 すれ違いざまに≪ヘキサガード≫を纏わせた手刀を関節へ叩き込むが、周囲の熱を吸い上げた雌獅子は一瞬で修復を完了させる。


 魔法を切り捨てた純粋な暴力が、戦いが長引くほどにレオたちを削りにかかっていた。


 次の攻撃を受け流そうとした時、肌を刺す急激なマナの高まりを感知した。


 視界の端で、アードルの模倣体が空間の熱エネルギーを強引に吸い上げ、赤黒く変色していく。


 ……あれは、自身の身体をマグマ化させる状態変化の聖獣魔法だ。


 時空属性の結界で隔離するか、グスタウスの火力で焼き尽くすか。


 レオが最適解を模索した、その時だった。


「≪海底二万哩オーバーフロー≫」


 爆ぜる炎の音を切り裂き、フルーナの静謐な声が空間に響いた。


 彼女の抜刀と共に、劫火の空間に絶対的な静寂が広がる。極限まで圧縮された水属性のマナが、アードルの模倣体を檻のように閉じ込めた。


 激闘の最中、レオは広間の中央で起きている異常に気付き、目を瞠る。


「ヤバいだろ、あれ」


 非圧縮性流体の性質を利用した、全方位からの均等な圧殺。


 破壊音は、一切発生しなかった。


 マグマの塊となろうとしていた獅子が、逃げ場のない外圧によって音もなく押し潰され、原子レベルで凝縮されていく。


 ほんの数秒で、アードルの模倣体はチリ一つ残さず空間から完全に消滅した。


 本体の消滅と同時に、レオたちに迫っていた雌獅子も輪郭を維持できずに崩壊し、赤いマナの粒子となって霧散していく。


 治癒のマナを過充填させ、目前の雌獅子を打ち据えようと振り抜いたシルビアの拳が、空を切った。


 猛烈な炎を纏って打ち合っていたグスタウスも、不意に目標を失って動きを止める。


 二人は唐突に脅威が消え去ったことに一瞬体勢を崩しかけ、次いで広間の中央で起きた静謐な現象の結末に目を向けた。


 超高圧が解除され、猛烈な排熱が白い湯気となって広間に立ち込めた。


 カチリ、と小さな音が響く。


 フルーナが刀を静かに鞘に納める音だった。


「ありがとう、フロー」


 レオは警戒を解きながら、短く息を吐いた。


「とんでもありんせん。当然のことをしたまででありんす」


 フルーナは妖艶な笑みを浮かべ、涼しい顔で応じた。


「それにしても、今回も俺は何もできなかったな」


 レオは苦笑交じりに呟き、先ほどまでアードルの模倣体があった場所を見遣る。


 湯気で霞むその場所には、すでに深紅に輝く宝球オーブが浮かんでいるのがなんとなく確認できた。


 湯気が晴れていく中、グスタウスがゆっくりと腕を下ろす。


「そんなことはないぞ、レオ殿。聖猫が其方の従者ならば、それもまた其方の力。嘆かず、誇るべきだと余は思うのだが?」

「グスタウス陛下。……たしかに、おっしゃるとおりですね」

「うむ。それに、だ。我らが共に戦っていたからこそ、フロー殿はその機会を得ることができたのだ」


 グスタウスは笑みを浮かべ、短く鼻を鳴らした。


「そうですよ、レオさん。わたくしたちも、しっかり役割を果たしているのですわ」


 シルビアも安堵の息を吐き、構えを完全に解いて微笑んだ。


「グスタウス王とシルビアの云う通りでありんす。陛下が正面から火力を引き受け、レオ様が死角を突く。そしてシルビアも最前線で戦いながら、治癒の防衛線を支え抜いてくれた。皆の完璧な連携があったからこそ、アチキの魔法で奴を逃がさず圧殺できたのでありんすよ」


 フルーナも静かに頷き、言葉を添えた。


「そうか。そうだな」


 レオは納得しながら頷き、再び宝球オーブに目を向けた。


 完全に湯気が晴れた広間の中央。


 浮かび上がる【火の聖宝球セインツ・オーブ・フレマ】の傍らに、燃え盛る炎のような鬣を持つ一頭の獅子が静かに佇んでいた。


 先程までの殺意に満ちた模倣体ではない。


 真っ直ぐな熱い心を持つ火の大聖獣、リオ・フレマの「アードル」だ。


 アードルは四人をゆっくりと見渡した。


「やるじゃねえか。とくに水の聖猫フロー。マグマ化状態のオレの模倣体をどうするかと思いきや、まさか圧壊させるとはな。いい固有魔法オリジンだ」

「お褒めにあずかり光栄でありんす、アードル様」


 フルーナは涼しい顔のまま、体の前で静かに両手を重ね、淑やかに一礼した。


「まあ、本物のオレ様には通じんがな」


 アードルが燃え盛る鬣を大きく揺らして力強く鼻を鳴らすと、フルーナは重ねた両手の内で爪が食い込むほど指に力を込めつつも妖艶な笑みを深め、その熱い挑発を小粋に受け流した。


「ゲンマの王。同属性での真っ向勝負、見事な出力と気迫だったぜ。歴代の王の中でもトップクラスの火力だ」

「ふむ。我が国の守護大聖獣に直接そう言わしめるとは、王冥利に尽きるというもの」

 「まあ、本物のオレ様の劫火には遠く及ばんがな」


 アードルが誇らしげに胸を張ると、グスタウスはこめかみに微かな血管を浮かせながらも、愉快そうに豪快な笑い声を上げた。


 さらに、アードルはシルビアへと顔を向ける。


「そっちの聖女もだ。癒やしのマナを筋繊維に過充填して殴り合うとはな。光の聖猫に仕込まれたんだろうが、歴代の聖女に違わぬ見事な気迫だったぜ」

「ありがとうございます、アードル様」


 シルビアが胸の前で両手を合わせ、素直に感謝して淑やかに微笑むと、アードルは短く息を吐いた。


「まあ、本物のオレ様の剛腕には勝てねえがな」


 アードルが前脚で軽く床を踏み鳴らすと、シルビアは胸の前で合わせた両手の関節が白くなるほど力を込めながらも、「ふふっ」と上品に笑ってそれを受け入れた。


 最後に、アードルの真っ直ぐな瞳がレオを捉えた。


「そして、ショウ……いや、レオ。……おかえり。待ってたぜ」

「ああ。ただいま、アードル」


 レオが静かに微笑んで頷くと、アードルは嬉しそうに短く鼻を鳴らした。


「まあ、本物のオレ様のマグマを纏った圧倒的な〝熱さ〟の前じゃ、今のその身体じゃ一瞬で灰になっちまうだろうがな」


 アードルが不敵に牙を見せて笑うと、レオは小さく息を吐き、飄々と肩をすくめた。


「はは、たしかに。でもまあ、なんとかなると思うけどね」

「んだとお! 本物のオレ様とやるか!? あぁ!? 今ここでやるかって訊いてんだよ!」


 アードルが燃え盛る鬣を逆立てて食って掛かると、レオは呆れたように軽く手を振った。


「やだよ。意味ないじゃん」

「チッ。相変わらず食えねえその飄々とした態度は、千年前とちっとも変わらねえな。安心したぜ」

「ん?そうか?」


 レオが短く笑って応じると、アードルは燃え盛る鬣を揺らして力強く頷いた。


 そして、自らの傍らに浮かぶ深紅の宝球へと顎をしゃくった。


「おう、レオ。そいつを持っていけ」

「ああ。ありがたく受け取らせてもらうよ」


 レオはアードルに頷き返し、宝球へと歩み寄った。


 宙に静止するそれを両手で手に取ると、心地よい温かなマナの脈動が掌から伝わってくる。


 レオは≪クロノ・ボックス≫を行使し、【火の聖宝球セインツ・オーブ・フレマ】を収納した。


「さて、これで目的は達成ですね。陛下、そろそろ戻りましょうか」


 レオが振り返って提案すると、グスタウスは腕を組んで深く頷いた。


「うむ。水門の修繕の進み具合も気になるところだからな。戻るとしよう」

「ええ」

「承知いたしんした」


 シルビアとフルーナも、それぞれ短く応じて頷きを返すのを確認すると、レオは再びアードルに体を向ける。


「それじゃ、アードル。久しぶりに会えてうれしかったよ」

「おう、オレもだ。さあ、行け。……また来いよ、レオ」


アードルが、燃え盛る鬣を揺らして短く鼻を鳴らした。


「ああ。また来るよ」


 レオが静かに微笑み、【ベルコネクト】で箱庭へと通じる質素な木製のドアを空間に顕現させると、グスタウスが興味深そうに目を細めた。


「ほう。これが噂に聞く箱庭への扉か。実に興味深いな」

「ええ。ただの地下の物置に繋がるだけですが、安全は保証しますよ。さあ、どうぞ」


 レオはノブを回して扉を引き開け、仲間たちと共に、火の試練を後にした。

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