第1話「強盗」
二人だけの結婚式。
フリマアプリで買った、5千円のウェディングドレス。
4万円台の、ステンレス製の結婚指輪。
結婚雑誌に載っているような式や指輪と比べれば、
見窄らしいかもしれない。
でも、これで十分だった。
右目の下に星を光らせて、いま、
隣で微笑む長瀬結衣は、
世界で一番幸せそうに見えるのだから。
これは社会の片隅で生きる俺たちが、
地味で、
些細で、
平凡で、
でもちょっとだけ煌めいた、
小さな小さな幸せを掴むまでの物語。
その始まりは――
忘れもしない、あの一言から始まった――
「結婚してください」
「……」
玄関先で、5秒ほど停止した。
とりあえず状況を説明しよう。
ピンポーンとチャイムが鳴ったので出てみた。
するとそこには、黒い目出し帽を被った不審人物がいたのだ。
黒い目出し帽に黒いパーカー。
俺も黒パーカーだが、覆面を被った向こうはまるで強盗のようだった。
そして、その強盗がプロポーズしてきたのだ、「結婚してください」と。
突き出された紙切れには、左上に『婚姻届』と書かれていた。
「蓮実凛さん、ですよね?」
可愛らしい声だ。
パーカーの下は、黒いミニスカート。
素顔は普通の少女かもしれない。
「……なんで知ってる?」
「その……調べまして」
「探偵かよ」
「かつては一世を風靡した作曲家さん。ですが近年のお仕事は激減」
「……閉めるぞ」
「待ってください!」
「……そんな落ち目の作曲家と結婚したいあなたは?」
「申し遅れました。私、長瀬結衣と申します」
ここでようやく強盗の名前が判明したが、聞き覚えはまるでない。
「長瀬さんね、了解。じゃあ長瀬さんは、どうして俺と結婚したいの?」
「不幸になるか、確かめたいからです」
「……は」
予想外すぎて変な声が出た。
「確かめたい? 不幸になるかどうか?」
「はい!」
「もしかして俺、からかわれてる?」
「私は真剣です!」
本人の言葉通り、眼差しは妙に真剣だ。
得体の知れない『覚悟』を感じる。何か事情があるのだろう。
例えば、親に進学も趣味も結婚相手も決められ、それが嫌で家出してきたとか。
いやいや、今どきそんなベタな話あるか? 古今東西のエンタメコンテンツでやり尽くされた設定だ。
じゃあ一体、どんな理由がある?
よく見ると目の色が茶色ではなく、琥珀のような色をしている。
もしかすると日本人ではないのかもしれない。
少しずつだが、この強盗さんに興味が湧いてきた。
ふーーっと、一息吐く。
「わかった、ひとまず話だけ聞こう。このまま君をドアに挟んどくのもなんだしな」
「ありがとうございます」
「荷物はリュックだけ?」
「はい」
「じゃ、どうぞ。むさ苦しい部屋ですが」
「お、お邪魔いたします……」
こうして強盗、いや長瀬結衣は、我が家へと足を踏み入れたのだが……。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
「……」
「どうした?」
部屋に入った途端、立ったまま動かない。
「……話が違います」
「え」
「部屋が綺麗すぎます」
「はあ?」
「話と違います……全然綺麗で、全然危険じゃなさそうです……」
「?? よくわからないけど、とりあえずそこ座ってて」
首を傾げながら、テーブルの椅子にすごすごと座る。
その様子に俺も首を傾げつつキッチンへ向かい、食器棚からマグカップを取り出す。
部屋が片付いてると何かマズイのか?
危険? 何のことだ?
考えるほどに意味不明だ。
ケトルで湯を沸かし、ひとまずインスタントコーヒーを淹れてみた。
「はい、コーヒーどうぞ」
湯気を立てるマグカップをテーブルに置くと、なぜか固まり、プルプルと肩を震わせ出した。
「?」
「こここ、コーヒー……!?」
「あ、苦手だった?」
「危険です!」
「え」
「眠れなくなります!」
「ああ、これカフェインレス」
「!!??」
「カフェインが入ってないやつ、だから飲んでも寝られるよ」
「よよ、よくわかりませんが、コーヒーを飲み始めるとやめられなくなり、やがて依存症になるのです!」
「過度に悲観が過ぎる」
「危険です!」
「まあ好きになったら毎日飲むかもしれないけど、それは依存症って言うのかな?」
「あう……」
「まあ飲みたくないならいいや。それより、そろそろ話を聞かせてくれる?」
動揺を抑えるよう何度か深呼吸してから、対面に座った俺に語り始めた。
「私、親に進学も趣味も結婚相手も決められてきたんです」
ブーーー!!
思わずコーヒーを吹いてしまった……。
なんとなく思い描いたベタ設定がそのまま来るなんて聞いてない。
とっさに顔を横に向け、彼女の顔面に直噴射しなかった瞬発力を誰か褒めてほしい。
「何でもない、続けてくれ……」
「失礼ですが、蓮実さんはお歳は三十代、不安定な収入、将来の保証は一切ない、で合ってますか?」
ブーーーーー!!
ったく、初対面から何を聞くんだこいつは!
「ゲホゲホ……合ってますよ、残念ながら」
「完璧です」
「は」
「私の目に狂いはありませんでした。求める条件に完璧にマッチしています」
「かんぺき」
「はい。親が薦める『同年代で、安定高収入で将来も有望な結婚相手』と真逆です」
「俺ならそいつと結婚したいね」
「私は嫌なんです」
「なるほど。長瀬さん、もしかして親のこと嫌いなの? それで真逆の相手と結婚して復讐しよう、みたいな?」
「いえ、両親のことは好きです」
「へ」
「私のことを大切にしてくださっているのはよくわかっています。私も怖いことや痛いことは嫌ですし、ずっと守られてきました。ですが」
「ですが?」
「その、親が言う『理想の結婚相手』と会った時、危険、と思ってしまったんです」
「なぜ?」
「……私の、胸ばかり見ていた気がして」
「ああ」
なるほど、胸元を見れば確かに、パーカー越しでもはっきりわかるほど“主張”している。
「親は、この人なら安心だ、安泰だと言っていたんですが……私はどうしても、そうは思えなかったんです。これからずっと一緒に暮らすって考えたらむしろ、怖くなってしまった」
「それで逃げ出してきた、と」
「そうですね、私のやったことは逃げかもしれません。でも、前からずっと思っていたことがあるんです。本当に、親が言うことは危険なんだろうか、不幸になるんだろうかって」
「なるほど、コーヒーとか」
「コーヒーもそうですし、男の人の部屋もそうです。足の踏み場もないほど物が散らかってて、空き缶とかカップラーメンのゴミにハエがたかってて。床にはその、い、いかがわしい雑誌やDVDが転がってて……とにかく危険極まりないと。そう教わってきました」
「じゃあ俺の部屋は早速、話と違ったわけだ」
「はい」
「それは単に、君が世間知らずなだけなんじゃないのかな?」
「え……」
強盗が、言葉に詰まった。
「部屋が汚い男もいれば綺麗な男もいるってだけだ。胸とかいかがわしい雑誌とかって言ってたけど、部屋に女性を連れ込んでも全く欲情しない男だっている。一概に『男の部屋=危険』と決めつけることがそもそも間違ってる」
「……」
「世の中のことを知っていけば、君が教わってきた『危険』なんてどれだけ薄っぺらい思い込みか、すぐにわかる」
「……」
「ちなみに、お父さんは何をされてる方?」
「上場企業の社長をしています」
「納得」
少しだけ憤りを含んだため息をつき、琥珀色の瞳をきっと見据えた。
「聞いてりゃただの、箱入りお嬢様の気まぐれだよ。不幸になるか確かめたいだなんて、やっぱりからかわれてるようにしか思えない」
「……」
「申し訳ないけど帰ってくれ。そもそも、なんで相手が俺なんだよ」
中身をほとんど吹いてしまったマグカップを持ち、台所へ立つ。
長瀬結衣は座ったまま動かない。
流し台にマグカップを乱暴に置き、水を溜め、もう一度ため息をついた。
真剣な目をしていたから家にあげてみたけど、ただの迷惑行為だったな。
さあ、ベタな設定のWeb小説はこれで終わりだ。
とっとと家に帰ってく……
――その時だった。
澄んだ声が、殺伐とした空気をふわりと包んだ。
〽︎
夕焼けに伸びる 影法師
過ぎ去ってゆくの 昨日と変わらず
それなのに涙 こぼれるのは
あなたが今日も頑張ってくれたから
https://www.youtube.com/watch?v=5t8JlRblANM
動きが止まったのは、今度はこっちの番だった。
当然だ、俺が作った曲だったんだから。
「この歌を作った人に、会いに来たんです」
TVアニメ『シャイニー☆エモーションズ!』のエンディング曲、「おかえり」。
もう随分と前に作詞作曲した歌だ。
キッチンに立ったままの俺の背中に、長瀬結衣は言葉を投げ続けた。
「親が『危険』と言って、途中から見せてくれなくなったアニメ。 でも、エンディングで流れるこの曲が私は大好きで。危険どころか、私の心を支えてくれたんです」
「……」
「だから、この歌を作った人に会って、一緒に過ごしたら。親が言う『危険』や『不幸』は本当なのか、わかる気がしたんです」
振り向くとそこには――
婚姻届を突き出す長瀬結衣がいた。
「もう一度言います。結婚してください」
なぜ、こいつから覚悟を感じたのか。
なぜ、俺の元へやって来たのか。
その理由が少しだけ、わかった気がした。
しばしの静寂。
どこか遠くから、踏切の鐘の音が聞こえてくる。
「君がやろうとしていることは恋でも愛でもない。ただの『検証』だ」
「え?」
そう、これは検証。いわば、『検証結婚』。
紙切れを受け取り、デスクに向かう。
「そもそも結婚なんてのは所詮、人間が勝手に作った単なる制度だ。もともと俺はそんなものに、期待も憧れもない」
ワークチェアに座り、引き出しからボールペンを取り出す。
「でも、君が幸せになるのか、不幸になるのか」
氏名、生年月日、住所に本籍。
「それにはほんの少し、興味が湧いた」
父母の氏名と続き柄まで書き、ペンを置く。
「よろしく、妻さん」
記入を終えた婚姻届を返すと、長瀬結衣は神妙に、でもしっかりと受け取った。
「ありがとうございます、夫さん」
“夫になる人” 蓮実凛
“妻になる人” 長瀬結衣
こうして強盗、もとい長瀬結衣と婚約したわけだが……。
顔も見えない女との結婚なんて、しかも『検証結婚』なんて。
俺にはお似合いなのかもしれない。
人生なんて、『普通の幸せ』なんて、とうに諦めた身なんだから。
「ところで妻さん」
「なんでしょう夫さん」
「コーヒー、飲んでみる?」
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