第8話「疑惑」
登場人物
蓮実凛/売れない作曲家
長瀬結衣/家出お嬢様
真里奈/歌い手人妻
「うわ、私この曲好きです……! かわいい!」
ヘッドホンを外した長瀬結衣が、満面の笑みで振り向く。
パソコンを整理してたら出てきたボツ曲を、折角なので聞かせてみたのだ。
「お、嬉しいな。実はその曲、シャニエモのオープニング用に作ったんだ」
「えええ! それは貴重です!」
「残念ながら採用にはならなかったけどね」
「幻のOP曲……! もう一回聴きたいです!」
「だったら、妻さんのスマホにデータを送ろうか?」
「いいんですか!?」
「曲調的にもちょっと古いし、多分今後使われることはないと思うから。でも一応、誰にも聞かせないでほしいんだけど」
「墓場まで持っていきます!!」
「なんたる覚悟」
成金の襲来から数日。
長瀬結衣も少しずつ家事をするようになり、俺たち二人の暮らしも板についてきたが……。
洗濯では俺のパンツをつまんだまま赤面停止。
玉ねぎ一つ剥く間にこちらの調理は完成し、
掃除機で転び、皿を割る。
教科書通りのお嬢様ポンコツぶりに、感動すら覚える日々だ。
今も、渡したボツ曲に夢中になってしまい、洗濯機を回したまま干すのを忘れているが……ま、仕方ないな。
代わりに干しとくかと腰を上げると、スマホがふいに震えた。
発信元を見て、通話ボタンを押す。
「もしもし」
「凛く~〜ん、お疲れ様ぁ~〜」
独特の甘い声が鼓膜を揺さぶった。
電話をかけてきたのは普段、デモ曲の仮歌をお願いしている真里奈さんだ。
「お疲れ様です真里奈さん。どうしました?」
「また写真お願いしたいんだけど、スケジュールどうかな~〜?」
「あ、ちょっと待ってくださいね」
スマホを耳から離し、パソコンのカレンダーを立ち上げ確認を……
「ヒイィェッッ!!!」
気づけば真横に、真顔の長瀬結衣がピタリと張り付いていた。
「いつからそこにいたんだ!?」
真一文字に結んでいた口から、恨めしげな声が漏れ出す。
「これが俗に言う、浮気というやつですか……!?」
「違う違う、仕事の依頼!」
「やけに親しげです……」
「長い付き合いだから!」
「付き合う……? 長い……!?」
「真里奈さんは人妻だし!」
「はっ! 浮気じゃなく、ふふふ、不倫ッ!!」
「な訳ない、仮歌をお願いしてる人だよ! ほら、さっきのボツ曲を歌ってくれてるのも真里奈さん!」
「ほ、ほえ……?」
「後で説明するから、ちょっと待ってて!」
逃げるように窓際に走り、通話に戻る。
「すいません真里奈さん、スケジュールですが……」
「凛く~〜ん? なんだか楽しそうなことになってない~〜?」
あー、さすがに聞こえてたか……
「はは……会った時に話しますよ」
「楽しみだな~〜♡ 急だけど、明日か明後日ってどうかな?」
「いいですよ、明日で」
「さんきゅーー♡ 詳しい場所や時間は後で連絡するね~〜」
「了解です、ではまた明日」
通話を切ると、長瀬結衣は正座をしてしょげていた。
「まあ、説明がなかった俺も悪いからさ、顔を上げてよ」
「すみません……」
「さっきの電話の真里奈さんは信頼する歌い手さんで、仮歌をもう長いことお願いしてるんだ」
「なるほど」
「真里奈さん自身も音楽活動をしてて、結婚して子供もいるのに未だに現役なんだよね」
「すごいです!」
「すごいよね。で、本来なら仮歌の報酬はお金で払うんだけど、真里奈さんの場合は音源制作の手伝いをしたり、写真を撮ったりすることでお返ししてるわけ」
「写真、ってことは、夫さんてカメラもできるんですか?」
「うん、趣味で一眼レフやっててさ。ちょっと見てみる?」
パソコンの前に移動して写真ライブラリを立ち上げ、スクロールして真里奈さんのポートレート写真を表示した。
ライトブラウンのゆるふわな髪をなびかせ、光の中、目を細めて微笑む姿。
「……綺麗……!」
「これはCDのジャケットに使われたやつ」
「真里奈さんも綺麗なんですが、夫さんのカメラの腕前もすごいです! プロ並みです!」
「あはは、ありがとう。まあ、下手の横好きってやつだけどね」
「うむむ……」
「どしたの?」
急に体育座りになり、膝に顎を乗せる。
「私、何もないな、何もできないなって……」
「はあ?」
「夫さん、作曲はプロだしカメラもプロ並み。家事も得意。それに引き換え私は……」
「そんなこと気にしてたのか」
「だって……真里奈さんだってお綺麗で、音楽活動もやって、子育てもしてて……」
「おい」
「ふがっ」
ふてくされる頬を両手で抑え込んだら、饅頭のように潰れた。
「妻さん。君は多分、生きているだけで十分面白い。十分価値がある」
「ぶええ!?」
「俺が何十時間かけて作った曲よりも、妻さんが家事でひとつトラブルをやらかす方が、誰かを楽しませることだってある」
「ぼんなああ(そんなあ)!」
「そもそも曲が作れるなんて、生きるためには直接必要ない。そんな大層なことでもないさ」
「……」
「だから妻さん今まで通り、精一杯生きたらいい。少なくとも俺は、それで十分だ」
「……」
「別に手を抜いたり、楽をしてきたわけじゃないんだろ? 妻さんなりに……って、な、なんで泣くんだ」
頬を包む手が、こぼれる涙で湿った。
ティッシュを2、3枚取り、瞳を拭う。
「涙くらい、自分で拭けますぅ……」
「はいよ」
「でも、ありがとうございますぅ……」
「はいはい」
「『はい』は一回でいいですぅ……」
「お、おう……」
お嬢様育ちだって、きっと辛いことはあるさ。
くしゃくしゃ顔の長瀬結衣を見守りながら、心の中でそう呟いた。
そして翌日。
カメラとレンズ2本を入れたリュックを背負い、玄関で靴紐をしっかり結ぶ。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃいませ!」
「妻どの、留守は頼んだぞ。戸締りだけはしっかりな」
「ががが、がんばります!」
笑顔で手を振り、家を出た。
まあ、こいつが余計なことを頑張らないのが一番安全なんだけどな……。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
カシャッ! カシャッ!
人もまばらな平日午後の公園。
乾いたシャッター音が鳴るたびに、ポーズと表情を変えていく真里奈さん。
今日の髪型はポニーテールに青いリボン。
肩出しの白いリブニットとブラウンのミニスカート、黒のニーハイブーツ。
なんというか、男の好みをよくわかってる感じだ。
結婚、出産を公表しているのに、未だにファンが離れないのもわかる気がする。
ある程度撮り終えたところで、これまでのカットを軽く確認してもらった。
「あ、いい感じ~〜♡ やっぱ凛くんの写真好きだな~」
「ありがとうございます」
「もう少しエッチなのも撮っとく? パンチラとか♡」
「路線変更が急すぎです」
「あ、今日見せパン履いてくるの忘れちゃった」
「ったく……」
「撮影のお礼に、凛くんだけには見せてもいいよ~?♡」
そう言いながら、スカートの裾をゆっくりとたくし上げる。
「また仮歌お願いできればそれでいいですよ」
「つれないな~~」
「すいませんね。移動しましょうよ、あっちの噴水の方とか」
「あ、いいね♡ いこいこ~〜」
フラッシュは使わず、その場所その時間で出会う光での撮影が好きなので、あちこち移動してはサクサクと撮っていく。
真里奈さんと喋っていると呆れることも多いけど、出産後も体型を維持するのは並大抵の努力ではないと思う。
だからこそ今でも、仮歌を頼み続けている。
きっと喉の方も、トレーニングを欠かさないのだろうから。
「ところでさ」
カシャッ!
「昨日の子、だれ~〜?」
「ぶっっ!!」
ポーズを変えながら、いきなり爆弾に触れてきた。
「あはは、動揺してる~~!」
カシャッ!
くっ……不覚。
しかしただでは転ばない。今日イチの笑顔が撮れた。
「実は……かくかくしかじかで、同棲してるんです」
「なにそれやばい! しかも凛くんが、婚約ぅ~~!!??」
近くのベンチに座り、長瀬結衣とのこれまでを話すと案の定、真里奈さんは大笑いを始めた。
「だから言いたくなかったのに……もう、マジでパンツ見えますよ!」
足をジタバタさせるたびに、スカートの裾が舞い上がる。
「あ、なんだか優しい~~やっぱり、婚約したからかな? きゃはははは!!」
「もう、頼むから女子としての自覚を持ってくれ」
「え、女子だって! 嬉しいな~~♡」
「これ以上ふざけると今日のデータ、消しますよ」
「待って待って! 謝るから~~」
腕にしがみつき、豊満な胸をぐいぐい押し付けてくるあたり、「女子としての自覚」はまだまだ、期待できそうにもない。
「とにかく。結婚の真似事をしてるだけですし、いつ終わってもおかしくないんで」
「いいんじゃない? そういう始まりも」
「え?」
「私も旦那と結婚するとき、別に運命だとか何だとか全然感じなかったよ。試しに結婚してみて、嫌だったら離婚すればいいかって、そんな感じだった」
「……」
「でも、逆にそれが居心地よくて。気も遣わないし。子供もできて、運命かどうかは知らないけど、なんだか幸せなんだよね」
「子供……」
「あ……」
「いや、全然……こちらこそなんだかすいません」
ふいに生まれた沈黙。
遠くでボール遊びをする親子の姿が目に入った。
「……でもさ」
俺と同じ方向を見つめながら、真里奈さんが呟く。
「もしかしたら、その子ならわからないよ? これまで凛くんが無理だって思ってたことも、もしかしたらできるかもしれない」
「はあ……」
「運命なんて、始まりは案外適当なのかもよ? あ、今の曲のタイトルっぽい!」
「強盗から始まる運命、ですか?」
思わず苦笑したが、その後の撮影中も、真里奈さんの言葉がなんだか脳裏から離れなかった。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
「じゃあ、データはなるべく早めに仕上げますね」
「ありがと~~♡ 次のライブの物販に並べたいから、それまでに出来ると嬉しいな~~」
「了解です、多分大丈夫です」
「結衣ちゃん、じゃなかった、奥さんにもよろしくね~~♡」
「はいはい」
「『はい』は一回でいいの!」
「なんだか朝も同じこと言われたな。じゃあ、お疲れ様でした」
「うん、お疲れ様~~♡」
ふーー、疲れた……。
撮影はいつも通りだったが、長瀬結衣の話をしたせいか、普段より数倍の疲労が蓄積された気がする。
駐車場に着き、車を降りてアパートを見ると、とりあえず消防車が来てる気配はない。
良かった、どうやら無事のようだ。
レンジを爆発させることもなかったらしい。
いや、中がどうなってるかはわからないな……。
緩みかけた心を引き締め、そっと玄関の鍵を開け、中に入ると……
〽︎
だって、I Love Youだけじゃ! I Love Youだけじゃた・り・な・い!
リビングから、俺が渡したボツ曲が爆音で聞こえてくる。
おいおい、これじゃ近隣にまで聞こえてないか?
「ちょっと、ボリュームデカすぎじゃ……」
そう言いながら部屋に入った俺の目に、信じられない光景が広がっていた。
俺の曲に合わせ、振りを付けて踊っていたのは……
「え、エモスマイル……?」
シャニエモこと、アニメ「シャイニー☆エモーションズ!」のキャラクター、ピンクが基調のエモスマイル。
「……つ、妻さん?」
曲を遮るように声をかけると、動きがピクリと止まり。
ゆっくりと、こちらを振り返る。
「……う……」
その顔は、やはり……
「うぎょええええええーーーーー!!!!!」
まるで、必殺技で倒された怪人のような断末魔をあげて、
エモスマイルこと長瀬結衣は、大の字に倒れ果てた。
お読みいただきありがとうございます!
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