棄憶 最終話「決別」
登場人物
蓮実凛/駆け出しの作曲家
葛城沙織/ニート
真里奈さん/凛の知り合いの歌い手
一週間後。
「ありがとうございます真里奈さん、バッチリです」
「良かった~~! 仮歌なんて初めてだったから、緊張したよ~~」
知り合いの歌い手、真里奈さんに頼んだ仮歌は想像以上に素晴らしかった。
もらった歌データを入れて曲を再生した時、正直、少し涙が出た。
「仮歌代を振り込みますので、口座を教えてもらえますか?」
「そんなのいいよ~~」
「え、さすがにタダというわけには……」
「その代わり私の曲のミックス作業とか、簡単なお願いしてもいい?」
「いいですよ、それくらいなら」
「本当~~!? じゃあ今度、お願いしようかな!」
「了解です、またご連絡いただければ」
電話を切ると、背後に気配を感じた。
「今の誰?」
「ああ、新しく仮歌頼んだ人」
「まだ曲、作ってたんだ」
「別にやめたなんて一言も言ってない」
「ふーん」
疑わしげな雰囲気で、沙織はゲーミングチェアへと戻る。
「歌なら私も歌えるのに。なんか余所余所しいな」
「曲調によってマッチする歌声ってあるから」
「エッチもできないし、凛といてもつまんない」
それから数日後のことだった、
沙織との間に修復不可能な、決定的な亀裂が入ったのは。
「ただいま」
返事はないとわかっているのに、つい口に出してしまう。
聞こえるのはどうせ、ボタンの連打音……と思っていたが、どうも静かだ。
いや、部屋の向こうから何やら、話し声が聞こえる。
誰かと電話でもしているのか?
そっと覗くと……。
「……そう、今の生活自体は気に入ってるからさ、めっちゃ楽だし、ゲームずっとできるし。籍さえ入れちゃえばこのまま東京で楽に暮らせるって思ったんだけど、向こうの親父がクソウザくて。偉そうに説教してくんのよ。でもむしろ良かったわ、まさか勃たなくなるなんてねー」
は?
「しかもさ最近、『おかえり』とかいうやばい曲作ってんの。歌詞はキモいし、なんか歌も童貞男子イチコロって感じの猫撫で声でさー」
おい、沙織にあの曲は聞かせてないぞ?
まさか俺のパソコンを勝手に見てるのか……?
「あ、もしかして授乳プレイとかじゃないと勃たなくなっちゃったとか!? うわ、それはやばすぎ! ぎゃはははは!!」
ドサッ
俺の手からカバンが床に落ちると同時に、
ソファに寝転びながらスマホを耳に当て、
バカ笑いをする沙織がこちらを振り向いた。
止まる世界。
ぶつかる視線。
「……ご、ごめん、ちょっと切るね」
沙織にかける言葉は何もなかった。
ただ俺の目は、もう何も許していなかった。
この目に映る、必死に平静を装おうとしている人間は、
もはや恋人でも何でもない、ただの寄生女だった。
いや、寄生されているなんてとっくに気づいていた。
そしてそれは罰だと思っていた。
沙織が再び音楽を始め、自分だけの音楽を探す。
そんな日は来ないとわかっていたのに、期待し続けたことへの罰。
だが、生み出した音楽を汚されることだけは、
どうしても許せなかった。
その怒りは俺の中に僅かに残っていた期待も愛情も、一瞬で断ち切った。
沙織の表情が変わる。
狼狽えから開き直りへ、やがて侮蔑へ。
そして再びスマホを操作し、通話を始めた。
「……あ、yuくん? 何度もごめんね! あのさ、すっっごい無理なお願いだとは思うんだけど、これからyuくんの家とかって、いけたりする……?」
ゲーム仲間、か。
いや……
「いいの!? 助かる、ありがと~~! ちなみに最寄駅ってどこかな?」
ああ、そういうことか。
「え、めっちゃ都会じゃん! やば、楽しみすぎ♡ 今いるとこ田舎だからさー」
はは、田舎で悪かったな。
「うん、じゃあ後で。ばいばーい♡」
スマホを耳から離すと、表情を一瞬でオフにする。
部屋の温度が一気に下がった気がした。
「……代わりなんて、いくらでもいるから」
ここに移り住む時に持ってきたバッグに、手際よく荷物を詰めていく。
「このまま凛といても多分、不幸になるし」
そのバッグには最初、俺たちの未来が入ってると思っていた。
だが。
「残していくものは捨てていいから。じゃあね」
感傷に浸る余地なんて一ミリもないかのように、沙織はこの部屋を出ていった。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
その後、『おかえり』を上野さんに預けたところ、有名アニメシリーズの新作、『シャイニー☆エモーションズ!』のエンディング曲として採用されることになった。
その大抜擢は、俺の人生を一気に変えた。
「シャニエモのED曲を書いた」と箔が付いたことで上野さんも売り込みがしやすくなり、真里奈さんの仮歌も評判が良く、これまでの停滞が嘘のように採用が取れるようになった。
テレビで、劇場で、都会の大型ビジョンで、自分の提供曲が流れる日々。
ハウスクリーニングのバイトもやめ、諸々のストレスが減ると耳鳴りも和らぎ、全ては順風満帆に感じた。
だが……。
『このまま凛といると多分、不幸になるし』
沙織が去った後、何人かと付き合ったが結局「欠陥」は直らず、気まずくなってやがて別れる、そんなパターンを繰り返した。
はは、こんなやつと誰が一緒にいたがる?
ましてや結婚なんて。
いいさ、このまま一人で生きればいい。
そもそも結婚なんて、人間が勝手に作ったただの制度だ。
俺には必要ない。
そう思いながら一年、また一年と過ぎていき。
過去の提供曲の印税で暮らせてはいるが、サウンドも曲調も流行りの変化に飲まれ、気付けば新規採用は年に数曲程度にまで落ち込んだ。
『代わりなんて、いくらでもいるから』
その言葉は恋人としてだけではなく、音楽においても同じだった。
才能ある人材なんて山ほどいる。
何曲も提供したアーティストやアイドルのコンペで、文字通り箸にも棒にも掛からなくなるたび、使い棄てられたような気持ちになった。
そして思った。恋も夢も、『こんなものか』って。
俺の代わりなんていくらでもいる、だったら頑張るだけ無駄だ。
もう悔いはない、いつ人生が終わってもいい。
そんな風にさえ感じるようになった。
制作のモチベーションも徐々に尽き、ギターや鍵盤を触ることも少なくなってきたある日。
ピンポーン――
知り合いのライブイベントから帰ってきて、部屋で休んでいたら突然、チャイムが鳴った。
ネット通販も頼んでないし、また不動産の売り込みか何かか?
ったく、こっちは住宅ローンなんて組めないってのに。
やれやれと腰を上げ、玄関に向かう。
もしくだらない営業だったら、怒鳴りつけてやろうか。
そう思いつつドアを開けると。
そこには、目出し帽を被った強盗が立っていた。
手には――紙切れを一枚持って。
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