第三章 伝説
「姉ちゃんたち、お帰り。……その人は誰?」
「私の彼氏の鹿島裕也くん。裕也、この人は私の弟の圭人だよ」
「鹿島裕也です。よろしく」
玄関先の少年――圭人くんは眼鏡をかけた中学生くらいの男の子で、沙耶香とはあまり似ていない。吊り上がった鋭い目がまるで品定めでもしているかのように、ジッとこちらを見ている。
「北原圭人です。まさか姉ちゃんにこんなカッコいい彼氏が出来るなんて……」
「ちょっと?」
「あまりにも突然だったので、失礼な態度を取ってしまいました。ごめんなさい」
小さく頭を下げた圭人くんは、下駄箱の横に置いてあったスリッパを三人分用意してくれた。
「どうぞ入ってください。お父さんはいつもの部屋で既にお酒を飲んでます」
「そうなの。まあ毎年のことね」
「私についてきて! 裕也は私の彼氏だし、ここからは私が案内するよ!」
スリッパに足を通した俺たちは、なぜか張り切っている沙耶香に連れられて廊下を歩いていく。両脇には梅や松などの木の絵が描かれている襖がいくつもあって、何だか時代劇のセットにでも迷いこんだ気分だ。
やがて沙耶香は一つの襖を開ける。その部屋は大広間になっていて、色鮮やかな料理がいくつも並んでいるテーブルに、中年の男性が一人座っていた。
「お父さん、ただいまー!」
「おじさん、またそんなにお酒飲んで。二年前みたいにいびきかかないでよ」
「あの人が僕たちのお父さんです」
彼女のお父さんという存在に内心緊張していたが、見たところ頑固な父親といった感じではなさそうだ。吊り目気味だからか厳しい印象を受けるが、香菜と談笑している感じ、見た目の印象と本性はだいぶ異なりそうである。
「沙耶香、おばあちゃんたちにも挨拶してあげたら?」
「……そうね」
遅れて部屋に入ってきた瑠璃さんの言葉に、沙耶香は頷いて部屋の奥に向かう。部屋の奥には立派な仏壇があった。家族四人で住んでいたという発言から察していたが、やはり沙耶香の祖父母は亡くなっているようだ。
「裕也……」
「大事な沙耶香の家族だからな。礼儀として挨拶はしておく」
沙耶香の隣に並んで線香を立てる。遺影の中の祖父母は若い頃の写真のようで、沙耶香のお母さんと見た目はほとんど変わらない。恐らく神社の本殿であろう場所を背景に、二人は満面の笑顔を見せていた。
「ささ、みんな食べちゃいましょう。あんまり遅くなると打ち合わせに障るわ」
俺たちが立ちあがったところで、沙耶香のお母さんが号令をかける。それを合図に俺たちは空いている席に座り、ご飯をいただく。村で採れた野菜で作ったという煮物や、唐揚げは特に美味しかった。
「おい、君はこの村の伝説についてどのくらい知っているんだ?」
しばらくご飯を堪能していると、不意に沙耶香のお父さんが尋ねてきた。挨拶の時に知ったのだが、この人は村が所属している市の市議会議員をやっているエリートらしい。
そういう人は得てしてお堅い雰囲気があるが、沙耶香のお父さんは娘に似て、実に親しみやすい。娘に似てというか、お父さんの開放的な性格が、娘である沙耶香に遺伝したと言うべきだろうが。
それにしても村の伝説とは何だろうか? そんなものは彼女の沙耶香からはもちろん、香菜からも聞いていない。首を横に振ると彼は驚いたような表情で、箸で掴んでいた豆を皿の上に落とした。
「二人は何も説明していないのか! じゃあ俺が教えてやる。この伝説を知っていた方がオマツリをもっと楽しめるぞ」
「ぜひ、お願いします」
「ああ。――その昔、この村は一匹の龍に支配されていてな……」
村の伝説というのはいわゆる神話であり、以下のようなものだった。
昔々、この地は人を襲う悪龍に支配されていた。何年にもわたって積み重なっていく悪龍の被害に苦しむ民たち。そんな民たちを哀れに思った女神、アマキリノヒメが自身の眷属とともに悪龍を討伐し、悪龍の代わりにこの地の守り神になった。先ほど見た沙耶香の実家が管理する神社も、このアマキリノヒメを祀っているものらしい。
悪龍を討伐してくれたアマキリノヒメに深く感謝した民たちはお礼のため、そして彼女の功績を後世に伝えるために二日間に及ぶ盛大な劇を作り出した。この劇が現在では『お祭り』として残っているのだという。
「劇がお祭りになったんですか……。面白いですね」
「だろう? 俺も初めて聞いたときは驚いたが、実はオマツリの内容にもちゃんと意味があるんだよ」
この時に知った事実だが、沙耶香たちは毎年八月八日にお祭りが行われていると言っていた。ところが、実際は八月七日の夜に、神社の社務所で村民たちが藁を編んで作った龍の人形を、御神輿のように複数人で担いで村中を練り歩くのがお祭りの始まりなのだという。
村中を練り歩くのは悪龍が村を飛び回って隅々まで監視していたこと、夜に行うのは、悪龍に支配されていた時代が先の見えない暗黒時代だったことを表現しているのだとか。街灯のような明かりが少ない道を覆っているのは、確かに先の見えない暗闇であることに間違いはない。
「二日目の昼に、神社の本殿でアマキリノヒメ様が悪龍を討伐するところまでを演じるが、ここに沙耶香たちも出場する。代々神社を管理している北原家とそれを補佐している来栖家の子供がやるのが伝統になっているからな」
「ちょっと⁉」
「勝手に話さないでよ!」
沙耶香たちが抗議の声を上げた。どうやら二人はこれを当日までのお楽しみにするつもりだったらしい。
「いや、普通にバレるだろ」
「これから練習とかもしなきゃいけないし、そこで確実に気づかれるわよ」
しかし二人の抗議は、両親に一蹴されてしまった。練習の間は沙耶香と離れることになるだろうし、そんなことが頻繁に起これば確実に何かがおかしいと気づく。むしろ気づかない方がおかしいと俺も思う。
とはいえ俺は沙耶香の彼女なので、ささやかな援護として沈黙を貫くことにする。
「あとはちょっとした儀式をして、最後に滝のそばにある建物を燃やして仕舞いだ。そうして生贄を捧げる」
「建物を燃やす⁉ 生贄を捧げる⁉」
「言い伝えによると、昔は新しく作った建物に生贄となる人を閉じ込めて燃やしていたらしい」
沙耶香のお父さんが言葉とともにビールの空き缶を潰す。生贄などと冷静に口走ってしまえる感覚が解せない。こういう俗世から隔絶された村に奇妙な風習が残っているというのはありがちなパターンだが……。
「に……人間を生贄として捧げるんですか?」
「うん……? いやいや、そんなわけないだろう。そんなことをすれば私たちは全員殺人犯になってしまう。昔は生きている人間を捧げていたらしいが、今はさすがに龍と同じく人形を燃やすだけさ」
それとも……と沙耶香のお父さんはズイッとこちらに顔を近づけてきた。非常に酒臭い。
「私たちが人を建物に閉じ込めて火をつけるような人間に見えるのかい? うん?」
「い、いやいやそんなことは……」
「お父さん、姉ちゃんの彼氏に絡み酒をするのはやめた方がいいんじゃないかな。裕也さん、うちの父がすみません」
思っていたより声が真剣で、本当に気分を害してしまったのではないか。そう不安に思い始めたところで呆れたような声が響く。気づけば沙耶香のお父さんの後ろにジト目の圭人くんが立っていた。
「いや、別に……」
「ははっ、すまない。あまりにも君が怯えているものだから、緊張が解れるようにちょっと冗談をね」
「恋人の父親にそれをやられたら、さらに緊張するだけだと思うんだけど」
むしろ逆効果じゃないかと圭人くんが指摘する。沙耶香のお父さんはこちらに縋るような目を向けてきたが、ついさっきまで実際に肩肘を張っていた俺は、苦笑いをするだけに留めておいた。
「裕也くん……」
沙耶香の父親はしばらく項垂れていたが、食べ終わる頃には元の快活さを取り戻していた。沙耶香も切り替えが早い方だが、こういったところも父親からの遺伝なのだろうか。
こうして夕食の時間は滞りなく過ぎていくのだった。




