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2-8


夜が明けた。空は、研いだ硝子のように澄んでいる。


昨日の騒ぎは、レオンハルトの一喝と聖女セレナの光で収まったらしい。


澪はガルドの部屋を出て、レオンハルトの私室へ向かう。ブレザーを取りに来ただけなのに、足取りはわずかに重い。


扉を開けた瞬間、違和感に気づいた。あるべき場所が、空白になっている。視線を滑らせても、やはりない。


澪は慌てて廊下でメイドを捕まえ尋ねた。


「ああ、あの不思議な服ですね。今朝、洗濯場に」


「え、洗濯!?」


言い終わる前に、駆け出していた。



洗濯場には朝の光が満ちていた。白い布が揺れ、静かで、どこか現実味が薄い。自分のブレザーが混ざっているのを見つけた瞬間、胸の奥が針で刺されたように痛んだ。


「あら……?」


振り返ると、セレナが立っていた。エプロン姿のまま、そこが本来の居場所であるかのように。


「洗濯はもう終わりましたわ。」


「聖女が洗濯、って……不思議です。」


「孤児院で慣れておりますの。」


くすりとセレナが笑う。


「“陽だまりの聖女”、いいえ、お姉様は泡立てすぎて、中庭を雲にしてしまいましたけれど。」


風にあおられ、白いシャツが大きく揺れる。


「レオン様の……」


その名を口にした途端、空気が細く張る。


「呼び方を改めなさい。不敬ですわ。」


澪は素直に頷く。


──横から低い声が差し込んだ。


「違う。俺が許可した。」


「それでも、公の場では控えるべきです。聖女候補ともなれば、なおさら。」


「聖女候補……?」


言葉が、自分のものではないみたいに聞こえた。


「聖女は一国に一人。その次を担う者が候補です。」


セレナの視線が澪を射抜く。


「──あなたが、その可能性ですわ。」


「私が……?」


息が浅くなる。


「ミオは違う。」


レオンハルトが即座に切る。


「森で拾った。ただの──」


「では、あの力は?」


セレナの遮る声は柔らかいが、逃げ場がない。


「昨日の騒ぎを、偶然で片付けるおつもりですの?」


沈黙が落ちる。風に流された布が横切った。


「……部屋の煎じ薬は白陽花でしょう。」


セレナの視線が濡れたブレザーに落ちる。


「わたくしの力も鈍っておりませんから、異国の聖女──あるいは候補かもしれませんわ。」


すっと、指先が澪へと差し出された。


「王都へいらっしゃい。すべて、あそこで明らかになります。」


言い切ると、セレナはたらいを置き、足音は軽く去った。振り返らず、余裕だけが残る。


澪はゆっくり息を吐いた。誰かがいる。それだけで足場が崩れずに済む。隣には、レオンハルトがいる。


「……行くつもりか。」


責めない声。ただ、確かめている。


「分かりません。」


正直に答える。しかし胸の奥に引っかかるものは、はっきりしていた。


「でも、このままじゃ──だめな気がするんです。」


言葉にした瞬間、本音になる。レオンハルトが目を細めた。


「……そうか。」


短く、それで十分だった。


「王都は遠い。馬で数日。道も安全とは言えない。」


一拍。


「それでも行くなら──辛くなったら言え。どこにいても迎えに行く。時間はかかっても、必ず。」


澪は息を呑み、頷く。


不安は消えない。けれど、完全な孤独ではない。風が抜け、洗われた布が空の下で揺れている。王都は遠い。それでも足は前に出る。


二人は場所を廊下へと移すべく歩きながら、残された時間を過ごす。


「……あの、さっきのこと、全部、見られてたんですね……」


澪の声は小さく、視線は借りた服へと注がれる。


「男装も、あの……力のことも……」


言葉が途切れ途切れになる。胸の奥が、針で軽く刺されたように痛む。隠そうとしていたものが、全部見抜かれていたのだ。


レオンハルトはふっと笑った。


「聖女セレナは、細かいことも見逃さない。君のことも、すぐわかっていた。」


澪の頬が熱くなる。思わず背筋を伸ばす。恥ずかしさと安堵が混ざり、胸が少し軽くなる。


「でも、だからって君の選択を否定したわけではない。」


レオンハルトの声は低く、安心感を含んでいた。


「ただ……隠す必要は、もうあまりないかもしれない。」


澪は息を呑む。胸の奥が少し軽くなる。

廊下の窓から朝の光が差し込み、白い布と同じ光の中、二人は静かに歩を進めた。



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