27話、お館様お蕎麦を食す。
ーー十一時、お蕎麦屋さんのカウンター席。
信玄「(どっしりと真ん中の席に腰掛け、お腹をぐ〜っと鳴らしながら)ハブラシで口を清め、松千代の愛らしさに心を洗われ、ついにお昼の刻限じゃな。頼重、儂はもうお腹と背中がくっつきそうじゃ。早くあの『かけ蕎麦』とらやを出せ!」
頼重「ははっ! それではお館様、まずはあちらの鉄の箱(券売機)へ……」
信玄「いや、銭なら昨晩のうちにお艶に手渡し、食券と言う札はすでに手元にあるわ! ほら、松千代、これを!」
松千代「おじさん、お札(食券)ありがとなぉ! お腹ペコペコだねぇ、いま美味しいのつくるねー!」
ーー松千代、ちっちゃな足で踏み台にひょいっと登り、調理場の手元にほわんと出現したお蕎麦を大鍋に投入する。
信玄「(カウンター越しに凝視して)おお、お湯に入れた瞬間から、なんとも言えん鼻腔をくすぐる芳しき香りが漂って来たぞ。儂が知る蕎麦の匂いとはまるで違う……」
松千代「おはちゅ、どんぶりちょーだい!
……よし、あがるよぉ、ふんっ! (ちっちゃな手で湯切り網をぎゅっと握る)」
隠密「お館様、ここが一番の見せ場にございます!」
松千代「ちゃっ! えっしょ、ちゃっ!」
信玄「(息を呑んで身悶えながら)う、うぬぬ……昨今の戦場でもこれほど緊張した事はないわ! あの短い腕で見事に湯を切り、お尻をふりふり、ふりふりと……なんと、尊き光景じゃ! (拝むように手を合わせる)」
松千代「できたぁ! おじさんのかけそば、いっちょあがりー! お汁、すっごく熱いから、ふーふー、してねぇ!」
ーー松千代の手から差し出されたどんぶり。そこには黒くてボソボソした戦国時代の蕎麦ではなく、ツヤツヤと輝く細い麺と琥珀色の出汁が美しく波打っていた。
信玄「これが、蕎麦だと……? 嘘を申せ、まるで芸術品ではないか。どれ……(お猪口を持つように恐る恐るどんぶりを持ち上げ、お汁をすする)……ずずっ……!!?! (一瞬で全身の動きがピタリと止まる)」
頼重「お、お館様! やはり腹に障りましたか!?」
信玄「(どんぶりをガタガタと震わせ、両目から大粒の涙をハラハラと流しながら)……う、旨い! 旨すぎる!! なんだこの深い味わいわ! 鰹や昆布の洗練された『旨味』が、儂の弱った胃袋を優しく撫でるように、染み渡っていく!!」
お初「お館様、麺ものびないうちに、ずずっと召し上がってください!」
信玄「おうともさ! ずずずっ! ずずっ! ……むおおおお、ツルツルとしてなんとも喉越しがなんと心地よいのだ。儂の知る蕎麦はボソボソして砂を噛むような救荒食じゃったが、これは完全に別物、神の馳走じゃ! (一心不乱にすすり、最後はどんぶりを傾けて汁まで完全に完食する)」
信玄「ぷはぁあーーーーー!! 生き返った、胸の焼き付きが嘘のように消え、腹の中から力がみなぎってくるようじゃ!」
松千代「おじさん、お汁までごっくんして、えらいえらいなのぉ」
信玄「(空っぽのどんぶりを見つめて感動に震えながら)松千代……お主の作るこのかけ蕎麦は、病を癒すだけでなく、食う者全てを平伏させる覇道の麺じゃ。儂は決めたぞ。毎日これを食う!」
これまで食べる物に苦しんでいた信玄公は、松千代の可愛い湯切りと極上のかけ蕎麦に完全に胃袋と心を撃ち抜かれ、身も心も健康的になって行く、奇跡の湯治生活二日目を迎えたのでした。




