第13話「障害」
登場人物
蓮実凛/売れない作曲家
長瀬征一/結衣の父
九条/征一の秘書
九戦目、チャンスはあと二戦しかないにもかかわらず、あっさりと負けた。
これまで少しずつだが分析してきた、相手のクセや隙。
それらを突くどころか、ただなんとなくコントローラーを動かすだけになっていた。
その負け方は、初戦よりも酷い有様だった。
理由は明白だ。
『結衣の顔に傷ができた原因は、君だ』
長瀬征一の放った一言で、集中が完全に途切れてしまった。
「試合にならんな」
長瀬征一がコントローラーをテーブルに置いた。
力なく、俺も同じように置く。
「お言葉ですが、社長」
「なんだ」
ふいに、九条が口を開いた。
「最終戦間際で、一番強いカードを切って相手を突き落とす。ビジネスでの交渉時における、社長の必勝パターンです」
「それがどうした」
「いささか、フェアではないかと」
「なんだと……?」
「これはビジネスではありません。凛様を揺さぶるようなお話は、事前にしておくべきではないでしょうか」
長瀬征一はゆっくりと九条、そして俺を見た。
「これまでの九戦、真剣に戦ってきたのはお互い、結衣様を大事に思うからこそです。それであれば尚更、対等な条件で向き合ってほしい、そう思います」
「……」
「無粋な口出し、大変失礼しました。処分は、如何様にでも」
深々と頭を下げる九条。
その手は僅かだが震えていた。
まさか、俺のために社長に逆らって……?
「……お前を手放しはせん。そうだな、九条の覚悟に免じて、最終戦の前に話しておこう」
それまで一度も手をつけていなかったティーカップを手に取り、長瀬征一は窓の外を眺めた。
「結衣はもともと、今のように気弱な感じではなかった。明るく活発で、自由奔放で、周囲を明るく照らす女の子だった。そう、まるで物語のヒロインのようにな。その結衣が変わってしまったのは……」
次に出る言葉が、なんとなく予想できた。
「『シャイニー☆エモーションズ!』」
予想が合っていたことが、苦しい。
「普段はああいったアニメを見ない子だったが、チャンネルを切り替えている途中にたまたま耳にした曲が、あの子の興味を強く引いた。わかるだろう? 君が作った、『おかえり』という曲だ」
ああ、わかっているさ。
長瀬結衣が初めてウチに来た時、口ずさんだ曲だ。
「それからはアニメにすっかり夢中になり、毎週欠かさず見るようになった。中でもお気に入りはエモスマイル。放送中は変身シーンや戦闘シーンを真似し、本当に楽しそうだった」
「それがどうして、傷の原因なんですか?」
「ある日、結衣が事故にあった」
「事故……」
「学校からの帰宅途中、クラスメイトを怪我から庇ったそうだ。エモスマイルの真似をして、正義の味方として。庇った拍子に転び、地面に打ち捨てられていた古いフェンスに顔から激突し、右目の下に十字の挫滅創を負った」
ティーカップに口をつける。
「整形手術でも完璧には治せない傷だった。だが、本当の傷は顔ではなく心に負った。なぜかわかるか?」
「いえ」
「同級生から言われるようになったんだ、『気持ち悪い』と」
「あ……」
なんてことだ。
成金拓也に言われるよりももうずっと前から、
言われ続けてたんだ……。
「傷だけでなく、ハーフである結衣の髪色や瞳の色も含めてな。まるで、実は前から気味悪がっていたかのように、周囲の様子は様変わりした」
「そんな……!」
シャニエモが放映されていた年から逆算して、恐らく小学4、5年生。
まだ善悪の判断も薄く、思ったことを何でも口にする時期。
長瀬結衣に向けられた言葉はあまりにも鋭く、
その心を、容赦なく切り裂いた……。
「それからだ、結衣がふさぎ込むようになり、自分に自信を失くしたのは」
「……」
「事故のショック、周囲からの嘲笑。そして何より、自分はエモスマイルでも何でもない、ただの無力な人間なんだと悟ってしまったからだ」
俺は勘違いをしていたのかもしれない。
長瀬結衣のことを、世間知らずのポンコツお嬢様だと。
でも実は、ダンス動画で見せたあのキラキラ感が、本当の姿なんじゃないだろうか。
顔の傷がつく前の、本来の長瀬結衣の……。
「それまで結衣を伸び伸びと育てていたが、以降は徹底的に管理し、危険から遠ざけることにした。アニメを見せるのもやめた、録画も全て消してな」
「それで、何事も『危険』と言うようになったんですね」
「馬鹿だと思うかもしれない。だが、結衣が傷つく恐怖、結衣を失う恐怖よりはマシだ」
カタカタカタカタ……!
その手に持つティーカップが、震えている。
「あのアニメさえ見なければ、エモスマイルの真似なんかして、無茶なことをしなければ……あのような傷がつくこともなかった……」
静かな怒りが、取り戻せない過去への悔いが、その言葉に滲み出ていた。
長く語った疲れか、それとも辛い過去を思い出したためか。
長瀬征一は初めてため息を一つつくと、カップをテーブルに置いた。
「私が結衣を過剰に守ってきた理由は、本当はもう一つある。だがそれは、君が勝ったら話すとしよう」
「条件追加、ですね」
「どうだ、ここまでの話を聞いて、それでも結衣とのこれからを望むか?」
不思議と、心は落ち着いていた。
それは長瀬征一が、俺に恨みをぶつけるわけではなかったから。
確かに、長瀬結衣は俺の曲がきっかけでシャニエモを見始めた。
正義の味方の真似をして、一生残る傷を作った……。
でもこの人はわかっている。生きていれば時々、どうしようもないことが起こることを。
ただ、娘の顔と心に傷がついたことは耐えがたかった。
人生の理不尽さを知っていても、それでも耐えがたかった。
娘のことを、誰よりも愛していたから。
だから、俺の答えは――
「僕は結衣さんの傷を見た時、星のようだと思いました」
「星……?」
「はい。まるで夜空の星のようだと。傷のせいで辛い思いをしてきた、結衣さんや周りの皆さんに対し、失礼とは存じますが」
「そうだな、無礼極まりない」
「ですがその傷が、僕と結衣さんを出会わせてくれた気もするんです。まるで、夜空の星に導かれたかのように。そして結衣さんのおかげで、」
改めて、長瀬征一の目を見据えた。
「僕は生き返りもしたんです」
「理解に苦しむ」
「結衣さんと出会うまで、もう人生に悔いはないと思っていました」
「……」
「恋も夢も、どれも憧れていたはずなのに、やってみたら僕には苦しいことばかりだった。『こんなものか』と思ってしまったんです」
「やはり、ぬるいな」
「否定はしません。それでも結衣さんと過ごす日々は、消化試合のようだった僕の人生に潤いをくれた。僕の曲を、誰よりも愛してくれた。それが何より大切なことに今、はっきりと気づきました」
「私にとっても結衣は大事だ。何よりも」
「僕が作った曲が結衣さんの傷を作る原因になった。しかしあの曲は、苦しみのどん底で生み出した、僕にとっても大切な曲です。そして結衣さんは初めて出会った日、あの曲を口ずさんでくれた。曲に救われたとも、言ってくれた」
「……」
「あなたのおっしゃる通り、人生は荒波だ、社会は戦場だ。危険だらけで、傷つくこともある。だけどそんな世界の中で、結衣さんと二人で、弱いもの同士で身を寄せ合って、些細なことで笑い合う。それを『幸せ』と呼べるのなら、僕と過ごす日々を結衣さんが幸せだと思ってくれるのなら」
コントローラーを手に取り、強く握りこんだ。
「僕はそれを守り続けたい」
「……」
「どんな障害が、行く手を阻んだとしても」
「……言いたいことはそれだけか?」
「言葉より、形で示す方が得意なので」
「面白い、完膚なきまでに叩きのめしてやる」
まるで、ゲームの中のキャラクターのように、長瀬征一の周りに闘志のオーラが滲み出たようだった。
お互い最後まで、変えることなかったキャラクター。
もう十度目の、同じロード画面が終わり。
「知っていたか? これまでの九戦、私が手加減をしていたことを」
「僕も、手持ちのカードを全て切った訳じゃありません」
「……強がりは、最後まで立っていられた時に言うものだ」
長瀬征一がニヤリと笑った。
画面の中央で、二人のキャラクターが向き合う。
さあ、最終戦だ。
3――
2――
1――
……FIGHT!
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