第六章 反転
つい昨日までは真っ暗だった道に篝火が焚かれ、わずかながら明かりが灯っている。道の両脇にはまるで卒業式で在校生が作る花道のように人々が並んでいて、目の前を龍が通るのを今か今かと待っていた。
「予定だともうすぐだよ」
「俺はいっそ、このまま来なければいいのにって思うけどな」
「えー!? どうして!?」
俺の言葉に沙耶香が目を丸くする。自分の故郷のお祭りを見せたい沙耶香の気持ちは痛いほど分かるのだが……。
「だって龍が来ちゃったら、沙耶香が行っちゃうじゃん」
「あぁ、そういう……。別に二度と会えなくなるわけでもあるまいし、大袈裟だよー」
「まったく……あなたたちはイチャイチャしないと気が済まないわけ?」
二人だけの世界に入りそうだった俺たちだったが、香菜の冷たい声で正気に戻る。気づけば巫女装束に身を包み、優雅に先頭を歩く瑠璃さんが間近に迫っていた。
「おお!」
「ねっ、凄いでしょ!」
「沙耶香……多分こいつ、聞こえていないわよ」
僅かな篝火の明かりに照らされて、ついにお祭りのメインとなる龍が姿を現した。俺の腕よりも長いであろう竹で作られた立派な角に、村の子供たちによってカラフルに装飾された鱗がついた頭部。発泡スチロールを赤く塗っただけの舌も、この闇夜で見ると迫力がある。
俺は息をするのも忘れて、その龍の姿をジッと目に焼き付けた。
「それじゃ、私たちは行くね。また明日の夜に会おう!」
「おう」
「私たちも頑張るから、あんたも頑張んなさいよ!」
二日目の演目の準備のため、ここで沙耶香たちとはお別れだ。神社の方に向かって駆けていく沙耶香の白いワンピースが風に舞ってふわりと浮き上がる。
しばらくそんな沙耶香たちの姿を目で追っていたが、突然奇妙な悪寒を感じて辺りを見回した。
「――何ですか、キョロキョロとして。龍も行っちゃいましたし、今さら珍しいものなんて何もないでしょう」
「……いや、何でもない」
しかし悪寒の原因となるものは見つからず、迎えに来た圭人くんに気味悪がられただけに終わった。
ちなみに圭人くんが来たのは、村のことをよく知らない人間が、真っ暗な夜道を一人で歩くのは迷子になる危険性もあるということで、彼とともに帰る手筈になっていたからである。
〇
白装束を着た沙耶香が舞台の中心に座っている。その瞳は閉じられていて、彼女の内心を伺うことはできない。前日の龍のように篝火に照らされる彼女は何を思ってあそこに座っているのだろうか。
「もうすぐ始まりますよ」
圭人くんの言葉とほぼ同時に拍子木の音が二回鳴り、続いて無数の太鼓の音が響き渡る。神社に響き渡る重低音は、こちらの緊張感を否が応でも高めてくる。
「あっ!」
叫んだのは俺か、それとも他の誰かだったか。演奏が始まってからも微動だにしない沙耶香の背後から、昨日街中を練り歩いていた龍が姿を現した。
龍は音楽に合わせてしばらく沙耶香の周りを回った後で、沙耶香と接吻でもするかのようにその顔を近づける。ここで初めて目を開いた沙耶香はその顔に驚愕の表情を浮かべ、舞台の端までゆっくりと後退していった。
「演目の最中に、私が舞台の端っこまで下がるの。そこからがクライマックスだから。注目してね」
昨日の昼間、沙耶香に言われた言葉を思い出す。その間にも龍はグルグルと舞台上を回り、徐々に自身の長い体で舞台上を埋め尽くしていった。この演目の元となった話を知っていれば、それは逃げ場をなくしているのだと理解できる。
そうして、太鼓の音が鳴り止んだ。
龍は音楽が止まると同時にその場で静止。次の瞬間、舞台の端で震える沙耶香にもの凄い勢いで突進した。沙耶香の小柄な体はその勢いで宙を舞い、舞台の後方に消えていった。
「えええええええ!?」
「あっははははは、いい反応ですね! 僕が初めてこの舞台を見たときを思い出します」
俺の反応に、結末を知っていた圭人くんがゲラゲラと笑う。これは全くの予想外だった。沙耶香がクライマックスと言うから何かと思ったが、まさか龍に舞台上から突き落とされるとは。
演目中はずっと鳴り響いていた太鼓の音をわざわざ止めて、舞台に注目させたところで突き落とす。観客の心理的な動向まで考えられた演出に一本取られた気分だ。
「いや、そりゃびっくりするだろ!」
「それにしても反応が大袈裟なんですよ。特にあなたはいちいちリアクションが大きいです」
沙耶香を心配して、反応が大袈裟になってしまった部分はあるかもしれない。だけどそれを言うとまた圭人くんが揶揄ってくるのが分かり切っているので、俺はただ何も言わずに舞台に視線を戻した。
勝ち誇ったように頭を高く掲げる龍。すると舞台の両端からお揃いの浴衣を着た子供たちがわらわらと集まってきた。子供たちの手には丈夫そうな縄が握られている。
「香菜……」
「あの人、言い方はキツイですが面倒見がいいですからね。似合っていると思いませんか?」
「確かに……」
その中心にいるのは、他でもない香菜だ。彼女がパチンと指を鳴らすと、子供たちは一斉に龍に群がり、手に持っている縄を器用に使って縛り付けていく。
全身を縄で縛られ、身動きできなくなった龍の顔に香菜が手をかざす。するとそれまで暴れていた龍が一気に大人しくなった。それを見届けた香菜と子供たちは観客に向けて一礼。合わせて音楽がフェードアウトしていく。
「これで演目は終了です。それではご武運を」
「ああ」
本来ならばここから『巫女成人の儀』が行われることになっている。しかし俺は『巫女成人の儀』が終了する前にこの村から脱出して、東京に帰る手筈になっていた。
圭人くんに見送られた俺は、なおも観客でごった返す神社を突っ切って沙耶香の家に戻り、荷物を持ってバスのロータリーに向かって歩いていく。途中まで聞こえてきたオマツリの喧騒は段々と聞こえなくなっていって、ロータリーに近づく頃にはうるさいほどのヒグラシの鳴き声しか聞こえなくなっていた。
停留所にはちょうどバスが到着している。俺はそのバスに乗ろうと駆け出し、すぐに何かにつまずいて激しく転倒した。痛む膝をさすりながら、背後を確認しようとして……後頭部に衝撃を感じて俺の意識は途切れた。
――すみません、あなたには生贄になってもらいます。
最後に聞こえた冷たい声は……誰の声だっただろう。




