22話、隠密の涙とお館様の決断。
ーー甲府・躑躅ヶ崎館(武田家の本拠地)。
信玄「……して、遠藤領の様子はどうであった。去年の米が尽きる五月六月のひもじい時期に、なぜか遠藤の領民どもが皆、肌をピカピカに輝かせて異常な元気で働いておるとの報告があるが……。織田や徳川と通じておるのか?」
隠密「(平伏しながら、感極まった声で)お館様! 遠藤領に謀反の気配など、一文もございません! あそこにあるのは、織田の鉄砲でも南蛮の呪術でもなく……ただただ美味い『神の蕎麦』と『極楽の湯』にございます!」
信玄「……ハァ? 蕎麦と、湯だと? 隠密ともあろう者が、そのような戯言を大真面目に報告するな。儂は今、病のせいで胸が焼けて飯も喉を通らんのだ。手短に申せ」
隠密「いえ、戯言ではございません! 遠藤の物置の裏には、夕暮れ時になると『ガチャガラ』と鈍い音を立てて銭を喰らい、代わりに極上の食材を吐き出す不思議な鉄の箱(券売機)がございます! そしてそれを調理するのは領主の三男、わずか3歳の松千代様にございます!」
信玄「……3歳児が料理だと? 呆れて物も言えんわ」
隠密「その松千代様が、ちっちゃな手で湯切り網を握り、『ちゃっ! えっしょ、ちゃっ!』と、お尻をふりふりしながらお湯を切るのです! その愛らしさは神仏の如し! 出される蕎麦の出汁は琥珀色に輝き、一口すするだけで日々の過酷な任務の疲れが全て吹き飛び、私は美味しさのあまり大号泣いたしました!」
信玄「(隠密のツヤツヤになった顔を凝視して)……お主、妙に肌が綺麗になっておるな。いつもは干し飯ばかり食うて土気色の顔をしていたはずだが。それに、口を開くとなにやら、ハッカ(ミント)のような清々しい香りが漂ってくるのは何事だ?」
隠密「はっ! これこそ松千代様から授かった魔法の棒のおかげでございます! 練り物を付けて歯を磨けば、口の中のネバネバが一瞬で消え去り吐く息が清められるのです! さらに私は蕎麦を食したあと、松千代様から『お世話になっているからごほうびだよぉー』と、あの庵の脱衣所にしかない、冷たくて濃厚な『ぎゅうにゅう』なる白い薬水を直々に一本頂戴いたしました! 左手を腰に当てて煽ると……ぷはぁーーっと天にも昇る心地に!!」
信玄「(胸を痛そうに押さえながら、ごくりと唾を飲み込む)……ゴクリ、ハブラシにお乳、美味そうではないか……。いや待て、お主は儂への忠義を忘れて遠藤家に寝返ったのではないだろうな?」
隠密「滅相もございせん! すべてはお館様のため! 遠藤領には領民全員が入れる共同風呂があり、薪も火もないのに銀のキセル(蛇口)からなみなみとお湯が湧き出ております! さらに外の手作りのテラス席では、夜になると風呂上がりの大人たちが香ばしい『焼き鳥』を齧りながら、凍るほど冷たくて透き通った『神のお酒』を飲んでニコニコと笑い合っております! あの美味しさは、天下の織田信長とて絶対に知らぬ贅沢にございます!」
信玄「(冷えたお酒と焼き鳥、そして万病が癒える湯と言う言葉に完全に心が動かされる)……うぬぬ、信長も知らぬ贅沢……。近頃は病のせいで体が重く、上洛へ動く気力も湧かなかったが……その3歳の松千代とやらが作る蕎麦を食い、湯に浸かれば、儂のこの病も治るやもしれんな……」
隠密「間違いございません! お館様、今すぐ遠藤領へお忍びで湯治に赴くべきでございます!」
信玄「よし……決めたぞ。これより遠藤領へと向かう! 儂の五臓六腑を、その松千代の知恵とやらで救ってみせよ!」
隠密の熱すぎる報告によって、ついに戦国最強の巨頭・武田信玄が、自身の体調を完全復活させるため、松千代の『湯そば庵』へと動き出すのでした。




