第九章 決着
大きな木の裏に隠れて、様子を見ていた俺は香菜が叫ぶ前から飛び出していた。大事な恋人が殺されそうになっているというのに、黙ってみているわけにはいかない。
「沙耶香から離れろ!」
「――⁉ 誰よ、あんた! そっちこそ離しなさい! 私の邪魔をするなぁぁ!」
瑠璃さんのターゲットが沙耶香から俺に変わる。殴られたり、蹴られたり、引っかかれたりと容赦の無い攻撃が浴びせられる中で、それでも俺は何とか沙耶香を背に庇うことに成功した。
「あんたに殺されそうになった鹿島裕也だ。俺の彼女には指一本触れさせない!」
「何ですって?」
俺の叫び声で、ようやく瑠璃さんは攻撃を止める。自分が殺したと思っていた人間が実は生きているなんて、彼女にとってはとんだホラーだろう。
「ど、どうして! お前は建物の中で死んだはずなのに!」
「沙耶香たちに助けてもらったんだよ!」
さっき沙耶香も言っていたが、俺たち三人は宝物庫の扉の前で意識を失ったあの日、夢の中でオマツリの真実を知り、同時に俺を生贄にしようと瑠璃さんが企んでいることを知った。
だから『巫女成人の儀』が終わる前にこの村を出ようとしたが、何者かに襲われて失敗。瑠璃さんの計画通り、火のついた建物に閉じ込められ、命を落とすところだったのだが……沙耶香たちが助けに来てくれたのだ。
「斧で建物のドアを壊してもらってね!」
建物の中で聞いた何かが壊れるような音は、香菜がドアを斧で破壊した音だった。目が覚めたときには既に燃えていたから強引な手段が使えなかったが、ドア自体は女の力でも壊れるくらい簡素な作りになっていたらしい。
ドアを壊して入ってきた沙耶香たちに助けられ、俺は無事に建物を脱出することができたのだ。
「そういえばあんた、娘の彼氏を殺すために、息子を脅すなんて本当に救いようがないわね」
「誤魔化しても無駄だよ。全部聞いたから」
「くっ……」
この村を脱出しようとしていた俺を気絶させたのは、圭人くんらしい。彼は脱出計画に気づいた瑠璃さんに、生贄になりたくなかったら俺を村から出すなと脅されていたという。
その脅しに屈して、斧の柄の部分で俺を殴って気絶させたまではいいものの、やがて姉の彼氏を売った罪悪感に耐えられなくなった圭人くんはオマツリが一段落ついたところで、姉たちに自分の罪を告白した。
俺が瑠璃さんの手に堕ちたことを知った沙耶香たちは、圭人くんが使った斧を持って、慌てて駆け付けたらしい。
「あの斧のせいで俺は命の危機に晒されて、あの斧のおかげで助けられたわけだな」
「裕也、そんなことよりも今は……」
「はぁ……あんたたちは本当にどこまでも……」
瑠璃さんは苛立たしげに大きなため息をつく。俺は思わず身構えてしまったが……瑠璃さんは何もせず、次の瞬間には糸が切れた人形のようにその場に座り込んでしまった。
「どこまでも私を邪魔するのね、本気で憎らしい。はぁ、私の人生って何だったのかしら」
「――瑠璃さん?」
「私は常に劣等生だったわ。ババアからお前は巫女に相応しくないと罵られて、村の人からあんな力の弱い巫女で大丈夫かって不安がられて、娘から私の方が力が強いって自慢されて……」
きっと瑠璃さんは幼い頃から傷つけられてきたのだろう。何度も何度も執拗に。
一つ一つはそこまで大きな傷ではないかもしれない。けれどつけられた傷は一生消えることはない。いじめと同じだ。やった方は覚えていないかもしれないが、やられた方は一生の傷になる。
そんな傷たちが重なって重なって……今回のような凶行に及んだのかもしれない。
「だから『巫女成人の儀』は完璧に終わらせようと思った。この儀式をやるなと言ってたババアの幻影と、力の強い沙耶香をまとめて黙らせるいい機会だと思ったのに……」
「――私も⁉」
「私と違って東京に行ったから、まともに巫女の教育を受けていないじゃない。その状態で私は引退してやるのよ」
そんなことをすれば、いくら力が強いといえども沙耶香の評価は下がるだろう。むしろあれだけ期待されていたのだから、その期待が反転して強い憎悪に晒される危険まである。
「あんたが後ろ指を指されて弱ったところを母親として私が救う。……滑稽でしょう? 力が強くてみんなに期待されていた天才が、力がなくて嘲られていた無能に救われるなんて」
瑠璃さんの中で娘は――沙耶香はどういう立ち位置なのだろう。同じように力が強かった母親の面影を重ねているのだろうか。強い憎悪の対象であった母親の影を。
「でも神罰だっけ? それで私が死ぬなら引退宣言もいらなかったわね」
「あなたを見ていると夢で見た先祖を思い出すわね。劇の解釈を変える原因になった、あの先祖と」
冷たい顔で話し続ける瑠璃さんの言葉を遮るように、香菜が呟く。
さっき沙耶香が怒って少しぶちまけてしまったが、オマツリはアマキリノヒメを祀るものだ。それは事実と相違ない。しかし劇の解釈は受け継がれてきているものとは違っていた。
「ご先祖さんと?」
「先祖? 本当に……あんたたちは私が力がないと分かっていて、そういう話ばかり! そんなだからあんたの彼氏を……」
「まあまあ、俺が説明しますから落ち着いて」
俺は危うい発言をしそうになった瑠璃さんを押し留め、話を始める。
今から五百年ほど前、巫女の職に就いていた沙耶香たちの先祖は弟を恨んでいた。弟は近所でもたびたび有名になるいじめっ子であり、村の子供たちから食料や金品を取り上げたり、わざと肥溜めに突き落としたりしていたという。
そんな弟を北原家の恥だと感じた巫女は弟殺害計画を始動させた。
「その計画が、儀式の解釈を変更して儀式を追加することだったんです」
「まさか……」
「ええ、それが生贄でした」
巫女は自身が成人になる年だったのをいいことに、『巫女成人の儀』を利用して弟を殺害した。この時に『巫女成人の儀』では本物の生贄を捧げるという習慣ができ、以降五百年にわたって受け継がれる悪習となるのだ。
「ただ、生贄は神の望むところではありませんでした。むしろ嫌っている。それはオマツリにも残っています」
「オマツリに……? でもそんな話、聞いたことないわよ?」
「ええ。だから先ほどから言っているんです。儀式の解釈が変更されていると」
弟を生贄にして殺害するという計画で、最も問題になったのはオマツリの解釈である。なにせオマツリにはしっかりと龍神が生贄を受け取らなかったという事実が描かれているのだ。それを巫女の家系の人間が蔑ろにするのはマズい。
そこで件の巫女はオマツリの解釈を大きく変更し、単純な勧善懲悪の物語に仕立て上げることで生贄に正当性を持たせたのである。
「今でこそ伝説は勧善懲悪もののようになっていますが、現実は事実より奇なり。そう単純なものではありません」
正しい物語はこうだ。
もともとこの地は雨の多い土地だったらしい。滝があることも重なって、村人たちは土砂崩れや洪水に悩まされていた。
その雨を引き起こしていたのは龍神。今の伝説では悪龍と呼ばれているあの龍だ。俺が最初に見た夢の中で池の中を泳いでいた龍でもある。
それに気づいた人々は龍を何とか鎮めようと考え、一人の巫女を生贄として捧げた。しかし龍は生贄を受け取ることはなく、逆に怒ってますます雨は強くなったという。
「今年、沙耶香が演じた部分がそれです。沙耶香は劇の中で龍に舞台上から落とされますよね。あれは龍が女性を殺害する場面ではなく、生贄を突き返す場面なんです。舞台上を龍が住む天界、舞台下を俺たちが住む下界に見立ててね」
俺が驚いた、龍の人形が沙耶香に体当たりして舞台上から突き落とす場面。あれは今の伝説では何の罪もない女性を殺害した暴君であるという演出のように捉えられているが、実際は真逆で高潔な龍であることを示す場面だったわけだ。
その後、頭を高く掲げるのも勝ち誇っていたからではなく、怒りに震えていたかららしい。
「そしてアマキリノヒメは今の伝説では龍を討伐したと伝えられていますが、現実は眠らせただけです」
アマキリノヒメは生贄を捧げるという作戦に失敗し、ますます悩みが深くなる民衆の声を聴いて降臨した女神であり、霧に由来する眠りの能力を持っていた。
神の能力みたいな部分は神社関係者ではないのでよく分からないが、霧というのは様々なものを曖昧にする能力がある。それに伴って現実と夢の境界を曖昧にしているのではないかと沙耶香は推測していた。
ともかく、その眠りの能力によって龍神は眠りにつく。
「縛られて身動きがとれなくなった龍の顔に、香菜が手をかざす場面がそれです。暴れていた龍が一気に大人しくなると言う演出がありますが、あれは倒されたのではなく眠らされただけ。実際に俺たちは夢の中で元気な龍を見ています」
本当に討伐されたのだとすれば、夢の中で龍の姿が見えたこと自体が矛盾している。
俺は宝物庫で夢を見るまで気づかなかったが、あの夢を見た時点で聞かされた伝説と大きな矛盾が生じていたことに気づかなければならなかった。
「生贄に正当性を持たせるためには、どうしても龍を悪にしなければならなかった。龍がまた悪事をしないように生贄を捧げるという流れを作らなければならないですから。だからこそ、その先祖はわざわざ解釈を変えたんです」
いくら弟に困らされていたとはいえ、解釈を変えるのはあまりにもやり過ぎだと思うが。現に巫女が解釈を変えたせいで、こうして今日に至るまで多数の被害者が出ているわけだし。
「なるほど……。それで、それが先祖とどう繋がるのよ?」
「身内でもいともたやすく手にかけられてしまう残酷さだろう。劇の解釈を変えた先祖とやらも、今のお前もな」
俺が口を開く前に、背後から声が聞こえてくる。振り返ると沙耶香のお父さんが懐中電灯を持った警察官二人とともに近づいてきていた。
「あなた⁉」
「瑠璃、お前は沙耶香が妬ましかったんだろ。力が強い沙耶香が。だから彼氏を殺して溜飲を下げようとした。そして彼氏を殺すためにこれほどまでの計画を立てたんだ。まさに当てはまっている」
視界の端で沙耶香と香菜が目を丸くしたのが見えた。
実のところ、犯行動機については薄々察してはいたものの、改めて言葉にして突き付けられると、俺にとってはとばっちり以外の何物でもない。
「お母さん……本当なの?」
「……警察の方々、私を連れて行ってもいいわよ。逃げも隠れもしないから。私は負けたの」
「……二十三時五十八分、被疑者確保。殺人未遂の容疑でご同行願います」
沙耶香の問いかけに瑠璃さんは答えることはなく、代わりになおも沙耶香と瑠璃さんの間に立っていた俺に目を止めた。
「あなたの母親は元気かしら?」
「え、ええ……」
「そう……羨ましいわ。大事にしなさいね。ここにいる女たちはみんな、母からの愛情を受け取れなかった人たちよ」
時計の短針、長針が両方とも十二を示す。八月九日になったのだ。瑠璃さんは自身の腕時計でそれを確認すると、警察と付き添いの夫とともに山を下りて行った。
後に残されたのは静かに涙を流す沙耶香と、沈痛な表情をする香菜、そして行き場のない思いを抱えた俺。
激しい滝の音が、俺たちの昂ぶる感情を表しているように思えてならなかった。




