【2-4】
扉が爆発音のように激しく叩かれ、荒々しく開いた。
「──っ、ガルド!」
地を這うような低い声音で、レオンハルトがその名を呼ぶ。
片手をひらひらと振り、下卑た笑みを浮かべてガルドが踏み込んできた。セレナと護衛たちは立ちすくむ。土足で踏み込むたび、床の銀のスプーンが甲高く鳴った。
「団長様、そんなに怒んなって。暇でな?」
騒ぎに、聖女たちの視線が冷たくなる。ガルドは背後に隠れる小さな騎士を睨み、顎で示した。
「おい、そこな下っ端。シャキッとしろ。」
澪の体が強張る。言われたのは自分だ。
その瞬間、白銀の法衣を纏ったセレナが滑るように室内に入る。視線が最初に捉えたのは、腫れたレオンハルトの右頬だった。
「……おいたわしい。誰が貴方の顔を汚したのかしら。」
セレナが手を差し出すと、柔らかな光が澪の元まで届き、心も体もふっと軽くなる。
「……あなたも、毒にやられたの?」
一瞬、白陽花に止まった視線が冷たくなるが、彼女は癒しを優先した。その微かな変化に、澪の心がざわつく。
「え、あ、いえ、わたしは……」
「大丈夫よ。」
セレナの声に、指先に軽い痛みを感じる。まるで、不純物を焼き切るような鋭い光。
「おいおい聖女様、それはおれにやってくれよ。」
「……聖騎士長ガルド。」
ガルドは大きく溜息をつき、肩をすくめる。セレナは微動だにせず、その呼び名を守った。
「だから、その呼び方やめろよ。もう聖騎士じゃないんだぞ。」
セレナは無言で近寄り、ガルドの額をそっと小突く。光が溢れ、従者たちは自然と跪いた。
澪は息を詰める。毒影と戦った割には、ガルドは妙に元気だ。
「聖騎士長、わたくしの癒しがなくとも、その元気ぶりなら大丈夫ですわ。」
「次に世話になる時は、死にかけてるかもな。」
「……その時は必ず、届く場所にいてくださいませね。」
「おい、下っ端。持ち場に戻るぞ。」
「は、はいっ!」
駆け出そうとした澪の足が一瞬止まる。耳にレオンハルトの低い声が蘇った。
『俺の傍を離れるな』
振り返ると、彼は微かに顎を引き、「行け」と命じていた。
(──今は、彼の背中に隠れる時じゃない。近習として、その命を全うする時だ。)
セレナの視線が静かに長く追う。従者たちが頭を下げながら退室する中、ガルドはちらりとレオンハルトを見やり、肩をすくめて背を向けた。
廊下に居並ぶ、王都派遣の聖騎士団。純白の鎧を着た彼らが、一様にガルドに向かって最敬礼をする。
ガルドは苦笑と共に片手を軽く上げ、それに応えた。騎士たちの視線には、尊敬と憧れが混ざっている。
「ガルド様って、えらい人だったんですか? 聖騎士長って。」
先程のセレナの言葉を思い出し、澪は小声で尋ねた。
「ああ、昔な……」
ガルドは沈黙し、天井の光をぼんやり見つめる。
「……“陽だまりの聖女”と呼ばれてた聖女の傍にいたんだ。」
答えが返るまで、時間が止まったかのような間があった。
「陽だまりの、聖女様……ですか?」
「彼女が微笑むだけで花が咲く──なんて噂もあったな。レオンの姉だ。」
廊下の静寂に、その言葉の余韻が深く刻まれる。
「………知りませんでした。」
ガルドは無言で前を見つめる。
「異国にまでその名声は届いていたと思ったが、──あの人もまだまだだな。」
言葉が柔らかく耳に届く。澪は足を止め、ガルドの背中を見つめた。
「……でも、ガルド様がそばにいたから、皆安心だったんでしょうね。」
ガルドは肩をすくめ、微かな笑みを浮かべた。
「そうだな……あの人の隣にいると、自然とおれも背筋が伸びた。守らなきゃって思わされたよ。」
誇りと、今も消えない切なさが滲む言葉。
「……今の聖女様も、きっと同じなんですね。」
「いや……違う。努力して輝いているが、あの自然な安心感は──誰にも真似できない。」
ガルドの声がかすかに震え、思い出を封じ込めるように深く息を吸い込む。
「ミオの国ではどうだったんだ?」
「え?」
「一国に一人の聖女。お前の国にもいたはずだ。微笑むだけで、世界が救われちまう女が。」
澪の脳裏に「あの日」の記憶が逆流する。
──カチリ。
小さな鍵の音が、冷たい処刑の合図に聞こえた。
氷のような水が頭を叩き、呼吸を塞ぐ。濡れた髪が頬に張り付き、自分が泣いているのか、ただ濡れているのかもわからなくなる。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
排水口へ吸い込まれる水と共に、心も消えてしまえばいいと願った。外からは、嘲笑う声が聞こえる。
あの時、澪の世界に聖女はいなかった。救いも、微笑みも。あったのは、息のできない水の檻だけ。
ふらりと大きく体が傾く。ガルドが驚いて手を伸ばす。
「ミオッ!」
その瞬間、背後から血相を変えて駆けつけたレオンハルトの腕が、力強く彼女を抱き止めた。




