約束
尾崎に借りていたペンライトを返すと、代わりに俺の手元を覗き込まれた。
「同じの買ったんだ」
「使い方を覚え直さなくて済むからな」
「それなら、今日は色を間違えないな」
前回、黄色にするまで何度もボタンを押した話を、尾崎はまだ覚えていた。
ライブハウスの階段には、開場を待つ人が並んでいた。下から、スタッフが入場番号を呼ぶ声がする。俺たちは壁際へ寄って、チケットの画面を開いた。
あの電話から、ひと月ほどたっていた。
水瀬とは、ときどき連絡を取っていた。仕事が終わってから返すと、その返事が翌朝に来ることもあった。昨夜は、明日も尾崎と行くと送ったら、『前のほうで待ってるね』と返ってきた。
「そういえば、真帆も高校の同級生だった」
「……え?」
尾崎が顔を上げた。画面を触っていた指が、そのまま止まっている。
「真帆って、まほちゃん? 青い衣装の?」
「うん。高校で同じクラスだった」
「同じクラス!?」
前に並んでいた人が振り返った。尾崎は小さく頭を下げ、それから俺のほうへ身を寄せた。
「待って。こはるちゃんが小学校の同級生で、まほちゃんが高校の同級生ってこと?」
「そう。先月、分かったんだ」
「先月って、俺が次のライブの告知を送ったとき?」
「うん。あのときには分かってた」
「なんで今言うんだよ」
尾崎は壁のポスターを見た。黄色と青の衣装は、五人の真ん中で並んでいた。青い衣装の顔を指さし、もう一度俺を見る。
「本当に、このまほちゃんだよな」
「間違いないよ。向こうも俺のこと覚えてたし」
「……まほちゃんも、お前のこと知ってるのか」
尾崎はしばらくポスターを見ていた。
「五人のうち、二人だぞ」
「俺も驚いたよ」
「そうは見えないんだよ。『そういえば』って、そんなついでみたいに」
言いながら、尾崎が笑った。息を吐いて額に手を当て、首を横に振る。
「今日、話すんだろ?」
「うん。卒業してから会ってないから、久しぶりに」
「そっか……。いや、ちょっと待って。まだ変な感じがする」
下から、俺たちの入場番号を呼ぶ声がした。
尾崎は慌ててスマホへ目を戻した。暗くなった画面を点け直し、階段を下りながら、またこちらを振り返る。
「ほかにはいないよな?」
「いない」
「分かった。絶対だぞ?信じてるからな」
入場後、荷物をロッカーに預けると、尾崎についてフロアの前方へ進んだ。前から三列目の端に、二人で立てる場所があった。
ステージの床に貼られたテープまで見える。
俺はペンライトを点けた。今度は、一度で黄色になった。
*
新曲は、三曲目だった。
真帆が中央へ出ると、それまで水瀬を照らしていた光が少し引いた。青い衣装の胸元に、白い照明が落ちる。
真帆は客席を見て、マイクを持ち上げた。
低めの声から始まった。電話の向こうで、二小節だけ聞いた声だった。今はその先にも歌が続き、後ろにいた四人が動き始める。
間奏に入ると、真帆が一歩前へ出た。
腕を伸ばし、肩を引き、振り向いたところで一度動きを止める。スカートの裾だけが遅れて揺れた。すぐに足を踏み替え、ほかの四人の間へ戻る。
二番の入りが早くなる、と話していたのを思い出した。
真帆は最後の振りを終えて、マイクを口元へ戻した。一拍置いて声が出る。その声に、水瀬の高い音が重なった。
隣で尾崎が、ペンライトを振りながら小さく頷いていた。
曲が終わると、真帆は肩で息をしながら客席を見た。拍手が大きくなる。水瀬がその背中にそっと手を添えると、真帆は横を向いて笑った。
「今の間奏、よかったな」
次の曲を待つ短い間に、尾崎が耳元で言った。
「一回、ぴたっと止まるところ?」
「そう。あそこ、もっと近くで見たかった」
「これより前か」
「次、早い番号が取れたらな」
尾崎は楽しそうにステージへ向き直った。
水瀬がこちらを見た。目が合うと、胸元で小さく手を振った。俺がペンライトを持ち上げる間に、彼女はもう次の立ち位置へ動いていた。
*
終演後の握手会には、黄色と青の札が並んだテーブルがあった。
前に並んでいた尾崎が、参加券をスタッフに渡す。水瀬に名前を呼ばれると、尾崎は首から下げた名札に手を添え、少し背筋を伸ばした。
俺の番が来たのは、そのすぐあとだった。
「瀬尾くん。今日は前にいてくれたね」
水瀬は俺の手を包み、嬉しそうに言った。
「尾崎が場所を見つけてくれたんだ」
「二人とも、よく見えたよ」
彼女は隣を向いた。
「ほら、真帆。やっと会えたね」
真帆がこちらを見た。
近くで見ると、髪は思っていたより短かった。耳に掛けた髪の下に、小さな青い石が揺れている。
「久しぶり」
「うん。久しぶり」
差し出された手を握った。
元カノとの再会で握手をすることになるとは思っていなかった。真帆も一度だけ手元に目を落とし、それから顔を上げた。
「新曲、どうだった?」
「よかった。前に、二番を歌い始めるのが早くなるって言ってただろ。今日は大丈夫だった?」
「うん。覚えててくれたんだ」
真帆の口元が緩んだ。
「出る前、ちょっと気にしてたの。でも、始まったら平気だった」
「間奏もよかった。尾崎も言ってた」
「うん。さっき、伝えてくれた」
真帆が出口のほうへ目を向ける。尾崎は少し離れた場所で待っていた。
「高校の文化祭でも、あんな感じで踊ってたの?」
水瀬が身を寄せて聞いた。
「今のほうが、ずっとうまいよ」
「昔が下手だったみたいに言わないで」
「今のを褒めたんだけど」
真帆が笑った。つられて俺も少し笑うと、水瀬が交互に俺たちの顔を見た。
「二人が普通に話してるの、なんか不思議。真帆、高校のときも――」
「お時間です」
スタッフの声で、真帆の手が離れた。
「あ、もう?」
水瀬は一度スタッフを見てから、俺に向き直った。
「瀬尾くん、このあと急いで帰る?」
「いや、特には」
「じゃあ、尾崎くんと少し待っててもらってもいい?」
頷くと、水瀬は礼を言って、次の人へ向き直った。
尾崎のところへ戻る。彼は手の中の参加券の半券を、財布にしまっていた。
「何かあるのか?」
「少し待っててほしいって」
「分かった。俺、飲み物買ってくる」
尾崎はドリンクカウンターへ歩いていった。
俺はテーブルを振り返った。水瀬の隣で、真帆が次の来場者に笑いかけていた。さっき俺に向けた顔より、少しだけ肩の力が抜けて見えた。
*
握手会が終わると、スタッフが誘導用のテープを外し始めた。
人の減ったフロアで尾崎と話していると、首から関係者用のカードを下げた女性が近づいてきた。黒いカーディガンの袖を肘まで上げ、片手にクリップボードを持っている。
「瀬尾さんですか?」
「はい」
「マネージャーの片桐です。小春から、昔の同級生が来ていると聞きました。真帆ともお知り合いなんですね」
「高校が一緒でした」
「真帆もそう言っていました。少しお話ししたいそうなんですが、お時間は大丈夫ですか。帰りの車が来るまで、十分ほどになりますけど」
俺は尾崎を見た。
「あ、お友達もご一緒にと聞いています。尾崎さんですよね」
「はい。俺も、いいんですか?」
「ええ、もちろん。私も同席しますので、少し狭くなりますが」
片桐さんは受付の脇を指した。
低い仕切りの向こうに、細長いテーブルと折り畳み椅子があった。受付で使っていたらしい箱をスタッフが端へ寄せ、椅子を二脚足してくれる。
礼を言って座ると、尾崎が膝の上で両手を合わせた。
「こんなことになるなら、もうちょっと話すこと考えておけばよかった」
「さっきも話してただろ」
「あれは、握手会用に考えてきた話だよ」
奥の扉が開いた。
水瀬は白いブラウスに着替えていた。真帆も青い衣装ではなく、胸元に小さな文字の入ったTシャツを着ている。二人とも、まだ髪だけはステージにいたときのままだった。
「待っててくれてありがとう」
水瀬が俺の向かいに座り、真帆がその隣へ腰を下ろした。片桐さんはテーブルの端に椅子を置く。
「握手会だと、すぐ時間になっちゃうから。もう少し話せないか、片桐さんにお願いしたの」
「お仕事のあとに、すみません」
尾崎が言うと、水瀬は首を振った。
「こっちがお願いしたんだよ。尾崎くんも、今日は来てくれてありがとう」
「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」
尾崎がもう一度頭を下げると、真帆が声をかけた。
「尾崎くん、さっきの話、もう少し聞いてもいい? 間奏の、止まるところがよかったって」
「あ、はい。ターンしたあと、音が一個抜けるじゃないですか。そこで止まるのが、すごくきれいで」
「そこまで見てくれてたんだ」
「隣で瀬尾にも言ってました。もっと前で見ればよかったって」
「十分近かったよ。あれより前にいたら、私が息切れしてるのまで見える」
「息切れしてたんですか?」
「してた。歌う前に顔だけ戻してた」
「全然分からなかったです」
「よかった。分かられたら困るから」
尾崎が笑った。膝の上にあった手が、テーブルの縁へ移っていた。
「歌いながら、あれだけ動くんですもんね」
「そう。最初は、踊り終わってから歌う準備してたら間に合わなくて。小春に、もっと手前で息を吸おうって言われたの」
「今日、そこもちゃんとできてたよ」
水瀬が言うと、真帆は「よかった」と小さく息を吐いた。
「だから尾崎くん、次は息切れしてないか探さなくていいからね」
「そんなこと言われると、気になりますね」
「そこは踊りを見てよ」
「先に教えたの、真帆さんですよね」
「じゃあ、今の話は忘れて」
「もう覚えちゃったんですが」
尾崎は笑いながら答えた。テーブルに片肘をつき、真帆が何か言うたびに、すぐ言葉を返している。気づけば、肩から力が抜けている。
「尾崎くん、私のソロはどうだった?」
水瀬に尋ねられ、尾崎は肘をテーブルから離した。両手を膝に戻し、彼女の顔を見る。
「あ、はい。すごく、よかったです」
「ほんと? 最後、少し長く伸ばしてみたんだ」
「はい。そこが、すごく……よくて」
そこで言葉が止まった。水瀬が続きを待っていると、尾崎は一度俺のほうを見て、また彼女へ向き直る。
「……よかったです」
真帆が唇を結んだ。こらえきれなかったように、小さく笑い声が漏れる。
「さっきまで、あんなに喋ってたのに」
「今、言おうとしてるんです」
「私には、すぐ返ってくるんだね」
「真帆さんが途中で話しかけるからでしょ」
「ごめんごめん。どうぞ」
真帆が手のひらで水瀬のほうを示す。
「尾崎くん、ゆっくりで大丈夫だよ」
水瀬が言うと、尾崎は膝の上で手を揃え直した。
「はい。ありがとうございます」
座ったまま頭まで下げたので、俺も少し笑ってしまった。隣から、小声で聞かれる。
「俺、そんなに変か?」
「さっきから、相手が変わるたびに態度変わりすぎな」
「……自分じゃ分からないんだよ」
尾崎は軽く息を吐き、水瀬を見た。
「最後、伴奏が止まってからも声が続いたじゃないですか。あそこ、すごくよかったです。拍手するの、ちょっと忘れるくらいで」
「嬉しい。ちゃんと聴いてくれてたんだね」
水瀬が笑うと、尾崎もようやく口元を緩めた。
「はい。本人を前にすると、何から言えばいいか分からなくなって」
「私も本人なんだけどな」
横から口を挟んだ真帆に、尾崎は少し困った顔をしてから笑った。
「じゃあ、真帆ちゃんの感想も、最初から話し直します?」
「ううん。さっきのほうがいい」
真帆は笑って首を振った。それから俺へ顔を向ける。
「瀬尾にも、あんなふうに言い返すの?」
「俺には、もっと遠慮ないよ」
「じゃあ、まだ気を遣ってくれてるんだ」
真帆は納得したように頷き、尾崎へ目を戻した。
片桐さんがスマホの画面を確かめ、テーブルに伏せた。俺と目が合うと、軽く会釈するように笑った。
*
「そうだ。高校の話」
水瀬が俺に向き直った。
「さっき、聞いてる途中だったんだ。瀬尾くん、真帆とは高校の頃、よく話してたの?」
真帆が膝の上で手を組み直し、俺より先に答えた。
「同じクラスのときはね」
「高校の頃の瀬尾くんって、今と違った?」
「そんなに変わってないと思う。髪は、今のほうが短いかな」
俺も、短くなった彼女の髪へ目を向けた。
「真帆も、ずいぶん短くしたよな」
「乾かすのが楽でいいよ。前は、お風呂のあとが長かったから」
水瀬が会話に加わった。
「真帆の高校の写真、見せてもらったんだ。本当に髪、長かったんだね」
「この前見せた、文化祭の? 体育館で撮ったやつ」
「うん。真帆が真ん中にいる写真。瀬尾くんも、あの日いたんだよね」
「見てたよ。あのあと、教室の片づけをしてた」
真帆も思い出したように「うちのクラス、喫茶店やったんだ。飲み物と、お菓子を出すだけだったけど」と付け足した。
「いいな。瀬尾くんも接客してたの?」
「俺は裏で飲み物を入れてた。紙コップに」
あの日を思い出している時に、真帆が口を挟む。
「途中から氷を取りに行く係になってたよね」
「足りなくなったからな。近くの店、売り切れてて」
「それで、ひばりまで行ったんだっけ」
俺は頷いた。その店の名前を彼女の口から聞くのは、久しぶりだった。
「ひばりって?」と水瀬が聞いた。
「学校の近くの喫茶店。おばさんが、氷を分けてくれたんだ。金を払おうとしたら、今度何か食べにおいでって言われた」
「よく行ってたから、覚えてくれてたんだよね」と真帆が懐かしそうに言った。
「それで、行ったの?」
「行ったよ。片づけが終わったあとに」
答えてから真帆を見ると、テーブルの角に目を落としていた。その間にも、水瀬は身を乗り出してくる。
「何がおいしいお店なの?」
「カレーかな。あと、ドリアもあった」
「ドリア、おいしかったよ。上のチーズが、ちょっと焦げてて」と真帆が言った。
「真帆、よく頼んでたもんな」
「瀬尾は、いつもカレーだったね。辛口を頼んで、途中で水ばっかり飲んでた」
「辛かったからな」
「次に行っても、また辛口なんだもん」
「うまかったんだよ」
真帆が笑った。
小さな銀色の水差しを、テーブルの向こうから寄せてくれた手を思い出した。俺の皿が空いても、真帆のドリアにはまだ湯気が立っていた。
水瀬も笑っていた。
「瀬尾くん、そういうところあるんだ。私も、そのお店行ってみたいな。今もやってる?」
「どうだろう。俺も、しばらく行ってないから」
真帆が顔を上げた。
「駅の北口のほう、まだあまり変わってなかったし、あると思うけど」
水瀬は俺と真帆を交互に見た。
「じゃあ、あとで調べてみる。今度、連れてってよ。三人で行けば、場所も迷わないでしょ」
「三人で?」
聞き返してから、真帆を見た。彼女は口元に笑みを残して固まったまま、こちらを見ていた。何か言ってくれ、と思ったが、向こうも俺の返事を待っているらしい。
「うん。二人と行ったら、昔の話もいろいろ聞けそうだし」
俺が「いや、その」と言いかけるのと同時に、真帆も「あの店は」と口を開いた。声が重なり、二人とも黙る。
「あのお店が、どうかしたの?」
水瀬に続きを促され、真帆が髪を耳に掛け直した。
「……駅からは、けっこう歩くよ」
「いいよ。二人の高校がどのへんかも見てみたいし」
「そっか。そうだよね」
真帆は頷いたが、すぐに俺へ目を戻した。今度はこっちの番らしい。
「でも、真帆も忙しいんじゃないか。休み、なかなか取れないだろ」
「そう、予定がまだはっきりしないから。先のことは、ちょっと」
真帆のセリフに俺も頷く。
「だよな。だから、無理に今――」
水瀬が、俺たち二人に笑いかけた。
「うん。じゃあ、予定が分かってから決めよう。急がなくていいよ。お休みが合った日に、ゆっくり行きたいし」
俺は頷きかけた頭を止めた。真帆も一度唇を開き、そのまま閉じた。
テーブルの端で、片桐さんが椅子に掛けていた上着を畳み直した。その間にも、水瀬はスマホのカレンダーを開き、俺へ画面を傾けた。
「私は土日だと予定が入りやすいけど、早めに分かれば合わせられると思う。瀬尾くんは?」
「俺は、まあ……空いてる日なら」
「よかった。じゃあ、候補の日が分かったら送るね」
嬉しそうに画面を戻す水瀬の隣で、真帆が俺とスマホを交互に見た。
休みが合わないかもしれない、という話をしたはずだった。気づけば、俺たちの休みが合う日を探すことになっている。
あの店で、水瀬の向かいに真帆と並んで座るところを想像した。昔もよく二人で来ていたの、と聞かれたら、今みたいに揃って黙るわけにはいかない。
俺がテーブルの下で少し足を引いたとき、真帆が尾崎に声をかけた。
「お、尾崎くんも来たら?」
「え、俺もですか?」
「カレー、好き?」
「好きですけど。俺は同級生でもないし、そこまで一緒に行くのは……」
俺は尾崎のほうへ身を寄せた。
「頼む、来てくれ」
尾崎がこちらを向いた。自分でも、返事が早かったと思った。
「四人で行こう。日程はお前に合わせるから」
「いや、お前が合わせても、みんなの予定が」
「空いてる日をいくつか教えてくれれば、その中で決められるだろ」
真帆が口元に手を当て、水瀬は大きく頷いた。
「うん。四人のほうが楽しそう。尾崎くんが誘ってくれたから、瀬尾くんともまた会えたんだし」
「そういうことなら、ぜひ」
尾崎の返事に、水瀬は「よかった」と笑った。
「休みが分かったら、俺に送ってくれ」
「分かった。帰ったら確認する」
俺は背もたれへ身体を戻した。真帆と目が合うと、彼女は何も言わずに唇を結んだ。肩が一度、小さく揺れた。
尾崎はまだ少し落ち着かない様子で、水瀬と真帆を見た。
「ライブ以外で会うの、変な感じがしますね」
「お店でも、その座り方する?」と真帆が笑い、尾崎はかしこまった自分の揃った膝を見下ろした。
「普通に座ってるつもりなんですけど」
「私と話すときは、もう少し気楽そうだったよ」
「もう勘弁してください」
尾崎が笑いながら首を振る。真帆はその顔を見て、楽しそうに椅子へ座り直した。
片桐さんのスマホが短く震えた。
「そろそろ車が着くそうです」
水瀬は壁の時計を見上げた。
「もうこんな時間? ありがとうございます。片桐さん」
真帆も立ち上がった。椅子を戻して通路へ出ると、水瀬が俺たちのそばへ来た。
「瀬尾くん、お店、調べたら送るね」
「うん。俺も見ておく」
「尾崎くんも、予定分かったら教えてね」
「はい。楽しみにしてます」
水瀬が嬉しそうに手を振った。その隣で真帆も手を上げ、尾崎に「またね」と言った。
二人は帰りの荷物を取りに、奥の扉へ向かった。
尾崎はロッカーの鍵をポケットから出した。
「先に荷物取ってくる。お前のも出しておくから」
「頼む」
俺はテーブルへ振り返り、片桐さんに頭を下げた。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ。二人とも楽しそうでよかったです」
片桐さんはクリップボードを脇に抱えた。
俺が歩き出そうとすると、名前を呼ばれた。
「瀬尾さん」
「はい」
彼女は、尾崎が歩いていったほうを見て、くすっと笑った。
「お友達、来てくれることになってよかったですね」
「ええ、まあ」
「『日程はお前に合わせるから』でしたっけ」
そこだけ少し声を低くされた。自分の台詞なのに、人の口から聞くと妙に恥ずかしい。
「……そんなに必死でした?」
「ええ。思わず応援しちゃいました」
奥の扉の前で、水瀬が真帆にスマホを見せていた。店の名前を確かめているらしい。真帆が頷くと、水瀬はもう一度こちらへ手を振った。
手を上げて返すと、片桐さんも二人を見ていた。その口元には、まだ笑みが残っている。
「これで、少し安心して行けそうですか?」
返事に迷った俺を見て、彼女は何か察したようにまた小さく笑い、出口のほうへ半歩よけた。
「では、四人で楽しんできてくださいね」




