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長瀬結衣はポンコツお嬢様である。○か×か。  作者: 仙道エイジ


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第18話「破滅」

登場人物

蓮実凛/売れない作曲家

長瀬結衣/家出お嬢様

「それは……ひどいです……!」


 結衣は眉毛を八の字にした。


「ひどいけどさ、まあ俺もチラシをゴミ扱いすることはあるし。というかほとんどかな。だから因果応報って思ってる」


「そういうものですか……」


「そういうものだよ」


「世の中、厳しいんですね」


「そうだね、曲作りも大変だけど、働くって大変だなって改めて感じた」


 それまであちこちに伸びていた箸が、ふと止まる。


「昔もバイトやってたけど、俺、音楽以外は本当ダメなんだ。物覚えも悪いし、ビジネススキルも何もない。曲が作れるなんて一般ビジネスじゃほとんど役に立たない。しかも、音楽で少しは成功できたかもしれないけど、それだって時間が経てば新しいものに押し流されて、こうやって社会の流れや都合次第ではあっさり止められるようなものなんだって、このパンデミックで思い知らされたよ」


 表面張力ギリギリで止まっていたコップの水が、一滴で決壊するように。


 気持ちがこぼれて、溢れてしまう。


「同年代は就職して、結婚して、子供ができて。『普通の幸せ』ってやつを掴んで、だんだんとキャリアアップしていって、子供も大きくなって……俺にはそんなのは無理だ。子供ができても、今の収入じゃ育てられない。そもそも、子供を作れるかもわからない。変だと思わなかった? ずっと同じ部屋にいるのに、何も手を出さないなんて」


 俺と同じく箸を止めた結衣の姿が、じんわりと滲む。


「俺、実はED……勃起不全ってやつなんだ」


 ほんの一瞬だが、結衣の目が見開かれた。


 ああ、もうこれで……。


 いつか、沙織が馬鹿笑いしていたソファが、視界の隅に映った。


「本当、俺から音楽を取ったら何もないんだって、このパンデミックでこれでもかってくらい思い知らされたよ。その音楽も止められて、チラシを撒いて……でも、それでも俺は……」




 ガタッ




 滲む視界の中で結衣が、


 椅子から立ち上がり、


 こちらへ来て……



「ふがっ」



 俺の頬を両手で抑え込んだ。


「夫さんは、生きているだけで十分、価値があります!」


「……」


「夫さんが作った曲も、撒いたチラシも。誰かの心を救ったり、役に立ったりすることだってあるはずです。ゴミなんかじゃないです!」


「……」


「『普通の幸せ』って何ですか? ただ、二人で一緒にいるだけで幸せって教えてくれたのは夫さんじゃないですか! 少なくとも私は、夫さんが日々を精一杯生きてくれてる。それだけで十分です。それだけで立派です、尊敬できます!」


「……」


「子供ができなくても構いません。夫さんといられるだけで私、幸せです」


「……」


「言い忘れていたことがあります」


「……?」


 頬を抑えていた手が離れる。


 結衣は少しだけかがみ、


 微笑み、


 そして――


 俺の顔を胸に抱き寄せた。



「おかえりなさい」



 さらに、優しく頭を撫でながら続けた。



「お疲れ様でした、夫さん」



 優しく、穏やかな沈黙の中。


 どこかで鳴る踏切の音が聞こえてくる。


 暖かさと柔らかい匂いに包まれながら、


 その時、俺ははっきりと思ったんだ。




 ああ、俺はこの子に出会うために、



『おかえり』という曲を生み出したのだと。




 俺は何を迷っていたんだろう。


 世界がどれだけ狂おうが、壊れようが、


 破滅しようが、


 この狭い部屋で二人で身を寄せ合う、


 それだけで幸せじゃないか。


 不安も焦りも、自分の無力さも、


 今すぐどうにもできはしない。


 だったらいっそ全部引きずったまま、


 一日一日、いや、


「今」というこの時間ときを精一杯生きる、


 それだけでいいんじゃないか?


 やれることを、一つ一つ。一歩一歩。


 人生が荒波というなら、大きな脅威が襲ってくるなら、


 むしろ俺たちは逆に、小さく小さく閉じこもろう。


 そうすればもう邪魔されることない、


 俺の、俺たちだけの世界だ。


 その世界で、小さな幸せを見つけて愛でよう。


 その幸せを積み重ねていこう。


 世界はまだ、先の見えない混沌が続く。


 明日も明後日も、苦しい日々が続く。


 それでも俺たちは……


 そうだ。


 俺たちにも、混乱する世の中に向けて、


 できることがあるんじゃないか?


 それは誰にも喜ばれないかもしれない。


 無意味なことかもしれな……




「ヒョエエエエエエ!!!」




 沈黙を切り裂く突然の雄叫びとともに、


 俺の顔は結衣の胸からひっぺがされた。


「なんだなんだ!? 虫か!?」


「ちちちち違います!! 私、なんて恐れ多いことをおをおをを!!!」


「はあ?」


「夫さんに偉そうにあれこれ言うだけでは飽き足らず、恐れ多くも御頬みほほに触れ、御頭みあたまをこの下賤な胸に抱きしめるなど……切・腹・不↓可↑避ぃッッッッッ↑↑!!」


「妻さんのおっぱい柔らかかった。またやってよ」


「もうしません!!」


「嬉しかったよ」


「もうしませんんん……」


「おっぱいじゃなくて、妻さんの気持ちがさ」


「え……」


「ありがとう。大好きだよ、妻さん」


「はう……♡」


「ところで妻さん」


「な、なんでしょう夫さん」




「ヒーローごっこしない?」



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



「本当に、やるんですか……?」


 エモスマイル姿に『変身』した結衣が、


 自信なさ気にこちらを見る。


「ノリノリで着替えもしたのに、今更何を」


「まあ、お話を聞いた時は「ちょっといいな」と思ってしまって……」


「じゃあ問題ない」


「でも、やっぱりその、いざとなると……」


「上手くいかなかったらアップしなければいい。ダメ元でいこう」


「そうですね、上手くいかなかったらボッシュートで!」


「ふしぎ発見かい」


 俺が思いついた「ヒーローごっこ」。


 それは、結衣がエモスマイルとなり、「おかえり」を歌うことだった。


 アニメ『シャイニー☆エモーションズ!』の最終決戦にて、


 ラスボスである無感情王アレキシと対峙するエモスマイルは、


 武器を全て投げ捨て、歌ったのだ。


「おかえり」を。


 その歌はアレキシの心の中に、


 本当は一つだけ秘めていた『寂しさ』という感情を、


 破壊衝動の元凶を、暖かく包み込んだ。


 そして、戦いは終わったのだ。


 その場面を再現し、動画にして届けようと思った。


 外に出ることもままならず、


 人と人との触れ合いが極端に減った、今の世の中へ。


 この思いつきを成り立たせるのは、結衣の完璧なコスプレだけではない。


 歌が、普通に上手いのだ。


 多分、さんざん口ずさんできたんだろう。


 プロの耳からしても、音程がぴったり合っている。


「じゃあ、そろそろいってみようか」


「ヒッ! ヒッ! フウーーー!!」


「ラマーズ法やめい」


「エ、エモスマイルはさすがです、敵の前でこれを……!」


「そうだな。でも今は俺しかいないし。それに……」


「それに?」


「妻さんがこの歌を初めて聞いた時、どう思った?」


「……なんて、優しい歌だろうって」


「その時の気持ちを思い出して、歌ってみたらどう?」


「初めて、シャニエモを見た時……」


 しばらく目を瞑り、時々首を傾げる結衣。


 やがて、指でOKサインを作った。


 4カウントを入れたオケを流し、


 カメラの録画ボタンをそっと押す。




https://www.youtube.com/watch?v=6uxvEforaHs


〽︎

 夕焼けが染めた 茜空


 どこか遠く、響く 踏切の鐘


 一人待つ まな板 トントン鳴らし


 早く帰ってきて 今日はごちそうだから




 ドアを開けたら「結婚してください」なんて、


 しかも、目出し帽を被って。


 まるで強盗だったよな。




〽︎

 幾千の 時の 片隅で


 ただ「今」を 精一杯生きているだけ


 頬染めて繋いだ 手の温もり


 それだけで私もう 幸せなの




 コーヒーひとつでうぎゃうぎゃ言って、


 風呂場でいきなり倒れるし。


 見合い相手は現れるし。




〽︎

 たった一言 「お疲れ様」って


 ぎゅ……ってしたあと 伝えられたら


 胸に隠した 痛みや悩み


 ありがとうだけじゃ足りない だから




 コスプレでバズるわ、


 親父と戦わされるわ、


 出会ってから本当、


 振り回されっぱなしだった。


 それでも……。




〽︎

 夕焼けに伸びる 影法師


 過ぎ去ってゆくの 昨日と変わらず


 それなのに涙 こぼれるのは


 あなたが今日も頑張ってくれたから




 結衣のそばにいたい。


 その笑顔のそばに。




〽︎

「ただいま」を抱きしめて おかえりなさい





 歌い終えた結衣は、カメラの向こうにいる俺を見つめ。


 はにかむように、だけど最高に眩しいエモスマイルで微笑んだ。


 この動画はやがて、数百万の人へ届くことになる。


 パンデミックで疲れ切った人々に、


 安らぎと「おかえり」を届ける動画として。



 さらには。


 パンデミックが収まった世界の中で、


 俺は作曲家として復活していくのだが、



 それはもう少し先の話だ。







「ああああ! 緊張しました!!」


「はは、いい感じだったよ。一発OKじゃないかな」


「良かったです、ハア、ハア、ハア……」


「あ、RECボタン押してなかった」


「ガビーーーン!!」


「リアクションが古すぎないか? まあ、ちゃんと撮ってるよ」


「ひどいです~~!!」


 ポカポカポカ!


 久々に高速猫パンチを繰り出した後、


 ウィッグを脱ぐ結衣。


「やっぱり、私のような庶民にこのような派手な真似は……そうだ!」


「ん?」


 真剣な目で、俺にガッツポーズを見せつけてきた。


「私も、ポスティングします!」


「はあ!?」


「夫さんだけを戦地に送り出すわけにはいきません!」


「いや、戦地じゃないし……」


「ゴミと罵られ、犬に吠えられ、雨にも負けず風にも雪にも負けず。運動不足解消にもなりますね、一石二鳥です! 私も常々、運動不足だなと実感し……」


 ブツブツ言いながら腕組みをする結衣を、


 後ろから抱きしめた。


 美しい白金色の髪から、ふわりと柔らかな香りが漂う。




 止まる世界。


 染まる頬。


 そして。




「長瀬結衣さん」


「……なんですか? 蓮実凛さん」





























「俺と、結婚してください」


お読みいただきありがとうございます!


次回で完結です♪


(毎日20時更新・完結保証・ハッピーエンド保証)

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