第6話「取引」
登場人物
蓮実凛/売れない作曲家
長瀬結衣/家出お嬢様
???
「あ、おはよう」
「……ひぃぁぁぁ!!!」
ゴロゴロゴローーッ!
布団にくるまったまま、長瀬結衣は高速で転がっていった。
まるで手巻き寿司のように。
朝食の準備が終わったので、寝顔を眺めていただけなのに。
そんなに慌てなくても。
「あの、朝から近いです……!」
「ごめんごめん。よく眠れた?」
「はい、おかげさまで」
「良かった良かった。朝ごはんできてるよ」
「あ、ありがとうございます!」
キッチンに向かい、トーストとサラダ、
それと目玉焼きを乗せたプレートをダイニングテーブルへと運ぶ。
と……
「あ……(×2)」
下着姿の長瀬結衣と、お互い顔を見合わせたまま立ち止まる。
まずい、着替え中だった……。
「わ、悪い」
プレートを二つ手に持ったまま、回れ右で退散する。
今度からは、入室可能か確認しないと……。
一つ呼吸を整えて、扉の向こうからそっと声をかける。
「ごめん、入ってもいいかな?」
「はい、どうぞ……」
昨日と同じ黒パーカー姿になった長瀬結衣。ただしその顔は真っ赤だ。
「その……明日から気をつけるよ」
「……いえ、夫婦ですから、着替えの一つや二つくらい見られても……」
「じゃあさ、さっき見えたのって」
「!?」
「もしかして、しまくらで俺が勧めたやつ?」
「うきゃあああ!!」
ビシバシビシバシ!
目にも留まらぬ高速猫パンチを繰り出してきた。
「あはは、似合ってたよ」
「もう!」
上目遣いで桃色の頬を膨らませる様子に、思わず笑みが溢れる。
「朝ごはんできてるけど、顔洗ってくる?」
「はい!」
長瀬結衣が洗面台に向かっている間、テーブルにあれこれ運ぶ。
昨日の、コーヒー少なめ甘々ラテも淹れてみた。
ほどなくして、テーブルに向かい合わせに座り、
声を揃えて「いただきます」と手を合わせた。
「飲み物はコーヒーでよかった?」
「はい、コーヒー気に入りました!」
ニコニコしながらサラダを口に運ぶ様子をしばし眺めていると、観察対象は不思議そうに首を傾げる。
「どうしました?」
「いや、かわいいなって」
「はひ!?」
「ただレタスをちぎってドレッシングをかけただけなのに、美味しそうだから」
「はい、美味しいです!」
「もっと良いものを食べてるのかと思って」
「夫さんとだから、かな……?」
「え?」
「なんでもないです! もっと真剣に食べます!」
と言うなり、いきなり真顔になって背筋をビンと真っ直ぐにしたせいで、
笑いそうになった俺は顔を横に背けた。
「夫さんもちゃんと前を向いて!」
「はい、すみません……」
危ない、また床にコーヒーを吹くところだった。
その後、“真剣な朝食”が続く中ふと、殺風景な部屋に目をやる。
「そういえば、妻さんのタンスとかいるよな」
「タンス、ですか?」
「そうそう。服とか入れるのに必要じゃない?」
「いえ、ワタクシなんぞ一張羅で十分ですから……」
「出た、謎の卑屈設定」
「だって、タンスなんて高価なもの、ご迷惑じゃ……」
「まあちょっと待ってね」
スマホを手に取り、とあるアプリを開いて検索する。
「はい、このタンスいくらだと思う?」
値段の部分だけを手で隠し、商品画像を見せた。
探偵のように顎に手をやり、眉間にシワを寄せ考え込む長瀬結衣。
「3万円、でしょうか……?」
「500円」
「ええええええ!!!??」
「これ、メロカリってやつ。フリマアプリだ」
「あ、聞いたことあります! ユーザー同士でモノの売り買いができるとか!」
「そうそう。でもこれは市の公式アカウントが出品してるんだ」
「市!」
「廃棄予定の不用品や粗大ゴミのリユース販売みたいだね。だから500円」
「なるほど!」
「どう? このタンス」
「可愛いし、サイズも十分です!」
「よし、買おう」
「え、早いですね!」
「見たところモノも良さそうだし、放っておけばすぐ売れちゃうと思う」
「買いましょう!」
「切り替え早いな」
「善は急げと言うのを思い出しました!」
「ひとつ難点があるとすれば、自分で引き取りに行かなきゃいけないところなんだ。家具は普通、送料だけで数千円かかっちゃうから」
「では、買ったら取りに行くんですね? まさに『取引』って感じですね!」
「そうだね、じゃあ買っちゃおう。朝ごはん終わったら支度して出発、でいい?」
「はい! ワクワクします!」
「ふふ、闇取引なんて言葉もあるよね……」
「ヒェッ!」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
購入したアカウントから指定された倉庫までは、車でおよそ1時間。
昨晩は助手席で早々に寝ていた長瀬結衣だが、今日はばっちり目を覚ましている。
出発前、ドアの開け閉めを覚え、
ドヤ顔で車に乗り込んできた時は思わず吹き出しそうになった。
まったく、車一つ乗るのにも気を張らなきゃいけない。
「わ、富士山です!」
駅からまっすぐに伸びる大通りの先に、その姿が堂々と佇む。
「富士山だねえ」
「私、本物の富士山を見るのは初めてです! 大きいです!」
「そういえば、妻さんてどこ出身なの?」
「岡山県です」
「……えええ!?」
「はいい!?」
「いや、結構遠くから来てたんだなって。ちょっと驚いた」
長瀬結衣という天然記念物は、どうやら岡山産らしい。
喋ってるうちにナビは右折を促し、窓の外には緑が増え始めた。
東京と言っても都会なのは一部の地域で、少し郊外に出るだけで割と自然豊かだ。
「岡山か、行ったことないな」
「晴れてます!」
「? ああ、今日はいい天気だね」
「そうではなくて、岡山はいつも晴れてます! 晴れの国です!」
「へえ、気候が安定してるなら住みやすそうだな」
「桃太郎さんの聖地です!」
「大御所じゃん」
「桃も美味しいです!」
「うわ、気になる」
この関係がいつまで続くかも、岡山に行くことがあるかもわからないが、
見知らぬ地に少し、興味が湧いた。
そうこうしている間に目的地は近づき、やがて道の右手に、
ナビが指し示す倉庫が見えてきた。
シャッターの前には人影が二人、恐らくアカウントを管理する市の職員だろう。
指示に従い、壁沿いに車をゆっくりと停める。
「こんにちは、タンスを購入した“ハス”です」
「お待ちしておりました」
軽く挨拶を交わしてから、
少し緊張気味の長瀬結衣と一緒に車を降り、購入したタンスを見せてもらう。
「ああ、これですか。状態も良さそうですね」
「ええ、普通に買ったらなかなかのお値段すると思います」
「どう? 気に入った?」
「はい! すごく可愛いです!」
引き出しを開けると、森のような爽やかな香りが漂った。
角に丸みをつけた、温かみのあるデザインもいい。
これが500円は破格すぎる。
「じゃあ、車に積むとしようか」
「お手伝いしますよ」
「ありがとうございます。じゃあまずは引き出しだけを、それで後からフレームを」
「わかりました」
大小それぞれの引き出しを、後部座席を倒した車内へと運んでいく。
そして最後、フレームを二人がかりで載せる。
背の高いタンスではないので、重さもそれほどではなく、
軽自動車にもなんなく収まった。
「よし、と。ちょっと重いですが、まあ奥様とも運べるでしょう」
「そうですね、恐らく大丈夫かと」
「帰りもお気をつけて。この度はありがとうございました」
「こちらこそ良い品をありがとうございました。大切に使わせていただきます」
長瀬結衣も「ありがとうございました」と頭を下げ、車に乗り込んだ。
「奥様、だって」
「はう、畏れ多いですぅ……」
「おいおい、婚約を申し込んできたのはそっちだろ」
「改めて呼ばれるとなんだかその、心の準備がまだというか、未熟というか……」
「しっかり頼むよ、妻さん」
「が、頑張ります……!」
妻として頑張ってるつもりなのか、朝食時と同じく、
助手席で背筋を伸ばして真剣に前を向いた長瀬結衣。
だめだ、どうにも笑いそうになってしまう。
「なあ、その乗り方疲れないか?」
「妻として、シャキッと頑張ります!」
「なんか逆に気になっちゃって、運転しづらい」
「そんなぁ……」
「夫婦で取りに行くとは言ってなかったのに、向こうの人にはそう見えたんだ。張り切らなくても、いつもの妻さんのままでいいんじゃないか?」
「そ、そうですか……で、でも、今後は妻としてしっかり務めを果たします! お昼ご飯は私が作ります!」
「それは嬉しいな。何をいただけるんだろう?」
「えーと、えーと……」
急激なトーンダウン。
「もしかして妻さん、料理したことない?」
「……はいぃ」
「あはは、じゃあしばらく一緒に作る、でどう?」
「ラジャーです! 共同作業ですね!」
「帰ったら早速、タンスを運ぶという共同作業が待ってるぞ」
「腕が鳴ります!」
「フラグ臭がやばい」
帰宅後、部屋までスムーズに運べるよう、
まずは玄関のドアを開けたまま固定した。
車に戻り、タンスのフレームを二人で両端から持ち上げる。
最初少しふらつくも、すぐに持ち直した長瀬結衣。
「重くない?」
「はい、大丈夫で……」
そのままゆっくり、歩みを進めていた時だった。
嘲笑じみた下品な声が、駐車場に響く。
??? 「おいおい、長瀬家の御令嬢がタンス運びなんて、堕ちたもんだな!」
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