棄憶 第2話「亀裂」
登場人物
蓮実凛/作曲家の卵
葛城沙織/メジャーデビューを目指すシンガーソングライター
「ねえねえ凛! 今日チケット10枚売れたんだけど!」
「え、すごいじゃん! てことは……」
「そう、残り100枚切った!」
自然と、車内でハイタッチが起こる。
今日のインストアライブは盛況だった。
この辺りで最大級のショッピングモール、しかも大型連休中。条件は最高だった。
「帰ったら祝杯! 決まり!」
「おいおい、明日も朝から仕事じゃなかったか?」
「いいの。凛の家からなら駅も近いし」
「すっかり自分の家にしちゃってるな、俺の家を」
「ふふ……嫌じゃないくせに」
信号待ちで停まると、静かに唇を重ねた。
いつしか俺たちは、自然とそうなっていた。
初めは沙織の家まで送っていたのが、俺の家で打ち上げをするようになり、そのまま泊まり始めて、気づけば同棲していた。
普段は朝から晩までバイトする沙織。
夢のため、野望のために働く姿に敬意すら覚えた。
だからこそ。
ブオオオオーー……!
「あ~~気持ちいい! 凛に髪乾かしてもらうの好きなんだ~~」
「あはは、今日もお疲れ様」
ドライヤーの風で、艶やかな黒髪がさらりと揺れる。
「本当に助かる。髪乾かすのってマジで面倒なんだよね」
「長いと色々大変そうだよな」
「そう、だけど乾かしてくれるから楽! 凛が彼氏で良かった!」
「どういたしまして」
座ったまま俺の顔を見上げ、ニカッと笑う沙織。すると、
ピリリリリ!
メールの着信音が響く。
あの音は、俺が所属する作家事務所のものだ。
「ちょっと待ってて、すぐ戻る」
スマホの待機画面で見ると、メールタイトルは『進捗のお知らせ』。
本文を開くと、
『おめでとうございます! お預かりの楽曲が、人気アイドル『〇〇』のシングル表題曲で進行しています』
と、書かれていた。
進行?
これってもしかして……!
「さ、沙織……」
「ん? どしたの?」
「俺、採用、取れたかもしれない……!」
「……えーー!!??」
沙織が駆け寄ってくる。
思わずスマホを見せようとしたが……すぐに引っ込めた。
「え、なになに、私には見せてくれないの?」
「ごめん、守秘義務があるんだ。リリース日までは誰にも話しちゃいけないって事務所から言われてる」
「えー、もう家族みたいなもんだし、別にいいじゃん~」
「家族にさえも言っちゃいけないんだ、ごめん」
「仕方ないな……でもおめでとう! すごいよ凛!」
「ありがとう。でもまだ現実なのか、信じられないな……」
メジャーアーティストのリリース楽曲は「コンペ」といって、多数の楽曲を集めてその中から決めることが多い。
有名アーティストやアイドルともなれば何百曲と集まる激戦を、俺が応募した曲がどうやら、勝ち抜いたらしい。
「進行」とは単なるリリース候補ではなく、もうその曲で制作作業が進んでいるという意味だった。
「いつかさ、私はアーティストで、凛は作曲で。オリコン1位争いしちゃうかも~~!」
「あはは、そうなったらすごいな!」
「私も頑張らないと。マジで今回のライブ、絶対に成功させる……!」
「ああ、俺も全力で手伝う」
「あと100枚、いけるよね?」
「いける。絶対にだ」
そう、この時に語り合った夢は確かに煌めいていた。
沙織のワンマンライブが満員になり、大成功を収めるまでは。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
「は!!?? 買い取り!?」
ランチタイムのファミレスに、沙織の怒声が響く。
原口さんはタバコをつけようとするが、禁煙席なことを思い出したのか、舌打ちして引っ込めた。
「いや俺もさ、色々と掛け合ったんだけどな。向こうは買い取りの一点張りで、一歩も譲る気なさそうなんだ」
「……でも、ライブ満員にしたらメジャーだって言ったの、原口さんじゃん……!」
「まあ、買い取りでもメジャーはメジャーよ。ちゃんとホームページにも載るし、CDショップにも並ぶ」
沙織に提示されたのは「買い取り」といって、どちらかと言えば自費出版に近い形の契約だった。
音楽番組への出演などの各種バックアップは一切なし。
単に、メジャーレコード会社からCDを出す、それだけだ。
しかも、自分で何千枚も買い取って。
「買い取りって……枚数どれくらいですか?」
ヒートアップした二人を宥めるように、落ち着いたトーンで聞いてみたが。
返ってきた答えは、余計に事態を悪化させるものだった。
「一万」
「え」
「一万枚だってさ」
俺も、言葉が出なかった。
何千どころか、一万枚?
それ、何百万円だ……?
「ローンも組めるし、メジャーっていう箔がつく……」
バンッッッ!!
テーブルを叩いて沙織が立ち上がった。
バッグから乱暴に財布を抜き出し、千円札を一枚置いて立ち去る。
「……」
頬をかきながら、やれやれといった顔の原口さんが、俺を見てニヤリと笑う。
「すいません、失礼します……!」
沙織に倣い千円札を置いて、ファミレスを出た。
入り口近くに停めた車の横で、膝に顔を埋めてうずくまる沙織。
「ひとまず、帰ろう……」
一言も発さない沙織をなんとか助手席に乗せ、家路へと向かう。
満員のワンマンライブ終了後。
二人で抱き合って泣いた時に思ったんだ、こいつの人生はこれで決まった、と。
だが原口さんが突きつけた現実は、俺たちが胸に抱いた無限の未来を、いとも簡単に打ち砕いた。
さらに。
ポツリ、ポツリと降ってきた雨。
ワイパーのレバーに手をかけると、沙織はこう呟いた。
「私、原口さんと寝たの。メジャー関係者呼んでもらうために」
動けなかった。
フロントガラスが、雨でぼやけていく。
「それだけじゃない、ライブのチケット売り上げも全部原口さんに渡した。そういう契約だったから」
「なんだそれ……」
「何の実績もない私がホールでワンマンライブやって、そこにメジャー関係者呼ぶなんて、リスクでしかないんだって。だから、“保証”と“見返り”が必要だって……」
怒りと混乱の中で、一つの筋が通った気もした。
『原口さん、葛城さんに結構力入れてますね。そういうの珍しい気がします』
あの時、俺が聞いたことは実は、確信を突いていたんだ。
原口さんは沙織と、取引をしていた……。
『ラブホテルなんかに連れ込むなよ』
くそ、どっちがだ……!
デビュー曲はどうするか、ツアーはどこを回るか、会場はどこにするか。
ファミレスに着く前の、色とりどりの夢が溢れた行きの車内が嘘だったかのように、俺たちは一切の音を失った。
その沈黙を破ったのは、やはり沙織だった。
「一万枚買い取りって、いくらかな?」
「は? マジで言ってんの......?」
「買い取りでも籍さえ置ければ、レコード会社の人に見つかるかもしれない。そしたらそこから……」
「わかってるだろ、買い取りって言われた時点でもう……」
「じゃあどうすんの!? 私はどんな手を使ってもメジャーに行きたいの! そうしないと東京に出てきた意味がない!」
以前は止まるたびにキスをした信号待ちで、沙織は牙を剥いた。
「このまま何も成功できずに田舎に帰って、惨めに過ごすなんて絶対イヤ!」
「お前、そんな気持ちで音楽を……」
「凛にはわからないよ! 苦労知らずの凛には!」
「苦労知らずは言い過ぎだろ。俺だって散々、辛酸舐めてきた」
こちらの言うことに片っ端から噛み付いてくる攻撃的な物言いは、初めてだった。
だがこれまでも些細な喧嘩はあったし、その度に修復できた。
降りしきる窓の外の雨も、いつかは止むように。
今回も、きっと元に戻る。
俺たちならきっと……。
「ねえ、凛」
「なんだ?」
その時、沙織の目に俺はどう映っていたのだろう。
彼氏? それとも、利用価値のある道具?
そんな目をしていた。
「私も、作曲ならいけるんじゃないかな?」
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