第0話 前編
登場人物
長瀬結衣/箱入りお嬢様
〽︎
夕焼けが染めた茜空
どこか遠く響く 踏切の鐘
一人待つ まな板トントン鳴らし
早く帰ってきて 今日はご馳走だから
――それが、
私の人生を変えた歌でした。
お父様とテレビを見ていた時、流れてきた歌。
「そのまま聴かせてください!」
チャンネルが変えられそうになるのを必死で止めました。
なんて優しい歌なんでしょう。
その歌がきっかけでアニメ自体も見始めました。
シャイニー☆エモーションズ!、通称シャニエモ。
エモスマイル、エモハピネス、エモドリームの三人が敵と戦う、その活躍に胸が躍りました。
中でもお気に入りはエモスマイル。
遅刻の常習犯で、テストはいつも10点以下。
だけど笑顔を絶やさず、仲間想いで、
そんなスマイルのことがいつのまにか好きになっていたのです。
毎週日曜日、変身ポーズを必死に覚えて、テレビの前で一緒に戦って。
学校でも友達が困っていたら、一番に助けに向かうようになって。
シャニエモに出会ってから、私の日々は前よりずっと輝きだしました。
だけど……。
ある日の下校途中。
クラスメイトの双子、佐絵ちゃんと多絵ちゃんが、
解体途中のままほったらかしになっていた古い家に、石を投げて遊んでいたのです。
クラスのリーダー格でもあり、時々悪戯をして先生から怒られることもある二人。
まだ割れていない二階の窓に向かって、どっちが先に割るか、勝負をしているようでした。
もう誰も住んでいない家だからって、石なんか投げちゃダメです。
注意をしようと近づいたその時、佐絵ちゃんが思い切り投げた石が、
ガラスにぶつかって……。
ガシャーン!!
「危ない!!」
窓が割れたのを見て、私はとっさに駆け寄り――
ドンッ!
佐絵ちゃんを突き飛ばしました。
そして、落ちてくるガラスを避けようと、私自身も飛び退きました。
でも……。
「あっ……!」
何かに足をとられ、地面に思い切り転び……。
「痛っ……」
右目の下に、何かが食い込みました。
地面には解体中に使われていた、錆びた金網フェンスが倒れていたのです。
そこへ顔から飛び込んでしまい、
クロスした金網がちょうど右目の下に、
私の体重ごと力任せに押し付けられる形になりました。
じわじわと痛みは増し、涙がこらえきれません。
そんな私を見て佐絵ちゃんと多絵ちゃんは、
どこかへと走り去ってしまい……。
「どしたん!?」
下校途中の他の子が、私の元へと駆け寄ってきました。
「血が出とる!」
「先生呼んでくる!」
その後、病院で治療をしてもらったけど、
私の顔には、
その後消えることのない傷跡ができました。
それ以降、私は大人しくなりました。
自分はエモスマイルなんかじゃない、ただのドジで非力で、怖がりな人間だと知ったから。
エモスマイルは敵に殴られても蹴られても、立ち上がって戦うのに。
私は顔に傷ができたくらいで、すっかり臆病になってしまったのですから。
お父様とはもう二度と、無茶なことはしないとお約束しました。
シャニエモも見せてもらえなくなったし、学校までの送り迎えは九条さんに車でしてもらうようになりました。
でも変わったのは、私だけじゃなかった。
周りの子達が、前よりも距離を置いている気がするのです。
そして時々、陰口を耳にするようになりました。
『あの傷、気持ち悪い』
『髪と目の色、変じゃなぁ』
『いつもなんでも買うてもろうて、ずりい』
『車で送り迎えしてもろうて、ずりいが』
私はますます、塞ぎ込みました。
……そしてある日、聞いてしまったのです。
トイレで、佐絵ちゃんと多絵ちゃんが話すのを。
「結衣ちゃんも参ってきたんじゃねえ?」
「みんな協力してくれるけぇな」
協力……?
「突き飛ばされて擦りむいたし、親から怒られるし、最悪じゃったわ」
「エモスマイルの真似じゃねえ? 前からしとったがぁ」
「ええ迷惑じゃまったく。顔に傷まで作って、ウケるんじゃけど」
「あねーなの、わざわざ助けんでもよかったのにな」
……あはは。
笑ってしまいますね。
私は正義の味方の真似をしたつもりが、むしろ怪我させてしまったようです。
思えば、これまで私に助けられた子達、いえ、
助けたと『勘違い』していた子達にとっても、もしかしたら良い迷惑だったのかもしれません。
ドジな私が関わることで、余計に事態を悪くしていただけだったりして。
馬鹿みたい。
それなら私を除け者にする二人の計画にも、みんな喜んで協力するでしょう。
そうです、誰かを助けたり救ったりするのは、もっと強くて頼れる方がするものなのです。
私のような弱者ができることではない。
この傷は、勘違いをした『罰』なのです。
ヒーロー気取りで、誰かを救える人間だと思い込んだ罰。
弱いくせに、正義の味方の真似をした罰。
残りの小学生時代、
『早くこの時間が終わってくれないかな』といつも思いながら、
ただただ、心を殺して過ごしました。
中高一貫の私立校に進学しても、髪色や顔の傷に好奇の目を向けられるばかりで、私はひとりぼっち。
毎日寝る前に、お母様が買ってくださったトイプードルのぬいぐるみを抱きしめます。
名前はポニちゃん。
そして、小さな声でシャニエモの歌、『おかえり』を口ずさむ。
すると、心がほんのり温まるのです。
その安らぎがずっと、私の心を守ってくれました。
高校を卒業して数年後、私はお見合いをすることになります。
お相手は、お父様のご友人の息子様。
高学歴、高収入、将来は社長の座が確約されている。
結婚するならそういう人が良い、その方が幸せになれると、お父様は仰いました。
逆に、安定性も将来性もない方とでは不幸になる、とも。
それまで結婚どころか、家族以外の誰かと暮らすなんて考えもしなかったけど、
これを機に、もしかしたら私は変われるかもしれない。
そんな小さな希望を胸に、私はお見合いに臨みました。
お相手は最初、優しそうに見えました。
カバンに、お守りがわりに入れていったポニちゃんを見ても馬鹿にせず、
むしろ『可愛いから抱かせてくれ』と言われた時。
この人とならやっていけるかもしれない。
愚かにも、そう思ったのです。
途中休憩から戻った時、お相手が電話で、
誰かにこう話しているのを聞くまでは。
『顔に気持ち悪い傷はあるけど、いい体してるぜ』
全く、一体何度勘違いをすれば私は学ぶのでしょう。
お見合い中、相手が私の胸をじっと見ていたことに気づいていたではありませんか。
この方と添い遂げて、私は本当に幸せになれるのでしょうか?
見た目だけでしか価値を計れない方と。
そもそも、幸せってなんでしょうか?
私が一番幸せだった時は……。
エモスマイルの真似をして、毎日がきらめいていた時。
そうだ、私がどんなに辛くても、『おかえり』の歌はそばにいてくれた。
ひとりぼっちだった学生時代、あの歌だけはわかってくれていた気がした。
ただ毎日、特に何もない日々を過ごすだけで、辛く精一杯だった私のことを。
あの歌を作ったのは、どんな人なんだろう?
棚からCDを取り出して、歌詞カードを見ました。
――作詞・作曲/蓮実凛――
蓮実、凛さん……。
インターネットで調べてみると、蓮実さん自身はSNSアカウントもなく、
所属されている作家事務所にプロフィールページがあるのみ。
ずらっと並んだ楽曲提供実績。
その中にはちゃんと、
――シャイニー・エモーションズED曲 『おかえり』――
も、ありました。
生年月日を見ると、ちょうど私より10歳年上。
でも掲載されているお顔写真を見ると、思ったよりお若く見えます。
近年は提供作品数が減っているようですね……。
芸能の世界は浮き沈み、流行り廃りが激しいと聞きます。
お父様が仰る「安定」や「保証」とは真逆。
ということは、もしこの方と結婚したら、私は不幸になるのでしょうか……?
――違う。
その時私は、直感でそう思いました。
だって、あんな優しい歌を書く人が、不幸を作る人のはずがない。
自分の心に芽生えた気持ちはどんどん大きくなって。
これを抑えるためには、確かめるしかない。
本当に、不幸になるかを。
いや、会いたい。
『おかえり』を書いた人と。
私の心を、一番幸せにしてくれる歌を書いた人と。
だから決めました。
この人に会いに行こう。
そして――
婚約を申し込もうと――。
顔に傷を負ってからずっと、お父様の言いつけを守ってきました。
だからこれがたった一度だけ、何もできない弱虫な私の、最初で最後のワガママです。
しかし、ふと気づきました。
どうやってお会いすればいいんでしょう?
事務所のページには、住所なんて書いてあるわけありません。
お手上げ、でしょうか……。
……。
途方に暮れて、『蓮実凛』で出た検索結果を、ぼんやりとスクロールします。
すると……。
『プロ作曲家の蓮実凛くんが遊びに来てくれました!』
どなたかのSNSに、蓮実さんが来訪したとの投稿がありました。
どうやら、三週間前におこなわれたライブイベントのようです。
調べてみると一週間後に、今月も同様のイベントがある。
もしかしたら、蓮実さんが来るかもしれない……。
……。
一か八かの賭けです。
東京へ行って、このイベントに参加してみます……!
もしそこでお会いできなければ、ご縁がなかったのでしょう。
それでも、私はこのチャンスに賭けます。
翌日から、交通手段の手配、イベント会場の検索、持っていく荷物の用意、
少しずつ準備を進めました。
夜行バスに乗り、翌日昼間からのイベントに潜入。
普通の方なら単なる小旅行ですが、私にとっては大冒険です。
夜行バス、満員電車、ライブハウス。
ざっと挙げただけでも、危険だらけで震え上がります。
お父様が聞いたら縛り付けてでも止めるでしょう。
ですので夜にこっそり、家出をすることになります。
大きいトランクでは荷物になるので、リュック一つにしましょう。
ポニちゃんは入れるとして、他の持ち物は最小限に。
あ、でも「乙女の嗜み」は入れましょう。
私のエモスマイル愛を披露する機会が……まあ、あるはずないとは思いますが。
婚姻届はゼクスィの付録で調達し、
さらにはもうひとつ、秘密のアイテムを忍ばせて。
そして決行当日。
ライブハウスに合いそうな黒いパーカーとミニスカートに身を包み。
家族が寝静まった頃、これからの動きを最終確認していた時です。
コンコン……
どなたでしょう、ノックの音が……。
「……はい……」
「結衣ちゃん?」
お母様……?
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