災厄
食事を終えた後、ミレーナは唐突に“謝らなくてはならない事がある”とレイに切り出した。
「謝らなきゃいけない事?」
「はい。ですが、先ずはこの顔の包帯の理由について説明する時間を頂いてもよろしいですか?」
「それは、勿論……」
ミレーナの顔の右半分を覆った包帯。日頃から気になってはいたが、デリケートな部分である事は明白なので聞くに聞けずにいた。
「私のこの包帯は……11年前のとある災厄で負った火傷の痕を隠すためのものです」
11年前、顔半分を覆う程の火傷……そう聞いて思い当たるものは一つしかなかった。
「まさか、熱風事変……!?」
ミレーナは黙って首肯する。
先日のジオスとの会話の中でもその名が出た熱風事変。11年前、風の国ウットガルズを襲った激甚の災厄の名だ。
よほど恐ろしい出来事だったのだろう。彼女が再び話しづらそうに俯く。
「ミレーナさん、無理に話さなくても……」
「いえ、お話しします。貴方になら……」
ミレーナはウットガルズの貴族の家に生を受け、そこで恵まれた暮らしを送っていた。
しかしある日、幼かったミレーナが家の外で父から狩猟の手解きを受けていた時だった。突如として空に暗雲が立ち込める。見上げるとそれは雲ではなく一頭の巨大な竜だった。
程なくして町に魔物の大群が迫っているという知らせを受けた父は、急いで避難の準備をするよう指示し、ミレーナを最も足の速い家臣に託して先に出発させた。その家臣は代々デュランの家に仕えてきた家系の者で、ミレーナにもよく懐かれていた。
ミレーナを抱えながら疾風の如き速さで走る家臣の腕から少々身を乗り出し、彼女は上空の竜を見つめていた。その咢が開き、熱線が放たれるその瞬間まで……
そして、その瞬間はやって来た。ミレーナの右目は一瞬の閃光を最後に永遠の闇を見る事になる。使用人は咄嗟に自身の狩猟の得物である鎖に魔力を絡ませ防壁を張ったが、みるみる内に鎖は融けていく。ミレーナは咄嗟に顔を背けたが、既に彼女の顔は右半分が焼け爛れていた。
後にミレーナが聞いた話では、自分達より数歩ばかり後ろにいた人間は全員、灰も残さず消え失せていたという。
その中には当然、ミレーナの家族も含まれていた。
ミレーナが貴族の生まれであった事に対してレイはさほど驚きはなかった。日頃から彼女の立ち振る舞いは貴人のそれだと感じていたからだ。
驚いたのは、想像をはるかに絶する熱風事変の凄惨さだった。突如として明日も明後日も続くと思っていた日常が断ち切られ、つい一秒前まで生きていた命が嘘であったかのように消滅する。考えるだけでも地獄のような光景だ。
「ですが、もっと恐ろしかったのはその後です」
「その、後?」
一体これ以上どのような恐怖が待っていたと言うのだろう。レイは耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。だが当事者であるミレーナはもっと恐ろしいであろうに、それを堪えてレイになら話すと言ってくれているのだ。ならば自分が堪えられなくてどうするとレイは自らを奮い立たせ、彼女の話に耳を傾けた。
町が炎と煙に包まれると、それをを待っていたかのように魔物の大群が一斉に動き出し、人々に襲い掛かった。
魔物達は生存者を捕らえると生きたまま黒い煙の中へ引きずり込んで行く。その手際は不気味なほど機械的で、ミレーナは生き物を見ている気がしなかった。
熱風事変は竜と魔物による人々の虐殺、という見方が一般的だが、実際には竜による虐殺とは別に、魔物による人々の誘拐があの場では起きていた。
煙の中へ連れ去られた人々がどうなったのかは今も分からないが、魔物に捕まれば死か、或いは死より恐ろしい何かが待っているという事だけはミレーナも子供心に理解できた。
その魔物を指揮していたのは、ミレーナ達と同じ人間だった。その人間は魔物の追跡を掻い潜って逃げようとするミレーナ達を見つけると、腰と腰背部に差した二振りの剣を抜き放ち、目にも止まらぬ速さで距離を詰めて来た。それまでミレーナを抱えて走っていた家臣はあの剣士から走って逃げる事は不可能と悟り、ミレーナを降ろすと自らは囮となるべく剣士に組み付いて煙の中へと消えて行った。
熱風事変を引き起こした竜と魔物達についての詳細は未だに不明となっているが、人の指揮下で動いていたという話を聞いてレイは一つ心当たりがあった。ヒドゥンマスだ。彼らもまた手なずけた魔物を用いて悪事を働いている。
ヒドゥンマスと熱風事変……あくまでも憶測だが、その二つが無関係には思えなかった。
「その後、私はフェルヘイズ騎士団の方に保護され、父の人脈のおかげもあって不自由のない生活が出来るようになりました。ですが、気がかりなのは私を守るために囮になった彼の事……もう一度会えるものならと何度も思いましたが、きっともう、生きてはいないのでしょうね……」
ミレーナの面持ちがより沈痛さを増す。よほどその家臣の事を慕っていたのだろう。
「彼は強かったけれど、とても敵わない。それ程までに恐ろしかった……あの“赤い剣を持った剣士”は」
「赤い剣……まさか……!?」
赤い剣を持った剣士、それも二刀流となるとレイにとって思い当たる人物は一人しかいない。
「はい、私がこの国に来たのは、赤い牙と呼ばれる剣士がフェルヘイズを拠点に活動していると聞いたから……そして、私の家族をはじめ、多くの人を死に追いやったあの剣士を見つけ出し、仇を討つ為……」
ミレーナは膝の上で握った拳に力を込め、一呼吸置いてから再び口を開いた。
「レイさんに近づいたのも、赤い牙との接触を図るためでした。全ては……イスルギ・クオンさんをこの手で倒す為に」
「ちょ、ちょっと待って。熱風事変が11年前ならその時クオンは……」
熱風事変当時の彼女はまだ六つになるかならないかの子供だ。赤い牙と呼ばれる所以となった魔力での武器強化はおろか、真剣を持ち上げられていたかすら怪しい。
「ええ、私が仇として追っていた人物は、調べれば調べる程あの日見た剣士とは一致しない点ばかりが見つかり、結局赤い牙と呼ばれていた剣士は私と同い年の、それも女性でした」
「じゃあクオンは……」
「はい、あの日私が見た剣士とは別人です。煙と炎ではっきりとは見えませんでしたが、大人の男性の背格好だった事は確かですから」
そうしてミレーナは姿勢を正して真っ直ぐとレイに向き直り、深々と頭を垂れた。
「これまでレイさんの厚意を利用し、仇で報いるような真似をしてきた事……誠に申し訳ありませんでした」
「ああいや……誤解だったならそれでいいよ」
謝りたかった事と言うのはきっとこの事だろう。
レイは一瞬たりともクオンが悪事に手を染めたなどと疑いはしなかったが、それでも彼女へのあらぬ疑いが晴れた事にほっと胸を撫で下ろした。
だが、ミレーナの話を聞いていてまた別の不安が浮かび上がった。
「それより、ミレーナさんはこれからも家族の仇を追い続けるの?」
ミレーナは、暫し沈黙した後に応えた。
「いえ、復讐などもう、どうでもよくなりました。イスルギさんを仇として追っている間に気づいたのです。私の考えの浅はかさを……」
彼女はつい先程までの沈痛な面持ちが嘘のように晴れやかな表情を見せる。
「私を救助して下さった騎士団の方々、この包帯を見ても気味悪がらずに接して下さるレイさんや学校の皆さん……私がこの手を血で染めれば、どのような結果であれこの良き人たちを悲しませる事になっていました。家族もそれを望んではいないでしょう。ですからもう、良いのです」
復讐に意味や価値を見出すかはきっと人それぞれで、これはレイが今まで復讐心を抱くような経験が無かったからかもしれないが、少なくとも今のレイは、復讐したいほど憎い相手の為に自分の人生を費やすような生き方は悲しすぎると考えている。
故に、ミレーナが復讐の道を踏み止まった事は素直に嬉しく思った。
「私が生徒会役員選挙に出馬したのも、私を受け入れてくれた学校に貢献する事で、少しでも恩返しが出来ればと思ったからなんです」
「ミレーナさんならきっといい生徒会長になるよ。間違いない」
「ええ、まだ正式に決まった訳ではありませんが、精一杯務めさせて頂きます……!」
ミレーナもだいぶ自身がついて来たようで、立会演説会の前のような危うさはどこかへ消えていた。レイも自分が何をしたという訳でもないとはいえ、彼女の生徒会長として申し分ない風格に安心感を覚え、ミレーナに向かって大きく頷いた。




