第9話「廃棄」
登場人物
蓮実凛/売れない作曲家
長瀬結衣/家出お嬢様
真里奈/歌い手人妻
「妻さん、妻さん」
仰向けのまま動かない長瀬結衣の頬を、ペチペチと軽く叩く。
俺に見られたことがよほどショックだったのか、ピクリとも動かない。
それにしても……。
エモスマイルのコスプレ、衣装だけじゃなくピンクのウィッグまで被り、青色のカラーコンタクトもして、なかなかに本格的だ。
一見すると長瀬結衣には見えない。
あ、右目の下の傷には星型のシールを貼っている。
「もう……」
「ん?」
「もう、おしまいですぅ……こんな姿見られて、もう……ジ・エンドですぅ……」
動いたと思ったら、口元をとがらせてシクシク泣き出す。
「あのさ、普通に可愛いんだけど」
「はえ……?」
「コスプレだよ。クオリティすごいじゃん、前からやってたの?」
「乙女の密かな嗜みですぅ……」
「なるほど。なあ、俺の曲で踊ってたの?」
「ああもう本当すみません、生まれてきて本当にすみませんんんん!!!」
今度は顔を手で覆ったまま、高速で左右に転がりだした。
「ダンス、見せてよ」
「……!!??」
動きがピタッと止まり、指と指の隙間から、見開いた目でこちらを覗く。
ぶ、不気味だ……。
「そ、それだけは……それだけはご勘弁うぉぉぉ……!!!」
「見せてくれないなら、曲のデータ消してもらおうかな~~」
「ガーン!」
「効果音が口に出てるぞ」
長瀬結衣は上体だけ起き上がると、目を閉じ口を開け、見えないハエでも追いかけるように首を振りながら、しばらく何かをじっと考えた。
動きが謎すぎる。
「わかりました、踊ります……」
熟考の後、観念したかのようにフラフラと立ち上がり、フーッと息を吐く。
「夫さんの曲を失う方が、私には耐えられません……」
その表情はまるで、これから死地に赴く侍のようだ。
「一回だけ、ですからね」
「ああ」
楽曲の再生ボタンを押し、スマホをテーブルに置いた。
イントロが流れると、顔の前で手をクロスして……
え?
これ、長瀬結衣?
まるで別人だった。
クラッシュシンバルが鳴るとともに、クロスしていた腕を解き放つと、
さっきまでのブルドッグのような泣き顔が嘘のように、ニッコニコで踊り出したのだ。
ただ笑うだけじゃない、表情が細かくドンドン変わっていく。
僅か10数小節のイントロがまるで、短編映画のように見えた。
表情だけじゃない、振り付けもこれ、自分で考えたのか?
今日初めて聴いたとは思えないくらい、完全に曲をモノにしていた。
軽やかなステップ、キレキレのターン。
ウィンクからは星が弾けるように、指先からは花びらが舞うように。
これじゃまるで主人公でありヒロインであり、アイドルグループならセンター間違いなしのオーラじゃないか。
普段のポンコツお嬢様は、
さっきまで床を転げ回っていた変人はどこに行ったんだ?
〽︎
だって、I Love Youだけじゃ! (I Love Youだけじゃ)
I Love Youだけじゃ た・り・な・い!
ボロアパートの一室はもはや、色とりどりのサイリウムで埋め尽くされたアイドルライブ会場だった。
最初は子供のお遊戯会を見守るくらいの気持ちだったのに、曲が始まった途端に一気に引き込まれ、ただただ見入っている自分がいた。
しまった、ただ眺めてるだけじゃもったいない。
動画を撮っておこうとそこでようやく気づき、スマホを横に傾けてRECボタンを押す。
アウトロまで踊りきり、最後は決めポーズまで決めた。
キラキラの笑顔。まさに、エモスマイル……。
しばらく、そのまま動けなかった。すると……。
バターーン!!!!
「おい、大丈夫か!?」
笑顔のまま、仰向けに倒れた長瀬結衣。
その元に駆け寄る俺の顔にも、笑みが浮かんでいた。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
「わあ、塗り絵です! かわいいです!」
市役所近くにあるデパート、カトーベイカドーの3階。
食料品の買い出しに来たついでに、本屋にも立ち寄ってみた。
シャイニーシリーズの最新作、「シャイニー☆ソリューションズ!」の本をパラパラとめくり、目を輝かせる長瀬結衣。
「それ、買おうか?」
「いいんですか!?」
キラキラした目でこちらを見る。が、
「いえ、私なんぞに本などという嗜好品を賜る資格はありません……」
「じゃあ誰が本を買えるんだよ」
「それに、私はやっぱりシャニエモ一筋です!」
そう言って、手にしていた塗り絵本を元の位置に戻した。
「なるほど、ファンの鑑だな」
「です!」
「そういえばさっきのダンス動画、面白いから真里奈さんに送ってみた」
「え゛っっっっっっっっ」
「おっと、静かに」
叫び出しそうな気配を感じたので、とっさにその口を手で塞いで本屋の外に出る。
これじゃまるで誘拐犯だが、おかげで事なきを得た。
「誰かに見てほしいくらい魅力的だったってことさ。真里奈さん、妻さんのこと興味津々だったし」
フゴフゴと不満げな長瀬結衣をなだめつつ、本屋を出てフロアを一回りすることになった。
俺にとっては特に愛着もない、単なる地元のデパートだが、誰かと二人で来てみると、旅行代理店も雑貨屋もなんだか新鮮に見える。
「1階にジュエリーショップもあるな、一応」
「私、婚約指輪はナットがいいです!」
「は?」
「お父さんが大好きなドラマがあって、その場に落ちてたナットを婚約指輪にするんです! そのシーンが大好きで……!」
「ああ、『10001回目のプロポーズ』か。主人公が結婚式当日に毎回タイムリープしちゃうやつ」
「それです! ループするたびに強くなって、トラックに轢かれても無傷になっちゃいます!」
「強すぎたよな。しかし、マジで指輪がナットでいいなら助かるな、経済的に」
「是非! あ、バブバブホンポもありますよ!」
ベビー服やベビーカーが並ぶ用品店に駆け寄る長瀬結衣。
「かわいい! 赤ちゃんにこんなの着せたいです!」
店頭に飾ってあったベビー服を指差し、今日一番の笑顔を見せる。
「私、『一つ屋根の上』も父の影響で好きで! 大家族って憧れます!」
「10人兄弟の話だっけ。そういえば、妻さんて兄妹いるの?」
「いえ、一人っ子です」
「なるほど」
両親が過保護なのも、もしかしたら一人っ子だからかもしれない。
「大家族どころか、そもそも俺は……」
「え?」
「あ、なんでもない。妻さんは子供、ほしいんだ」
「もちろんです!」
迷いのない即答。
「……だよな。よし、そろそろ食料品いくか。割引品が出回る時間だ」
「割引品! フードロス対策ですね!」
「(単に安いからだけど、まあいいか)」
ベビー用品店を後にし、無事に数日分の食料をゲットした俺たちは、エコバッグを一つずつぶら下げ、夕暮れの散歩道を並んで歩く。
「お刺身、半額でしたね!」
戦利品を掲げ、満足そうな長瀬結衣。
「こちらはおトクに買え、廃棄という運命も救える。一石二鳥だな」
「カツオさんの運命、ありがたくいただきます……!」
「カツオにはマヨネーズをかけると美味い。某有名料理漫画でやってた」
「そうなんですね、楽しみです!」
相変わらず、少しのことでも喜んだり驚いたり。
忙しいやつだと心の中で笑いつつ、ふと、買い出し前に見たダンスを思い出す。
こうしてのんびりニコニコ、時々「ヒイイ!」なんて慄く姿とは、まるで別人だった。
キレた時の岡山弁とはまた違う、人格ごと入れ替わったような……。
夕闇に飛ぶコウモリを眺めつつ、ぼんやりと物思いに耽っていたその時。
「ポン! ポンポンポンポンポポンッッッッ!!!!」
「は!? どうした!?」
突然、長瀬結衣が口から空気砲を連射し始めた。
「虫です、むしいいーーーー!!! 虫が口の中にっっっ!!!」
どうやら、小虫を吹き飛ばしていたらしい。
「私、虫がすっっっっっっっごく嫌いなんです! うぎゃあああああ!!!!」
そう叫ぶと、俺を残して猛ダッシュを始め、一瞬で豆粒になった。
「全く、なんなんだあいつは……」
思わず、呆れに近い笑いが溢れた。
色々と予想外すぎて、ついていくのにやっとだ。
『これまで凛くんが無理だって思ってたことも、もしかしたらできるかもしれない』
真里奈さんの言葉が脳裏をよぎる。
って、本当にあいつが、俺の運命を変えるってのか?
廃棄行きのカツオを救うように? 馬鹿馬鹿しい。
小虫ひとつにウギャウギャわめいてるのに、そんな大それたことできるはずがない。
それでも、今の暮らし……そんなに悪くないよな。
このまま本当に結婚したとしても。
あいつはどうだろうか。
俺が抱える「欠陥」を知ったら、どんな……
ブルブルブル!
ふいに、スマホが震えた。
真里奈さんだ。
「もしもし?」
「あ、凛くん~~? 送ってくれた動画なんだけどさ~~」
「はい」
「なんか、バズったんだけど~~」
「はあ?」
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