第2話「兵器」
登場人物
蓮実凛/売れない作曲家
長瀬結衣/家出お嬢様
不意をつかれた長瀬結衣の声が、
電源切れ直近のロボットのように震える。
「こ、コーヒーはまだ、心の準備が……」
「そっか、じゃあこれ片付けるよ」
「すみません」
冷め切ったコーヒーを流し台に運び、
新しい飲み物を用意すべく、ケトルで湯を沸かし直す。
「ところでさ、その婚姻届はまだ提出できないよ」
「なぜですか?」
「証人の欄が空白だ」
「証人……?」
「うん、親とか上司とか、成人二名の署名が必要なんだよね。心当たりある?」
「頼むとしたら両親ですが、今は……」
「そうだよな。まあその紙を出さなくても一緒に暮らす、つまり『事実婚』はできるんだから、まずはそこからにする?」
「そうですね、そうしましょう!」
証人、か。
ふと、何年も会っていない両親の顔が思い浮かぶ。
相変わらず、親父はつまらなそうな顔でテレビを見ているだろうか。
お袋は、そんな親父に腹を立ててるんだろうか、相変わらず。
もし俺が、結婚するって知ったら……。
いやいや何をバカなことを、これはお嬢様の『検証』に付き合ってるだけだ。
脳裏によぎった考えを振り払い、注ぎ直した飲み物を長瀬結衣の前に置く。
「はい、今度はこれどうぞ」
「ありがとうございます」
「飲んでみてよ」
「なんでしょう、いただきます」
品良くマグカップを持ち、軽く冷ましてから口をつける。
「わ、美味しいです……なんですかこれ」
「コーヒーだよ」
「へ?」
俺の言葉に固まったが、
すぐにぷくっと頬を膨らませる長瀬結衣。
「……ひどい、謀りましたね……!」
「でも美味しいでしょ?」
「はい、香ばしさがミルクと溶け合って、甘くて、美味しいです……」
「そうそう、初めてだろうからコーヒー自体は少なめ、ミルクと砂糖を多め。でもこれも立派なコーヒーだ」
「これは危険です……」
「え、これでも?」
「美味しくてまた飲みたいです……!」
「あ、そっち」
「依存症になるのもわかります、これは美味しいです……」
「あはは、それは危険だな。お気に召してもらえて嬉しいよ」
ほんの少し口元を緩ませて、再びマグカップに口をつけた、その時だった。
ぐぎゅるるるるる~~~~!!
静かな部屋に、麗しき美少女(恐らく)が発したとは思えない、
モンスターの唸り声のような轟音が響きわたった。
長瀬結衣は瞬時にパーカーのフードを被り、
フードの裾を両手でぎゅっと握ったまま俯く。
そして沈黙。
「……お腹、空いてるのか?」
(コクコク)
「ちょっと待ってて、何か作る」
俺は足早にキッチンに立った。
そうしないと、目の前で吹き出してしまいそうだった。
なんて音だ、どんだけ腹減ってるんだよ。
口元を抑え、必死に笑いをこらえながら冷蔵庫を開ける。
今日はシチューにする予定だったので、
野菜室からじゃがいも、にんじん、玉ねぎを取り出す。
水洗いや皮剥きなどの下処理をしてから、包丁を握ると……
「ヒィッ!!!」
背後で悲鳴が上がった。
振り返ると、クッションを盾のように装備した長瀬結衣が震えている。
「刃物です、危ないです!」
「大丈夫だよ、具材切ってるだけ。怖いなら向こうで待ってて」
ナイフすら装備できなそうな貧弱勇者を退散させ、
気を取り直し、改めて包丁を握る。
トントントン……
普段なら大雑把に具材を切るが、今日は小さめに切ってみた。
その方が食べやすいだろうと思ったのだ。
具材を全て切ったところで今度は、棚の奥から『秘密兵器』を取り出した。
が……。
「ヒェッッッッ!!!」
またしても、背後で悲鳴。
「いけませんそれは! ははは、破壊兵器です!」
生まれたての子鹿のように、ガクガク膝を震わせ怯える長瀬結衣。
「ただの圧力鍋だよ」
「やはり! 爆発物と雷管を仕込めば、即席爆発装置になるシロモノです!」
「君はWikipediaか」
「爆発したらただじゃすみません! 部屋、いやこのアパートごと爆散します!」
「思考回路が物騒すぎる。あのな、これは安全に美味しく調理してくれて時短にもなる、素晴らしい文明の利器なんだ。いいから向こうで大人しく待っててくれ」
まだ何かブツブツ言いながら怯える子鹿を、強引に部屋へと押し戻し、椅子に座らせた。
ふう……。
気の取り直しをもう一度して、
切った具材と肉、そして水を鍋に入れ、蓋をしてスイッチを押す。
しばらくして。
カタン、カタン、カタン……
圧力調理が始まり、鍋の蓋についているピンが上下運動を始める。
すると向こうの部屋から、今度は呪いのような声が。
「これは、破滅へのカウントダウンです……」
「メガデスか? よく知ってるな」
「?? このカタカタ音こそが、爆発へのカウントダウン……!」
「鍋が正常に作動してるだけとしか」
カタン、カタン、カタカタカタカタ……!
「ああああ!!」
「静かにしてくれ」
「ああもうダメです! いきなりこんな破壊兵器を持ち出されるとは……やはり外の世界はきけ……」
そこまで言って、長瀬結衣は事切れた。
テーブルに突っ伏し、スースー寝始めたのだ。
よっぽど疲れてたのか、腹が減ってたのか。
もしかすると、家を飛び出してから何も食べてないのかもしれない。
「やれやれ、だな」
寝室から毛布を持ってきて、肩からそっとかけた。
それにしても異常なまでの悲観主義というか、リスク回避主義というか。
親はどういう教育をしてきたんだ?
――ピー! ピー!――
あれこれ考えているうちに、圧力調理が完了したらしい。
「よし、仕上げだ」
圧力鍋の蓋を開け、ルーを四つに割って溶かし、
最後にスプーン一杯の「隠し味」を投入した。
「……今、何を入れましたか?」
「うおっ!」
振り返ると、長瀬結衣はすぐそこまで来ていた。
びっくりした、いつのまに起きてたんだこいつは……!
「み、味噌だよ。さらに美味くなる」
「味噌ですって!」
「味噌です」
「ルーで味がついてる所にさらに味噌ですって!」
「さらに、味噌です」
「塩分過多もいいところです、もはや毒です!」
「否定はしないけど、一杯で死にはしない。いいから食べてみろ」
向こうからすれば“危険極まりないシチュー”を皿に盛り、
激しい疑惑の視線を浴びつつも、その前に差し出す。
しばらくシチューを、様々な角度からジロジロ観察していたが、
やがて目を瞑り、両手を合わせた。
そして、
「……長瀬結衣 毒入りシチューで ここに散る……」
ご丁寧に5・7・5で遺言を残した後。
ブルブル震える手でシチューを、そろりそろりと口に運ぶ。
パクッ――
「…………!!」
一口食べた途端、
さっきまで死んだ魚のようだった瞳がパーッと輝いた。
「美味しい……! 美味しい美味しいです!」
「だろー!?」
「美味しい、ハフハフ!」
「その美味しさは、君が怯えた“破壊兵器”と“毒”があってこそだ」
「ハフハフ、ほえー!」
「圧力鍋で具材の旨みを存分に引き出し、味噌で味に奥行きを加える」
「ハフハフ、なるほど、ハフハフ……!」
俺の説明を聞いているんだかいないんだか……。
まるで、人間の食べ物の美味しさを初めて知った動物のように、
無我夢中でシチューを頬張っている。
そんなに喜んでもらえるなら、作った甲斐もあるってもんだな。
「どう、危険で不幸な味は?」
「……そうですね、もう少し検証してみないとわかりません(モグモグ)」
そう言って、長瀬結衣は空になった皿を差し出してきた。
「おかわりですね、お嬢様」
「です!」
「塩分過多は大丈夫ですか?」
「一杯くらいじゃ死にません」
そこで初めて、彼女と笑いあった気がした。
俺も自分の分をよそって、同じテーブルで食べ始める。
こうしてみると、お互いに黒いパーカー同士、
ペアルックを着たカップルか夫婦に見えなくもないな。
「そういえば妻さん」
「なんでしょう夫さん」
「どこで寝る?」
お読みいただきありがとうございます!
次回もどうぞよろしくお願いします♪
(毎日20時更新・完結保証・ハッピーエンド保証)




