第10話「消沈」
登場人物
蓮実凛/売れない作曲家
長瀬結衣/家出お嬢様
真里奈/歌い手人妻
長瀬結衣のダンス動画がバズった、だと……?
「も~~結衣ちゃんがあんまり可愛かったからさ、ショート動画に編集して遊んでたんだけど、自分のと間違えてアップしちゃって。てへへ♡」
「え」
「そしたらもう10万再生」
「え」
「もちろんBGMは差し替えたし、コスプレも完璧だから顔バレの心配もなし。動画の収益はもちろん、凛くんに全額渡すから安心してね~~♡」
「はあ、どうも……」
「でもこの子、もっともっと伸びると思うな~~。可愛いし、このダンス即興でしょ? 只者じゃないよ~~!」
「そ、そうですかね……」
「ちゃんと動画作る気になったら、私もプロデュースっていうか、制作手伝うから。いつでも言ってね~~♡」
少し、考えた。
もしこれが続くなら。もし本当にバズるなら。
収入源になるかもしれない――
それも、俺の作曲よりも簡単に……。
「……ありがとうございます」
通話が終わった後、しばらくスマホを見つめる。
ピコッ
真里奈さんから動画のURLが送られてきた。
コメントも、ほとんどが好意的なものばかりだ。
もしかすると、もしかするのか……?
近くなってきた長瀬結衣の背中が、いつもとは違って見えた。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
「いただきます!」
マヨネーズをかけたカツオを頬張る姿を、ボーッと眺める。
「美味しいです! 新境地です!」
「……」
「どうしましたか?」
モグモグやりながら首を傾げる長瀬結衣。
俺は箸と、左手に持っていた味噌汁のお椀を置いた。
「なあ、妻さん」
「ふぁい?」
「昨日のダンス動画なんだけど」
「ヒイイイ!」
「まだ何も言ってない」
「あ、あれは、忘れてくださいぃぃ……!」
「いや忘れるどころか、バズったらしい」
「ば、ばず?」
「真里奈さんが間違ってアップしちゃったらしくて」
カシャンッ!
瞬時に青ざめた長瀬結衣の右手から、箸がこぼれ落ちた。
そして、小刻みに震え出した。
普段なら一発叫ぶところだが、あまりの事態に言葉も出ないらしい。
「もちろん、妻さんが嫌なら消して……」
「嫌です!!」
「即答」
「私のダメダメヘッポコダンスなんて……炎!上! フ・カ・ヒィィッッッ!!!!」
「そうでもないみたいだぞ?」
「ほえ……?」
スマホを見せる。
「……?」
長瀬結衣は恐る恐る画面を覗き込んだ。
俺は再生回数の数字を、人差し指で叩いて示す。
「……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん……じゅうまん?」
「そう」
「十万回以上……?」
「そうそう」
「え?」
しばらく沈黙が続いたが、
「えええフガガガ!!」
「静かに」
絶叫で窓ガラスが割れそうな予感がしたので、噴き出した水道管を押さえる作業員の如く、速攻で口を塞いだ。
「アップして半日も経ってないのに、もう10万回以上再生されてる。すごいことだ」
「フ、フガガ……」
「コメントも絶賛の嵐だ。ほら」
親指でゆっくりとスクロールすると、長瀬結衣は画面を食い入るように見つめた。
『この子誰!?』『可愛すぎる』『表情えぐい』
『センター感すごい』『埋もれさせたら国家の損失』
『絶対売れる』『笑顔にやられた』
「……」
トントン……
口を塞ぐ俺の手を、長瀬結衣が軽く指で叩く。
そして指でOKを作り、次にサムアップ。
『もう叫びません』という意思表示だろうと思い、手を離す。
「ほ、褒め……」
「ん?」
「褒めてくれてます……」
「だな」
「はっ! でも、もしかしたら下の方に……」
急に我に返り、自らの指でスクロールしだした。
「こういうのはAIで、肯定的なコメントが上に来るようになってます!」
「詳しいな」
「そろそろ来ますよ……ハァ、ハァ……!」
「変態か」
プルプルプル……シュッ……!
プルプルプル……シュッ……!
コメントを一つ見ては、意を決したようにスクロール。また一つ見ては……
「おい、日が暮れるぞ」
「もう暮れてます……」
「いいツッコミじゃないか」
プルプルプルプルプルプルプルプル……シュッ……!
「お、最後のコメントみたいだぞ。『エモスマイルとか懐かしすぎて草』だってさ」
「は、ハァハァハァハァハァハァ!!」
「吐息がド変態すぎるだろ。深呼吸して」
「スーー……ハァー……、スーーー……ハァー……」
しばらく呼吸を整えたのち、ぽつりと呟いた。
「『気持ち悪い』とか……なかったです……」
その声は、とても小さかった。
「そうだな、まあこれを気持ち悪く思う方がおかしい」
「もう一回見てもいいですか?」
「ああ」
「ありがとうございます……」
スマホを渡すと体育座りになり、画面を遠慮がちにスクロールし始めた。
わずかに開いた口。薄桃色に染まる頬。
やがて――
「……嬉しい……です」
小さくだが、確かに笑った。
「もう一本、動画作ってみる?」
「えっ」
瞬間凍結する笑顔。
「うん、今度はフルで」
「無理無理無理ィィィッ!!」
「別に、作ったとしても公開しなけりゃいいわけだし」
「ふえ……?」
「せっかくダンスを創作したんだし、映像に残しておくのも良いだろ? それに、俺自身も気に入ってる。妻さんのダンス」
ようやく、静寂が訪れた。
「あの……」
そして漏れた、小さな声。
「動画作るだけなら……」
「うん」
「夫さんが喜んでくれるなら……」
ちらりとこちらを見る長瀬結衣。
「やってみても、いいかもです……」
「決まりだな」
思わず笑みが溢れた。
「ヒェッ!! なんですかその意味深な笑いは!? やっぱり無理無r……フガガガ」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
二日後。
「こんにちは~~♡」
動画制作の手伝いをお願いしたら、二つ返事でOKしてくれた真里奈さんがやってきた。
先日の撮影とは違い、白シャツにジーンズというラフなスタイルだ。
「お疲れ様です、真里奈さん。こちらが、その……」
俺の背中にしがみついたエモスマイル姿の長瀬結衣は、ゆっくりとその顔を覗かせた。すると……。
「かわいいいい~~~!!」
「ほげえええ~~!!」
玄関から一気にダッシュした真里奈さんは俺をスルーし、エモスマイルをがっちりとハグ。
「可愛すぎる~~♡ ほっぺもぷにぷに~~♡」
「はうあうああああ」
熱烈な頬擦りを受け、我が妻は声にならない声をあげる。さらには……
「わあ♡」
むにゅっ
「きゃっ!」
「おっぱいも大きい~~♡」
もみもみもみもみ~~
「おい」
ズビシッ!
思わず手刀をセクハラ人妻、もとい真里奈さんの脳天にお見舞いした。
「痛あ~~! もう凛くんてば、単なるスキンシップなのに~~」
「警察呼ぶか迷いました」
「でも本当にかわいい! 改めまして、真里奈って言います。今日はよろしくね♡」
「……長瀬結衣と申しますです……」
若干乱れた胸元を直しながら、控えめに挨拶する。
「じゃ、早速撮ってみたいんだけど、まずは一通り踊ってもらえるかな~~? アングルとか考えたいし」
部屋に移動し、手荷物をソファーに置いた真里奈さんが笑顔で問いかける。
「だってさ、どう?」
「はい……」
どこか自信なさげなその顔が、少し気になった。
いや、自信なさげなのはいつものことではあるが。
「じゃあ、曲流すぞ」
「うわ、ドキドキする~~♡」
パソコンの中のミュージックアプリを立ち上げ、例の曲をリストから探して再生した。
イントロが流れる。が……。
「??」
長瀬結衣は立ったまま、動かなかった。
「妻さん?」
異変を察知した俺は曲を一時停止した。
「……」
「どうした?」
自信なさげどころか、その顔はどんどん青ざめていく。
「……あの」
「ん?」
「踊れません……」
「え?」
「夫さん以外の人が見ていると、その……」
……。
その場に、沈黙が落ちた。
立ちすくむ中、必死に思考をめぐらせる。
なるほど、俺の前でしか踊れないというなら、真里奈さんには一度……
「やめよっか」
「え?」
きっぱりとした声が、俺の思考をストップさせた。
真里奈さんは少しだけ俺を見て、そして長瀬結衣に、優しく笑いかけた。
「結衣ちゃん、ごめんね」
「……」
「真里奈さん、やめるって何を……」
「動画だよ~~」
「でも、十万――」
「この子、商品じゃないよ~~」
俺の言葉を遮る真里奈さんの声は優しくも、どこか芯が通っていた。
「この子はね、凛くんの曲が好きで踊ってるだけなんだよ、ね?」
じっと動かなかった長瀬結衣が少し間を置いて、コクン……と小さく頷く。
やがて、瞳から涙が溢れ出す。
優しく抱きしめる真里奈さん。
シャツの生地をぎゅっと握ってしがみつき、肩を震わせる長瀬結衣。
……。
先ほどとは種類の違う沈黙が、場に流れる。
そしてその沈黙は俺の心をひどく打ちのめした。立っていることも辛いほどに。
長瀬結衣はただ、俺の曲が好きで。
ただそれだけだったんだ。
その純粋な気持ちを、俺は……。
動画市場。再生数。収入源――
利用しようとしていたんだ。
心のどこかで、金儲けの道具にしようとしていた。
なんて、浅ましい……。
沈黙が長引くほど、俺の心は深く落ち込み、視線は床へ……
「よし!」
パン!
真里奈さんが手を叩く音に、ハッと顔を上げた。
「ねえ結衣ちゃん、やっぱり一曲だけ踊らない? 私、後ろ向くから~~」
「え、でも……」
「その代わり。歌っちゃおっかな~~♡」
「……あ!」
「そのデモ曲歌ってるの、私だもんね~~」
真里奈さんは長瀬結衣のハグを解くと、ギタースタンドからギターを手に取り、うつむく俺に渡した。
「凛くんはこれ~~」
「……」
「結衣ちゃん、好きなんだよ。凛くんの曲も、凛くんのことも」
「え……」
真里奈さんは小声でそう囁いた後、俺に軽くウィンクし、
「さてさて、あの曲のカラオケは、っと……」
パソコンに向かってマウスを握る。
「も~~データ多すぎてどれかわかんない~~」
「人のパソコン、勝手に触らないでくださいよ」
マウスを預かると膨大な量の楽曲データの中から、目的のオケデータを探し出した。
手に持っていたギターのストラップを肩からかける。
「俺はエアギター。ほら、そこのセクハラ人妻さん、後ろ向いて」
「ちょっと結衣ちゃん、お宅の旦那ひどくない~~!? DVされたらすぐに言ってね!」
「真里奈さんの方がよっぽど危険ですよ」
「ふふ……」
涙を拭いながら微笑む長瀬結衣を見て、俺と真里奈さんは顔を見合わせ笑った。
そして……
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
その日の夕食後、俺は鍵盤に向かった。
笑顔で踊る長瀬結衣。背中越しで歌う真里奈さん。
結局、動画作りは中止。だけど狭い部屋で、三人でおこなった『ライブ』は、誰の目にも触れることはないけど、楽しかった。
音楽は、楽しいもの。楽しむもの。
なんだかそんなことも忘れてしまっていた気がする。
指が自然と動く。
俺の心に宿った、いや蘇った煌めきを、ワクワクを探すように。
『結衣ちゃん、好きなんだよ。凛くんの曲も、凛くんのことも』
……。
俺のために、誰かに怒ってくれる存在。
俺の曲を、何より好きでいてくれる存在。
そんな存在、今までいなかった。
それにしたって、子供みたいな無邪気な笑顔で、楽しそうで。
……。
長瀬結衣、可愛かったな。
胸に芽生えた、この気持ちは……
ピンポーン――
その時、突然チャイムが鳴った。
こんな時間に誰だ? さては真里奈さん、何か忘れ物でもしたのか?
扉を開けると……黒いスーツに身を包んだ、見知らぬ男が立っていた。
「突然、失礼します」
丁寧に、頭を下げる。
「蓮実凛さん、でしょうか?」
「……はい。あなたは?」
「私は長瀬結衣様のお父上、長瀬征一の秘書を務める、九条と申します」
父……? 秘書……?
まさか……
「結衣様を、お迎えに参りました」
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