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小さな幸せ

カウンターの隅。少女は立ち尽くしていた。

制服の裾を握りしめる両手は、不安げに小刻みに震えている。

視線は足元へ。目の前でPCを操作する中年男を直視する勇気なんて、あるはずもない。静まり返った店内に、ハッ、ハッという自分の浅い呼吸音だけが、やけに大きく響く。


「ど、……どう、ですか?」


消え入りそうな、蚊の鳴くような声。怒鳴られでもしたら、その場ですくみ上がってしまいそうなほど頼りない。


男からの返事はない。

剛毛に覆われた腕が動き、マウスをカチカチと鳴らす音だけが続く。

画面が切り替わるたび、男の気怠げな表情が険しくなり――やがて、凝固した。


「……はぁ」


重く、長い溜息。

びくっ。

少女の肩が跳ねる。血の気が引き、顔が真っ白に染まった。


「ま、言った以上は守るさ。約束だしな」

「よ、……よかったぁ……」


張り詰めていた糸が切れたように、少女の体から力が抜ける。蒼白だった頬に、ようやく安堵の笑みが浮かんだ。


「つーか、お前……」


男はモニターをくるりと回転させ、指先で画面を叩く。その目は、驚きを通り越して、まるで“化け物”でも見るような色を帯びていた。


「本当に人間か?」


画面に映し出されているのは、ランクマッチの戦績データ。


【対戦数:27】

【勝利数:27】

【敗北数:0】


そして、最も異常な数値がそこにあった。

【KDA:Perfect】


「開設して二日の新規垢アカウントとは思えねぇ……いや、そもそもゲーム未経験の女子高生が叩き出していい数字じゃねぇよ、これ」


男の声には、呆れと戦慄が混ざり合っている。


「どうやったら二日で27連勝なんてできんだ? そもそも、よくこの殺伐とした空気に耐えられるな。野郎でも『キツすぎる』って逃げ出すようなゲームだぞ?」


矢継ぎ早に放たれる言葉が、まるでハンマーのように少女の頭を殴打する。


「うぅ……」


喉の奥から、小さな悲鳴が漏れた。

ゴクリと唾を飲み込み、首をすくめる。少しでも自分の存在を小さく見せようとするかのように。

怯える小動物のようなその姿に、男はバツが悪そうにボサボサの頭を掻いた。


「ああもう、そんな食って掛かるような顔すんなって。『百位以内に入れば半額』。約束は約束だ。キャンペーン終了まで、うちは半額で使わせてやるよ」


言いながら、男は慣れた手つきでメニュー画面に戻り、グレーアウトしたままのアイコンを指差した。


「にしても、変わった嬢ちゃんだな。シングルプレイのキャンペーンモードには目もくれず、いきなりPvP(対人戦)の修羅場に突っ込むとは」

「は、はい……あの……だめ、でしょうか?」


少女がおずおずと顔を上げる。その瞳にあるのは、純粋な疑問と不安。ゲームの遊び方は自由なはず。でも、店長にそう言われると、自分が間違っているような気がしてくる。

純粋で、けれどどこか空虚な瞳。それを見つめ、男は胸の奥がつかえるような感覚を覚えた。


「だめじゃねぇよ。ただな……」


ため息を一つつき、男は声を和らげる。


「せっかくのゲームだ、キャンペーンも遊んでみたらどうだ? 対戦ガチ勢向けのゲームだが、グラフィックもシナリオも金かかってんだからよ」


キョトンとする少女に、男は不器用な言葉を継ぎ足した。


「つまりだ。勝ち負けだけがゲームじゃねぇってことさ。たまには足を止めて景色を眺めたり、物語を楽しんだり。そういうのも悪くないぞ?」

「物語を……楽しむ……?」


少女はオウム返しに呟き、戸惑いながらも小さく頷いた。


「よし、行っていいぞ。ま、気楽にやんな。俺はこう見えて『誠実』がモットーなんだ」

「はいっ! ありがとうございます!」


少女の表情がパッと華やぐ。認められた喜びが、その笑顔に溢れ出していた。

深々と一礼。ずり落ちそうになっていた鞄を椅子に掛け直し、彼女は再び、定位置である隅の席へと戻っていく。


その華奢な背中を見送り、男はポリポリと頭をかきながらレジへ戻った。

ポケットから煙草を取り出しかけ――思い直して、乱暴に押し戻す。


「ったく……」


モニター越しに見る少女は、ゲーミングチェアの上で小さく丸まっている。だが、マウスを握った瞬間、その瞳だけが鋭い光を宿すのだ。


「どこのクソ親だか知らねぇが……よくもまぁ、あんな可愛い娘を放り出せるもんだ」


男は誰に聞かせるでもなく、小さく毒づいた。

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